11・漢字無双
そうこうしていると、明に呼び出しがかかった。
「アキラ殿、落ち着いて下さいね。あなたなら絶対に勝てます」
「ありがとう。だが、大丈夫だ。落ち着くのにだけは自信がある」
リング上には、既に対戦相手の姿があった。
真っ赤なローブを纏う銀髪の青年は、明を値踏みするようにじろじろと見つめくる。
「フフッ、どうやら僕はラッキーみたいだ。フォトンの基本すら知らない相手とはね」
袖が丸出しの学生服は、彼らの常識からすれば、珍妙なものに違いない。
「間違ってはいないんだがな……」
明は苦笑しつつ、相手を見定める。
「さぁ、それでは第二試合【火のテール】選手対【千のフォトンを持つ男・アキラ】選手! 開始です!」
ラテミンの声に合わせてドラが鳴り響く。
が、観客たちはざわついていた。無論、明の二つ名によるものだろう。
「……今、なんと? 何のフォトンを持つと言ったのかな?」
オールド・フェイスが、怪訝な表情でラテミンに聞き返す。
「千のフォトンです。彼のエントリーネームがそうなっていましたので」
「……なるほど。見た事のない出で立ちから察するに、国外からの参加者でしょう。我が国の美徳とする謙虚さとは、やや異なる文化があるのかもしれませんね……」
冷静に喋ってはいるが、そこには呆れの色がにじんでいた。
「心配しなくても、ボクがバケの皮をはいであげますよ!」
テールが指をローブの中で動かし、文字を描く。
すると、その手の中に燃え上がる剣が出現した。
「おお! これはすごい! 前回優勝者が見せたのと同じ、ファイヤーソードです!」
「【火】に【剣】のフォトンを組み合わせたのでしょう。今年は複合型が多く、レベルが高いですね」
空気に書いたフォトンの効果は数秒。
かき消えないうちにとテールが突っ込んでくる。
「ケガさせないようにするには……」
明はかがみ、ステージに手をついた。わずかに砂が乗ったタイルの上に文字を書いていく。
「くらえ!!」
発動前に潰そうと考えたのか、一気に突っ込んでくるテールだが――
「うぉっ!?」
踏み込んだ右足が真後ろへ滑り、つんのめる形で思いっきりその場ですっころんだ。
空を切った火の剣は赤い半円の残光だけを描いて消えてゆく。
「おおっとー!! テール選手うっかりミス!!」
「違う!!」
「えっ!?」
先ほどまでの冷静さと打って変わり、オールド・フェイスが語気を強めて叫んだ。
その間にも明は姿勢を戻し、新たな文字を書き始めた。
空中に浮かぶ文字は【突風】。
「な、なに!?」
突如吹きつけた風にあおられ、起き上がろうとしたテールが腹を打ち付ける。
そして、そのままカーリングのように、滑って転がっていく。
明が地面に先ほど書いたのは、【滑】であったのだ。
摩擦係数が急激に下がった床を滑ったテールは、その勢いのまま場外へ落ちていった。
「しゅ、瞬殺ーーー!! アキラ選手の勝利ーーー!!!」
ラテミンの絶叫が響き、一瞬遅れて会場を地鳴りのような歓声が覆った。
いや、正確には歓声というより、どよめきかもしれない。困惑の色が大きく混ざり、ざわめきがなかなか止まらなかった。
きっと、彼らは見たことが無いのだ。こんな戦い方を……。
「こ、これはいったい何が起きたのでしょうか……?」
すがるような視線を向けるラテミンだが、オールド・フェイスは彼女の方ではなく、リングを睨むように見つめていた。
「なんだ……なんだアレは……」
「お、オールド・フェイスさん?」
「有り得ない……今のはおそらく【風】と【エクステンドフォトン】の効果だった。だが……あんな文字、見たことも……」
彼の呟きが拡声器に乗ることで、どよめきは更に大きくなった。
観客席だけでなく、貴賓席の姫君もまた、身を乗り出してリングを見つめていた。よほど興奮したのか、くだんの大剣まで抱え込んでいる。
「他国の未知の流派ということでしょうか?」
「……ん? あ、ああ……おそらくそうでしょう。そうに……違いない」
オールド・フェイスはまるで自分に言い聞かせるように言った。
「……フォトンに限らず、呪文も含め、魔法とは世界に対する交渉なのです。世界を説得できるだけの力があれば、魔法は発動する。……彼に関しては、我々の知らない交渉法を持っている……ということでしょう」
世界への交渉、それゆえに時間の巻き戻しや、死者の蘇生は不可能とされているという。
火や風を起こすのは世界が許容する実際に起こる概念であるが、時間操作や死者蘇生は自然には起こらないことであるからだ。世界自身が行わないことは交渉の余地がないと考えられている。
