12・突撃
結局、御前試合は明以外が全員棄権してしまい、初日だけで幕を閉じた。
本来、決勝戦を王の前で行うものであるので、主催側も混乱。
まだ正午にすらなっていないというのに、本日はこれまでということになった。大会の本部では国家の重鎮を交えて協議が続いているらしい。
明は沙汰あるまで宿舎で待機するよう指示され、結局試合会場以外を見ることもできずに自室に戻っていた。
その自室では――
「おみそれしました」
ゴシカが床に正座し、明に向かって頭を下げた。
「ちょっ、ちょっとやめてくれ!」
この世界でも、相手より低い位置に身を置くことはへりくだる礼儀作法らしい。
だが、無論そんなことをされて喜ぶような明ではない。
「いえ、私自身恥じているのです。先ほどの試合でアキラ殿が見せたフォトンの腕前は、間違いなく世界トップクラスのもの。そのような方に仕えるにあたって数々のご無礼を……」
「だからいいって! 元通りでいい!」
「しかし……」
「しかしもヘチマもない! いいから立つ!」
「は、はい……」
何らかの競技の教員を思わせる指示に、おずおずと立ち上がるゴシカ。
「あのな、改めて言っておくと、俺は別にそんな凄い人物じゃない。たまたまフォトンが色々使えるというだけだ」
「たまたまなどと……」
「前に話した時に信じてもらえなかったが、俺は記憶喪失なんかじゃない。ほかの世界から来た人間だ。その世界では魔法は存在しないが、少なくとも俺の国の人間だったら誰でも二千くらいの文字は普通に扱えたんだ」
「……」
森で初めて会った際にも同じような説明はしている。
その時は一笑に付され、ゴシカには信じてもらえなかった。
だが、あの試合を経た今は違う。
その真っ赤な瞳で、真剣に明を見つめていた。
「……それは、きっと本当のことなのでしょう。かのオールド・フェイスですら驚いていたほどです。そんな方が無名という方が信じられない……」
彼女の表情に、何か逡巡のような色が見えたように明は感じた。
しかし、すぐに彼女は表情を和らげる。
「であれば、ぜひ私を頼って頂きたい。わからないことだらけでしょうから」
その笑顔は、健康的でまぶしかった。
健康な男子高校生である明は、心臓が跳ねる思いがした。
考えてみれば、こんなに近い距離で女性と話しているなど、幼馴染の朝と小学生の時に遊んでいた頃まで遡るだろう。朝はさばさばした性格で今も気さくに話しかけてくるが、サッカー部を退部した気まずさもあって明は心的な距離を開いていただけに、余計だ。
「それではそうですね……フォトンシーフをご存知ですか?」
「ここに来てから何度か聞いたとは思う。でもそれが何かはわからないな」
「フォトンシーフは一言でいえば、フォトン専門の怪盗です」
「怪盗……」
明にとってそれは現実感のない言葉だった。
フィクションの中でしか聞いたことがないもの。
だが、よくよく考えてみれば、今自分がいる状況だって十分フィクションの範疇ではないか。
そう思い至り、納得した。
「ヤツは変幻自在の怪盗で、これまでにも多くの国庫やフォトン使いのアトリエに忍び込み、奥義書を奪って来たのです」
「奥義書……」
「ええ。恐ろしく頭脳明晰なようです。何しろ、フォトンは書いてしまうと発動してしまいますから、奥義書は書き順ごとに分けられているそうです。ところが、その一部だけを盗み取った後、別の犯行時にすでにそのフォトンを使いこなしていた……という話もあるほどです」
「なるほど……」
明もこれまでの経験で、フォトンは字義や構成を理解していないと発動できないと知っている。
例えば、彼が【火】を真似したところで発動はしないし、逆に明の試合を見て他の人間が文字だけ真似をしても無駄だろう。
へんやつくりに当たるものの理解が必要なのだ。
そして、そこに意図を込めないと発動しない。
そうでなければ二文字以上のものは一文字目で発動してしまう。
自分と一緒にこの世界の落ちてきたカバンには、学生証などが入った財布や教科書のたぐいも入っている。しかし、それらの文字が勝手に発動することはなかった。もしそれが発動していたら、ラーメンチェーン店の「爆裂激辛火龍拉麺」のポイントカードが大暴走していたことだろう。
携帯電話は家庭の方針で持っていなかったので確認はできないが、文字を打っても発動はしないと思われる。
ならば、それがどういう効果を発動するかを考えながら書いた場合は、発動させたくなくてもしてしまうことがあるだろう。
そうなると、秘伝書はその意味をなさない。【火】を伝えるのに、燃えてしまっては意味がないのだ。
そこで書き順ごとに書を用意するというのは合理的だ。
あるいは、最後の一角だけ欠いておくというのも手だろう。
そんな手が施された秘伝書を、一部だけ見て術を知るということは、非常に文字への理解力が必要と考えられる。
ちょうど「さんずい」だとか「さかなへん」といった部首の組み合わせで作られる漢字を類推できるように。
「多数のフォトンを得たことで、どんどん手口が巧妙化していて、三年ほど前から国際的に指名手配になっているのに、未だに捕まっていないのです」
