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後編




「……抱いちまえばいいのに」


「……?」


 吸い殻を灰皿に落とし、独り言のように呟かれた毅流(たける)の言葉に、貴久(たかひさ)は首を捻る。


「あのワガママっ子だよ」


「……そういう冗談は好かないと言ったはずだ」


「おう、聞いた。だから冗談じゃなくマジ。好きなんだろ?」


「違う……」


「違わねぇよ、見てりゃ分かる」


「なにを根拠に、」


 毅流は、ポーカーフェイスを装うその顔を見据えて言う。


「分かるって。同じ『雄』だから」


 貴久は頭を振った。


「なにを言い出すかと思えば……ならジャンのことだって分かるだろう? もっと信用してやったらどうだ?」


 その言葉に、毅流は喉の奥で低く笑った。


「アイツはまだ『雄』じゃねぇもんよ。俺がお前にあの子を『貰っちまえばいいのに』っつった時、冗談だと思って迷わずノッてくるヤツだぞ?」


「ジャンを馬鹿にしてるのか、」


「違ぇよ、それがむしろ好ましいんだ」


 毅流はもう一本煙草を取り出して咥え、貴久を人差し指で招く。


「火ぃ」


「……一本だけと言っただろう?」


「んなもん、吸っちまったら一本も二本も変わんねぇよ。いいから火」


 貴久は呆れつつも、咥えたそれを指で固定し顔を近づける。毅流がそのまま立ってると、身長差のせいで貴久が仰ぐ形になる。


「……毅流も少し屈め。遠い」


「ん」


 催促され毅流が少し前のめりになると、貴久の煙草が終わりに近づいていて、さっきよりも距離が近付く。上向き加減でいるため、今度は目が合った。


「……なんだ?」


 怪訝そうに貴久の眉が寄る。


「いや……」


 火種を得ると、毅流は宙を仰いだ。人の気も知らず、一片の曇りなく晴れた空。それが無性に癇に障って、煙で雲を描くよう真上に向かって煙を吐いた。


「……なんつーかさ。お前も中二ン時だっけ、初めて女とシたの。俺もおんなじ。

 そん時はそん時ですげぇ夢中になったけどよ……たまにふと思うんだよ。『なーんか色々すっ飛ばしちまったなぁー』って。ガキだからこそ夢中になれたこと、他にもっとあったんじゃねぇかなって」


 毅流の場合は好意が高まった末の行為だったが、貴久は違う。十歳以上年上の女性から強引に迫られ、身体の欲求に流されて関係を結んでしまった。

 だからこそ余計にそう思うんじゃないかと思い見下ろすと、案の定貴久は小さく頷いた。


「言いたいことは、分かる……」


「だからさ。演劇にしか興味ねぇような、青臭ぇアイツと馬鹿やんのがすっげぇ楽しんだよ。すっ飛ばしてきちまった色々を取り戻せるようなカンジがして」


 毅流の言葉に、貴久はからかうように目を眇める。


「……ジャンにずっと童貞でいろってことか?」


「あー、是非そうして頂きたいね。少なくとも高校卒業するまでは」


 毅流が悪びれずにニッと笑うと、


「酷い親友がいたものだ……」


 貴久は苦笑して緩く首を振り、吸い終えた煙草を灰皿に押しつけた。


「もう一本付き合わねぇ?」


 毅流が煙草を差し出してくる。どうやらまだ話したいことがあるらしい。それも普段は言えない類の。

 そう察した貴久は、素直にそれを受け取り咥えた。本当は、初めて身体に入れたニコチンで手足の先が冷たくなるのを感じていたが、拒めば毅流が口を閉ざしてしまいそうな気がした。

 諦め悪くライターを試そうなんて思いもせず、躊躇わず顔を寄せる。息がかかるほど間近に迫る、肉食獣を思わせる毅流の眼。目的を果たしても、毅流は身体を退くことをしなかった。


「抱いちまえばいいのに」


 野性的な瞳の色そのままに、毅流がまた同じ台詞を口にする。


 ──あぁ、話をしたかったんじゃなく、自分から話を引き出したかったのか。


 気付いた時にはもう遅い。火の点いてしまった煙草のフィルターを噛む。

 ニコチンは血液に乗り身体中を駆け巡る。中毒性の高い毒に、身体の隅々まで犯されていく。ぼうっとする頭を軽く振り、貴久はキツく眉根を寄せ、背中をべったりと壁に預ける。