「な、なんと……! これは凄いことになったかもしれません! 異国からのダークホースが現れました!」
巻き起こる喝采に、わがことのように得意満面のゴシカが「ちぇいさー!」と何度も叫んでいた。
一方、当人である明はばつが悪そうにリングを降りていく。
だが、もっとばつが悪いのは次の試合の選手たちだった。観客の意識が前の試合に引っ張られたまま、主に基本のフォトンで地味に戦う羽目になったのだ。
以降はさして盛り上がることもなく、一回戦の全試合が終了した。
続いて始まるのは、八人が四人となったので、いわば準決勝となる二回戦。
明はいきなり第一試合であり、すぐに出番が待っていた。
「さぁさぁ、早くも期待の超新星と、ダークホースの対決です! 【熱風のアーチ】VS【千のフォトンを持つ男・アキラ】! 試合開始です!」
ドラがひと際大きく打ち鳴らされる。叩く役の男も余程テンションが高まっていたらしい。
リング上で向かい合う明とアーチ。
「さっきは、妙なフォトンを使ってたようだが……しょせんは邪道」
警戒はしているのだろうが、自信は残したままアーチが呟く。
「真の【エクステンドフォトン】を見せてやる」
アーチの指がローブの中で素早く何度も動く。
すると、空中に火の玉が出現、次にそれを引き裂くようにつむじ風が現れると、火を纏って明に向かって突き進んできた。
「これはすごい! 燃えるつむじ風です! こんな複合技、見た事がありません!」
「【テンコマンドメンツ】の力を知るがいい!」
意気揚々と叫ぶテール。
「ほう、【テンコマンドメンツ】――十文字使いか。あの年でそこまで至るとは、天才と言えるでしょう……だが……」
オールド・フェイスの視線は、テールには向いていない。明の一挙手一投足を逃すまいと、射殺さんばかりに向いていた。
その明だが――
「ちょっと危ないな」
目の前まで燃え上がるつむじ風が迫っているというのに、呑気な様子で、さらさらとよどみなく空中に指を滑らせる。
「どうしたんだアキラ選手! 全く動かずつむじ風が直撃―っ!!」
毛筆にも似た筆運びで現れたのは、【反射】であった。
無論、それを読める者などいない。
ゆえに、何が起きたのか、会場のほとんどの人間にはわからなかっただろう。
明に命中したかに思えた燃えるつむじ風は、急に方向転換してアーチの方に突っ込んでいったのだ。
「な、なに!?」
目をむいて驚くアーチ。
いや、アーチだけではない。会場全体が未知の光景に息を飲んでいた。
「う、うわあああ!!」
絶叫するアーチ。
だが、【空書き】の効果は短時間。運よく、彼の眼前でつむじ風は消えて行った。
「あ……あ……」
よほど恐ろしかったのか、彼はその場で腰が砕けて尻もちをついた。
「な、何が起きたのでしょうか……?」
再び、オールド・フェイスに説明を求めるラテミンだったが――
「バカな……あれは……まだ……」
幽霊を見たかのような表情でぶつぶつと呟くばかりで解説どころではないようである。
一方、リングではアーチが顔面を真っ赤にしていた。
「き、貴様! 何をしたァ! この天才のオレに、恥をかかせたなァ!」
激怒して喚き散らすさまは、幼子の癇癪を思わせる。
それを受けた側である明は、至って平静なままであった。
「なぁ、そう肩肘張らなくてもいいだろう? せっかく、書の道に入ったんだから、もっと心静かに、楽しんでみてもいいんじゃないか?」
「はぁ? 何を言ってるんだ貴様は! フォトンは勝つか負けるかだけだ! 何が楽しむだふざけやがって!」
血管を額に浮き出させ、感情のままに指を走らせるアーチ。
もはや冷静さを欠いた彼は、手がローブから出ていることにすら気づかず、腕を振るう。
空中に現れたのは、二文字だった。
二文字目は、明にも見覚えがあり、最初にゴシカに会った際に、彼女が使っていた【火】のフォトンと同じものだった。
その二文字が輝いて消えると、代わりに炎が吹き上がった。
「焼き尽くしてやる!」
「……【火】を【エクステンドフォトン】で強化したか。【風】のアトリエ出身だが、【火】に応用するあたり、やはり腕はあるが……」
炎は、そのまま明に向かって行く。
その明は、再び指を動かすと、【炎】を空中に描きだした。
瞬間、明の前から生まれた炎が、アーチの炎と激突。熱波をまき散らして互いに爆ぜ飛んだ。
「おおっと! 明選手も【炎】を生み出したー!! 同じ技の激突です!」
「同じなものか!!」
叫んだのはやはりオールド・フェイス。