「フォトンしか盗らないのか?」
「はい。そう言われています」
「だとすると、何のためにフォトンを集めてるんだ……? 金銀財宝を盗むためにフォトンを使うもんじゃないのか?」
フォトンはあくまで技術だ。
技術のために技術を集めるというのは、本末転倒に感じる。
「目的は、正直私などにはわかりませんが……ただ、憑りつかれたようにフォトンを集めているのは確かです。その被害の規模も不透明で、恥と感じて公開していないフォトン使いも多いでしょうし、どれほどのフォトンを得ているかわからないのです」
「すごいな……で、それがどうしたんだ?」
「……っ!?」
ゴシカがずっこけた。
その昭和を思わせる派手なコケ方は、現代日本人が見ると、少し気恥ずかしかった。
「いや! わかるでしょう! あなたみたいに大活躍したら、フォトンシーフからも狙われますよ!」
「ああ、なるほど」
呑気な明の様子に、ゴシカがこめかみを押さえる。
「……やはりあなたには私が必要ですね!」
一人で納得して燃え上がるゴシカ。
「フォトンシーフは、単純に空き巣的に奥義書を盗み出すケースと、強盗のように脅迫するケースがあるといいます。アキラ殿はアトリエを持っていないので、後者の可能性が高いでしょう」
「……なんでそこまでして……」
「フォトンとはそれくらい重要なものなのです。一国の運命を左右するほどに……ですので、フォトンを巡っての殺し合いも珍しくありません」
「……っ」
絶句する明。現代日本の高校生がそんな権謀術数に関わることはまずないのだから、当然と言えば当然であろう。
「とにかく、警戒するに越したことはないです。……まぁ、『噂をすれば魔王が来る』とも言いますし、あまり口にするのもあれですが……」
「え?」
いま、聞き捨てならない言葉があった気がする。
「この世界には、魔王がいるのか?」
「え? ああ、そうか。違う世界から来たというのを今さらながら痛感します」
心底意外という顔で、ゴシカが微笑する。
「魔王は、実在します。魔王はその名の通り、魔唱族の王です。ほんの百年ほど前に、世界大戦を起こしたと言います。その際に敗れてどこかに封じられていると聞きますが……」
「魔唱族? 魔族……ではなくて?」
言って、明自身、魔族というものをゲームや漫画でしか知らないものだと気づいた。
自分でも知らないものが、さも居て当たり前のように感じていたことに気づいて、苦笑する。
「え? 魔族? その呼称は聞いたことがありませんね。魔唱族は青い肌に白目のない黒い目を持ち、人類を超越した魔法を操る存在です」
「魔法を使えるのか……」
「はい。人間と異なる声帯を持っているらしく、超高速で呪文を詠唱できます。そのため、フォトンの発明までは、人類はいわば弱小種族でした。フォトンによって魔唱族との力関係は逆転し、現在のように人類の隆盛があるのです」
「なるほど……」
「いまでは、辺境まで押しやられているそうですが……いずこかに封印されている魔王を探しているとも……」
と、そこまで言ったゴシカが急に黙りこくる。
「どうし……」
「しっ……!」
彼女は人差し指と中指を、横に当てて口をふさぐジェスチャーをする。
日本であれば人差し指を立てて口の前に置くのが当たり前だけど、こっちではこうなんだなあ……
などと明が呑気に考えている一方で、ゴシカは腰に下げた剣に手をかけていた。
「……金属がこすれる音です」
静かに囁くゴシカ。
その意味を、明も考える。
金属の音くらい……と考えて、この宿舎にいるのはほとんどがフォトン使いだと思い至った。
フォトン使いがわざわざ武器を使うことはない。その取り巻きたちという可能性もあるが、その金づるである雇い主は敗退して消えた上、アキラの試合を見た上で害しようとするとも考えにくい。
残る可能性は、警備の兵士の巡回だが……二階には、もういなかったはずだ。なぜなら決勝を待たずして他が全員敗退し、帰っているからだ。明たちしかいないのならば、警備するのは出入口のある一階だけでいい。
ゴシカは、右手を剣の柄にかけたまま、左手を床にあてた。
「足音は一つ……通り過ぎればよし……」
明もマネして床に手をついたものの、よくわからなかった。震動らしきものは感じるが、それが本当に人の歩みによるものなのかもわからない。
だが、ゴシカの視線は、足音をたどるように、右から左へゆっくり移動していく。
やがて扉の前をその視線は通過し――
「通り過ぎたようです」
ゴシカがわずかに緊張をほぐし、息を吐きながら言った。
その次の瞬間――
轟音とともに、左の壁が吹き飛んだ。
「うわあっ!?」
石壁には大穴が開いており、粉埃がもうもうと立ち上がっていた。
その粉塵を切り裂いて、大剣の切っ先が飛びだしている。剣には幾何学文様が彫られており、尋常の雰囲気ではない。
「ま、魔王なのか!?」
噂をすれば魔王が来る、そんなことわざを聞いたばかりの明は思わずそう叫んでいた。
だが――
「違います!!」
「違うのよ!!」
全く同じタイミングで、ゴシカと粉塵の向こうの影が言い放つ。その声は、おそらくはローティーンの女性の声だった。