「……そんなんじゃないと、言っている」


 毅流は貴久の前に回り込み、壁に片手をついて正面から見下ろす。


「隠しても無駄だぜ? お前があの子を甲斐甲斐しく世話してやってる時の眼。大体過保護なパパみてぇなクセに、たまに物欲しそうな眼ぇしてる」


「思い違いだ」


「そっかな?」


 じゃあ、と毅流は尖った犬歯を剥き出して笑う。獲物を見つけた獣のようだと貴久は思った。


「俺が貰っちまおうかな」


 乾いた唇を舌で湿らせ、目の前の男はとんでもないことを言う。けれど、貴久にはそれが嘘だとすぐに分かった。


「……そんなこと言って、けしかけようとしても無駄だ。そんな気もない癖に……」


「どうしてそう思うんだよ、」


 そう聞かれてしまうと、特にこれといって根拠はない。けれど毅流が、貴久にとって大事な“あの子”を好きでいるわけじゃないことは分かる。

 返事に困って、貴久は煙草を一口吸ってから言う。


「……同じ『雄』だから……」


 毅流の言葉を借りて答えると、毅流はどうかなと首を傾げる。


「あの子も同じ『男』だからって油断してねぇ? 半分は違うんだろ?」


 毅流の言う通り、貴久が大事に思うその子は、戸籍上も本人の意識も『男』ではあるものの、身体はインターセックス……つまり半陰陽と呼ばれる性別に属している。

 本人は当然それを酷く気にしていて、だからこそ恋愛に関することはとてもデリケートな問題なのだ。到底思いを告げることなどできない。


「……それでもお前が本気で狙っていないことくらい、分かる……」


「同じ『雄』だから?」


 愉しそうに尋ねられ、貴久は目で頷いた。


「だから俺も分かるんだって、お前があの子を好きなことくらい」


 壁につく手を両手に増やされ、貴久は壁と毅流の腕に囲まれ逃げ場を失った。


 思えば、最初から完全に毅流の策中にあった気がする。そもそもここへ来ようと誘ったのは毅流だ。

 まず自分が喫煙者であることを明かして弱みを見せ、軽い揺さぶりかけた後、他の仲間にも言えない同じ悩みを共有し、同族意識を持たせた上でこれだ。

 考えてみれば、あだ名でなく名前で呼ぶよう強いたのも、親密さを強調して自分の本音を引き出す気だったんだろう。


 ──普段馬鹿なことばかり言っておどけている癖に、本当に油断ならない男だ。


 貴久は白くけぶるため息を吐いた。

 そもそも、女性経験があるからといって、その根本は異なっている。

 相手の求めに応じて流され、閨の手管ばかりを仕込まれた貴久。

 どんな術を使ったのかは知らないが、思い定めた相手を射止め、身体の扱いばかりでなく男女の駆け引きも経験した毅流。

 『雄』としての経験も力量も、圧倒的に毅流の方が上だ。

 完全な敗北を認めながらも、それでも口を割らずにいることが、貴久に残された最後のプライドだった。例え見透かされていようとも。


 貴久が黙っていると、再び毅流が口を開く。


「あの子は、自分の特殊な身体のことで悩んでるワケだろ? ならなおのこと抱いてやりゃいい」


「意味が分からない、」


「だってそうだろ? あの不思議な身体で、誰かに愛して貰えるのかが一番不安なんじゃねぇか。だったら話は早ぇ。とっとと告っていただいちまえ」


「………あのな……」


「そうすりゃ手っ取り早く自信つけてやれるじゃねぇか。自分のことが好きで、自分の身体に興奮して抱いてくれるヤツがいりゃあよ。それだけで、自分の存在が受け入れられたって安心すんじゃねぇ?」


