第72話 可愛い妻のために、バースデーケーキはミルクレープで
九月十八日は、万智子の誕生日。
日々、覚のコミカライズ原稿に勤しむ彼女のために……覚は、少し時短ではない『ケーキ』を作ろうと意気込むことにした。
と言っても、材料を用意しておけばそこまで難しくはないものだ。
・生地
卵
砂糖
塩
溶かしバター
小麦粉
ココアパウダー
牛乳
チョコ
・トッピング
無塩バター
スライスアーモンド
・クリーム
砂糖
生クリーム
ゼラチン
水
これらを使って作るのは……『ミルクレープ』。
しかも、季節は早いが、切り株のケーキとして有名な『ブッシュドノエル』風に仕立てるのだ。クリスマスに用意してもよかったが、結婚式を控えているので余裕のある今のうちに作ってみたかったのである。
ふやかしたゼラチン、溶かしバターを用意したら。ボウルに卵と砂糖を加えて混ぜ、牛乳を加えてさらに混ぜる。粉類をふるったら、回数を分けて卵液に加えて混ぜる。ここで、バターも分離しないようにゆっくり混ぜるのがコツだ。
「これを、クレープの要領でたくさん焼いて」
甘い匂いが漂うのは仕方ないが、万智子が作業している部屋とキッチンはそこそこ離れているので換気扇を『強』にして作業しているのだ。今日は午後休にしてあるので、家にいてもおかしくないように万智子の前ではキッチンで常備菜とおやつを作るからと言ってある。
常備菜は昨日あらかじめ仕込んであるので、たしかにおやつを準備するのは間違っていない。しかし、ケーキに『冷やし』の時間はそこそこ必要なのでわざわざ休みを作るなど……かつての恋人たちにはしてこなかった気がする。
結婚して二年経つが、それだけ彼女に惚れたせいだろう。覚の意外と淡泊な性格を万智子は知らないのだ。興味ないことに関しては、実の姉弟だちと同じだ。理由をなにかしらつけて、家族とも会わないようにしたのも一度や二度じゃない。
今年の帰省については、母がシビレを切らしてあんな食事会になったが。姉たちはそこそこ、万智子のことを気に入った様子だった。でなければ、会話もろくにしないのに。自分から聞き出すことをしたのだから。
「よし。冷ましている間にクリーム作って」
普通のホイップクリームと違うのが、『固める』ことを意識してふやかしておいたゼラチンを使うことだ。これがあるだけで、ゆるいが固めのホイップクリームが出来る。七分目までホイップした生クリームに、レンチンしたゼラチンを加えてしっかりホイップ。
冷めた生地を『巻く』のに、等間隔に並べてからクリームをしっかりと塗る。
一回目。
二回目。
三回目……。
と、生地とクリームを使い切るまで巻き終えたら……ラップに包んで冷蔵庫で一時間くらい冷やす。
(本当に、時短じゃないな……このケーキって)
あとは、仕上げに湯煎したチョコとバターを混ぜたものを上から塗り、さらに冷やすだけなのだが。いつもの『楽』『早い』を意識した調理工程では全然ない。
可愛い可愛い奥さんのために、誕生日にこんな凝ったものを作ったのは……毎日のように、朝と夕に見れる食べるときの可愛い笑顔が見れるからだろう。毎日毎秒、惚れ直している自信は覚にはあった。
本当なら、結婚式も豪華な装いにしてあげたかったが。レストランウェディングについては、万智子も乗り気だったのでそれはそれで安心した。
正社員の給料と、副業の印税でそれなりに貯蓄はあるのだが。万智子の貯蓄を思うと、たっぷりは使えないと踏んでの提案だったのだ。
これから何年も共に生活するし、子どもだっていずれは出来るだろう。
そのための貯蓄は今からしっかりした方がいい。それに、まったく結婚式をしないわけではなかったのだから、それでいいと頷いてくれた。
若いのに、理解力のある奥さんで本当に幸せだと、意見が合致する度に思ってしまう。
それならせめて、節目の誕生日くらいは、奮発よりも作り甲斐のあるもので喜んでもらいたかった。
「マチちゃん。おやつ出来たよ~?」
「ほーい」
二時間弱、仕込みに時間をかけたのを悟られないように……片付けも入念にしてから声をかければ。部屋の中からは、力の抜けた声が聞こえてきた。ひと段落ついたか、原稿と戦っている最中だったかもしれない。
なら、覚に出来ることと言えば。
「ハッピーバースデー、マチちゃん」
と、部屋の飾りつけはしないが、テーブルだけはそれなりに整えた準備をしたまでだ。
「……今日、だっけ?」
そして、それなりにサプライズになったのか。万智子は自分の誕生日をすっかり忘れていたらしい。軽く吹きそうになったが、座ってと促してから……まずは、ケーキの前にプレゼントを渡してあげた。
「はい。誕プレ」
「開けていい?」
「もち」
「どれどれ……わ! 作業用のグローブ?」
「使い込んでいたようだし、いいかなって」
「いや~、マジで買い替えようか悩んでたから……」
イラストレーターにも手は神の道具とも言われている大切なものだ。ペンだこを作りやすい万智子のグローブは少しほつれはじめていたため、今回選んでみたのである。さっそくはめてくれれば、手に馴染みやすいのかで笑顔になった。
「さ。ケーキはこれだよ~」
「お~? クレープ? ブッシュドノエル??」
「その両方。ココア生地でそれっぽくしてみた」
「わ~~!!」
切り分けて前に置けば、甘いものを欲しているような蕩ける笑みに変わった。
このコロコロした表情の変化も、覚が彼女に惚れた要素のひとつである。喜怒哀楽がはっきりしていて、愚痴があっても相手を貶したりすることは苦手。例のお局については例外だが、基本的に素直な性格だ。
それだから、ネット上の友人付き合いでもあれだけ長い間交友出来たわけで。
「どーう?」
「おいひぃ~。クリームもさっぱりしてるし、クレープはもちもちしてる~」
「今日のはミックス粉じゃないんだよ」
「え? 一から?」
「大事な奥さんの誕生日だからね!」
「……ありがと」
と、俯いて赤くなるところも可愛くて仕方がないが。
そろそろ、夜の許可はいただけないか……三大欲求のせめぎ合いにブレーキをかけるのがしんどいのも本音のひとつだった。
結局は、共寝も出来ず。万智子は原稿で忙しいからか、自室で休むと断言された。
次回はまた明日〜