「今のを見ていなかったのか! アーチは二文字で【炎】を生み出した。だが、アキラは一文字で【炎】を作り出したのだ! こんなことあり得ない!! 奴は、【大きな火】ではなく【炎】のフォトンを扱えるということか……っ!?」
これまでの丁寧な口調すら失い、主席魔導師が絶叫する。
「そ、そんなー! アキラ選手、【エクステンドフォトン】を使用せずに、それと同等の効果を生み出していたようです!」
アーチは死刑判決でも出たかのように顔面を蒼白にしている。
そこに全てを見下しているかのような、自信に満ち溢れたかつての輝きはない。
「な、なんなんだよお前……邪魔するなよ……オレの栄光の邪魔するなよ!」
髪をぐしゃぐしゃにかき乱し、叫ぶアーチ。
「落ち着け! あんたの努力はわかる。今回は、悪いが事故みたいなものだ」
「努力? オレがそんな能無しどものようなことをしているとでも言いたいのか!! ふざけるな!! オレは生まれながらの勝者なんだよ!!」
アーチは、めちゃくちゃに空中に文字を書き散らした。
火や水や、風がてんでばらばらに巻き起こる。
中には大きな火の玉や大風が吹き荒れ、リング上のタイルを引きはがしながら蛇行した。
「あ、危ない!! 気を付けてくださいアキラ殿!!」
リング脇で試合を見つめていたゴシカすら慌てて声を上げたほど、めちゃくちゃなフォトンの暴走だった。
だが、明は動じるでもなく、アーチの姿を悲しそうに見ていた。
「……そうか。多分、あんたは一度、ちゃんと負けたほうがいいのかもしれない」
静かにつぶやくと、指で宙に文字を描いていく。
「な、なんだそのフォトン数は……」
喚き散らしていたアーチですら息をのむ。
「なんなんだ……なんなんだよお前……フォトンシーフかなにかなのか……?」
空中に浮かんだのは【舞台内限定大雨洪水雷警報】の文字。
瞬間、天にわかにかき曇り、ゴロゴロと空が音を立て始めた。
「ど、どうしたことでしょう!? リングの上空だけ黒雲が現れました!!」
「バカな……十文字使えれば【テンコマンドメンツ】と称される……だが、「一度に」十文字以上使えるなど……そんな……そんなことがこの世に有り得るのか……!?」
オールド・フェイスは立ち上がり、机についた両腕を震わせていた。
明は、自分の立っているタイルに【安全地帯】と指でなぞる。
それから少し離れた床にも別の文字を書きこむ。
直後、激しい雨が降り始めた。
その凄まじい勢いは、風や火の玉すらあっという間に押しつぶしてかき消してしまうほどである。
「うおあ!?」
降りしきる雨がまともに立っていられないほどアーチの体を打つ。
続いて雷が落ちた。
空気を引き裂く爆音が鳴り響き、会場に絶叫が走る。
「か、雷ですうーーー!! なんということでしょう!? これは大導士級の……」
「そんな生易しいものではない!! これは……神の領域だ! 見ろ! 落雷が止まらん!!」
雷が次々と落ちる。間断なく降り注ぐ青い閃光。
雷が落ちたのは、明が【避雷針】と書き込んだ床に集中しており、アーチがそれに打たれるということはない。
その間にも雨は降り続け、石舞台の上を激しく流れていく。
滝のように溢れだした水が、そのままリング外の芝生に吸い込まれていく。
「ひいいい!?」
もはやリング上にアーチの姿はない。
押し流されたのか逃げたのか、リング外で震えていた。
やがて、フォトンの効果時間が切れ、雲が消えていく。雨は止み、雨水は下に流れて消えていく。
その隙間から、太陽の光が差し込んだ。光が屈折し、虹を描く。
虹の下に現れたのは、全く濡れることなくその場に直立している明の姿だった。
「しょ……勝者、アキラ選手……」
あまりに現実離れした光景に、ラテミンは呆然としたまま、そう告げた。
一瞬の静寂。
そして、次の瞬間、爆音にも似たすさまじい歓声が沸き起こった。
「……やりすぎたかな……いや」
――気分が悪い。
わかっていたこととはいえ、他人を打ち負かすことは、彼にとって気持ちの良いものではなかった。
一生をかけて、それをフォトンに捧げてきた者を、何の努力もなく打ち倒したのだから余計にそう感じる。
そしてなにより、誰も自分の書を見ようとはしてくれなかった。
付随する魔法にばかり目を取られている。
こんなことに何の意味があるのだろう。
勝者である明に笑顔はなく、ただ苦笑して踵を返す。
そんな、困惑する明の目に映ったのは、破顔して腕をぶんぶん振り回すゴシカ。
遠くには、顔を真っ赤にしている姫君らしき人物、大騒ぎしているラテミン。
そして、悪鬼のごとき形相のオールド・フェイスだった。