 具体的な言葉に少しだけ甘い想像してしまいかけて、貴久はまた首を振った。


「……人間みんなお前みたいな考えだったら、世の中さぞ平和だろうな……」


「…………強情だな、お前も」


 毅流だって、何も勝算なしにこんなことは言いはしない。あの子は『雄』じゃないが、その視線がよく貴久を追っていることくらいは気付いていた。

 でも貴久が認めない以上、教えてやる気はさらさらない毅流である。

 残りわずかになった煙草の最後の一口を吸って、頑なな貴久の顔に煙を吹きかける。貴久は髪や肌にまとわりつく煙を鬱陶しそうに払った。


「……やめろ、匂いがつく」


「今更、」


 毅流は気付いていた。貴久は常に煙草を持った手を身体から離し気味にして、風下に向けて煙を吐いていた。少しでも匂いがつかないように。

 毅流は吸い殻を指に挟んだまま、腕の間に捕らえた貴久の首筋に鼻先を寄せた。獣のように匂いを確かめる。


「手遅れ」


 その仕草に焦った貴久は、両手で毅流の肩を押し返す。


「っ……なんなんださっきから、近いっ」


 毅流の頑丈な身体はびくともしない。

 それどころか、その身体が発し始めた不穏な熱気に、同じ『雄』だからこそ貴久は嫌でも気付いてしまった。

 抱くの抱かないのと、そんな話をしていたからだろうか。感情や好意を必要としない純然たる『雄』の欲求。その熱を、内外ともに野性的な毅流は隠そうともしない。

 武骨な指で、貴久の唇に触れる。


「衝動っつーか……そういうの、ねぇ?」


 押し付けあう煙草の先端から炎が燃え移るように、その指先から危うい熱が伝わってくる。ニコチンのように瞬く間に身体中に伝播して、思考を灼き切られそうになる。貴久は歯噛みしつつもそんな自分を自覚した。

 そして恐らく、『雄』である毅流にも感づかれている。


「……ない、」


 貴久が乾いた喉から言葉を押し出すと、毅流は完全に見透かした顔で、意地悪くニヤけたまま眉を跳ね上げる。

 精神的な敗北を喫したあとでは、力づくで抗う気も起きなかった。抗ったところで、いかに長身の貴久とはいえ、それを上回る背と武道で鍛えた体躯を持つ毅流は、到底かなう相手じゃない。


「…………ことも、ない……」


 どうせ見透かされてしまっているんだ、どうとでもなれ。

 半ば投げやりに貴久は目を伏せる。観念した獲物に食らいつこうと、毅流が顔を寄せた──その時。


 貴久の携帯が鳴った。休憩中はマナーモードを解除していたので、けたたましくコール音が鳴る。貴久らしく、機種の初期設定そのままの無機質なベル音が、雄達の正気を呼び覚ます。

 貴久はポケットから携帯を取り出し、画面を開く。相手の名前を見た途端かすかに緩む頬に、毅流は電話の相手を察した。

 つい今し方の欲求も衝動もまるで感じさせない声音で、貴久は電話に応じる。


「……もしもし、」


『ねぇ、ちょっと今どこに居んのー? 相模(さがみ)もいないんだけど、一緒にいる?』


 通話口から漏れる甲高い声が、毅流の耳にも届く。

 どこと聞かれて答えられるはずもなく、貴久は言葉を濁す。


「一緒だが……えっ、と……」


『2人の分もアイス買ってきたよ! ジャンと、ついでに天野の分も。溶けちゃうから早く戻ってきてよ、1分以内ね。遅れたら2人の分も食べちゃうからねっ』


「え、」


『あ、ちなみに伊達(だて)の分は僕が最後まで買うか悩んだヤツだから、一口寄越すよーにっ』


「……それは、構わないが……」


『あー、あともう45秒! ダッシュダッシュー!』


 楽しげにそう言うと、一方的に通話が切られた。


「………アイス、」


 貴久がそれだけ言うと、通話が丸聞こえだった毅流は、貴久の手から既に燃え尽きていた吸い殻を引ったくって、自分の分と一緒に灰皿に放った。代わりにその手に眼鏡を押し付ける。


「ヤベヤベ、あと30秒くらいか? 急げ!」


 言うが早いか、すっかり普段通りの調子に戻って駆け出す。若さ故の衝動は、アイスの誘惑の前に呆気なく霧散した。



 階段を駆け降りながら、アイスというより電話のあの子目指して走る貴久を、毅流は半ば呆れながら横目で見やる。


 ──なんであんな跳ねっ返りがいいかね。


 物好きなのか悪趣味なのか。容姿は確かに中性的で魅力的だが、口を開けば毒を吐き、ツンと冷たく棘で刺す、そんな子だ。もちろん、他人思いだったり真面目な一面もあるけども。


 ──オマケになんで気付かねぇのかね。


 あの子は最後まで買うか買うまいか悩んで、『一口寄越せ』という物を、他の誰でもなく貴久の分として買ってきた。

 一見すると、ただ単に自分の食べたい物をごり押ししたようにも見える。例えそうだとしても、その甘えを貴久だけに示しているのに。

 それによくよく考えれば、自分がおいしそうだと思った物を貴久のために買ってきたあの子の気持ちが、わかっても良さそうなものなのに。


 隣を走る貴久の視線は、行く先だけを真っ直ぐに見つめている。

 さっきは毅流の心中を言い当てて見せ、確かに『雄』の一面も見せた男の横顔は、今やただご主人様の元に馳せ参じる忠犬のようだった。


 ──一途になると、周りが見えなくなっちまうんだろうなぁ。


 込み上げる笑いを噛み殺し、“相模”は“伊達”と共に廊下を駆け抜けた。




              ─了─




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