風間の烙印と、誓いの手
ミラと呼ばれる少女に腕を引かれながら、カイトは雪に覆われた山村の細い道を歩いていた。
やがて村の中央広場へ辿り着いたその時――。
カイトは思わず足を止め、愕然と空を見上げた。
そこには、巨大な氷の女神像がそびえ立っていた。
鋭い顔立ちに、肩まで流れる長い髪。
古びた金属製の鎧を身にまとい、その周囲には巨大な黄金の輪が幾重にも浮かび、神秘的な力を静かに放っている。
像の足元では、村人たちが巨大なかがり火を焚き、その炎が辺りを橙色に染めていた。
彼らは敬虔な表情で像の周囲を巡りながら、意味の分からない祈りや儀式の言葉を口にしている。
まるで、この凍てついた女神へ生贄を捧げ、怒りを鎮めようとしているかのようだった。
カイトは震える瞳で氷の女神の虚ろな瞳を見つめる。
背筋を冷たい悪寒が駆け抜けた。
その時だった。
ミラが容赦なく彼の背中を押し、村の外れにある暗い岩窟の入口へと連れて行く。
洞窟の中は湿気と腐臭が充満していた。
両側には錆びついた鉄格子の牢が並び、重苦しい空気が漂っている。
通路の奥には、先ほどミナトを捕らえた白い毛皮の外套を着た三人の男たちが待っていた。
一人の男がミラへ振り向き、布で覆われた口元の奥から皮肉交じりに言う。
「おや、ミラ。
お前も一匹捕まえたのか。
最近は山賊どもが森の中でずいぶん増えているようだな。」
カイトは慌てて叫んだ。
「山賊!?
ち、違います!
僕たちはそんな者じゃありません!
ただの高校生――」
「黙れ。」
ミラは鋭い青い瞳で彼を睨みつけ、冷たく言い放つ。
「誰もあなたの話なんて聞いていない。」
カイトは恐怖のあまり言葉を飲み込んだ。
ギィィィ……。
耳障りな金属音を立てて牢の扉が開く。
ミラはカイトを乱暴に押し込み、彼は石畳へ倒れ込んだ。
直後、鉄格子は重々しい音を立てて閉まり、大きな錠前が掛けられる。
再び静寂が戻った。
カイトはゆっくりと顔を上げる。
薄暗い牢の隅に、一人の少年が座っていた。
見覚えのある姿だった。
「ミナト……!?」
カイトは駆け寄り、不安そうに尋ねる。
「何か知ってるのか!?
あいつら……僕たちを殺すつもりなのか?」
ミナトは疲れ切ったような青い瞳をゆっくり向け、静かに答えた。
「さあな。
俺たちはただの捕虜だ。」
その一言で、カイトの心は完全に折れた。
彼は冷たい石床へ膝をつき、茶色い髪を両手で掴みながら叫ぶ。
「終わりだ……!
僕たちはもう助からない!
家畜みたいに殺されるか、服を剥がされて、この極寒の中で凍え死ぬんだ!」
しかし――。
カイトは違和感に気づいた。
ミナトは驚くほど落ち着いていた。
死を目前にした人間とは思えないほど静かだった。
カイトは信じられないという表情で尋ねる。
「どうして……。
どうしてそんなに落ち着いていられるんだ?
死ぬのが怖くないのか!?」
ミナトは小さく息を吐き、ゆっくりとカイトの前へ歩み寄る。
そして真剣な眼差しで彼を見据えた。
「よく聞け、カイト。
お前に話さなければならないことがある。」
カイトは息を呑む。
「もし……この世界で俺たちが死んだら。
俺たちは元の世界へ戻る。」
一瞬でカイトの表情が明るくなった。
「ほ、本当か!?
じゃあ問題ないじゃないか!
殺されたって構わない!
目が覚めれば自分の部屋で、元の生活に戻れるんだろ!?」
しかし、ミナトは重い声で続けた。
「……だが。」
カイトの笑顔が凍りつく。
「……だが、何?」
ミナトは右手を持ち上げ、制服の袖をゆっくりとめくった。
手首には奇妙な光る紋様が浮かび、その中央には――
**95%**
という数字が刻まれていた。
ミナトは恐怖を押し殺した声で話し始める。
「この世界で、俺は一度死んだ。
そして現実世界で目を覚ました時、この数字が現れたんだ。」
彼は拳を握り締める。
「もし、この世界で何度も死んで……この数字が『0%』になったら――」
一瞬言葉を失い、瞳に本物の恐怖が宿る。
「俺たちは現実世界でも死ぬだけじゃない。」
「……完全に消える。」
「家族も、友人も、誰一人として俺たちの存在を覚えていない。」
「まるで、この世界に最初から生まれてこなかった人間のようにな。」
カイトはその場で凍りついた。
顔から血の気が引き、外に積もる雪のように真っ白になる。
「消える……?」
かすれた声でそう呟くと、再び膝から崩れ落ちた。
「消えるだって!? そんなの……死ぬより何百万倍も最悪じゃないか!」
絶望に満ちた叫びが牢獄中に響き渡る。
「なんで……なんで俺は、あの倉庫の呪われた鏡なんかに入っちまったんだ!? 触らなければよかった……! 一族で一番の落ちこぼれのままでよかった! こんなふうに、この世から消されるくらいなら……!」
その言葉に、ミナトは眉をひそめた。
「一族って……どういうことだ?」
カイトは叫ぶのをやめ、膝を抱えるようにうずくまる。
重苦しい沈黙の中、震える声で語り始めた。
「俺は……『風間一族』の人間なんだ。
父は現当主で、兄弟たちはみんな剣道も柔術も弓道も一流だった。全国大会で何度も優勝するような、本物の天才ばかりさ。
でも俺だけは違った。
何をやっても才能がなくて、一族の恥、出来損ないの後継者って、ずっとそう呼ばれてきた。」
カイトは拳を強く握り締める。
関節が白くなるほど力を込めながら、涙をこらえるように続けた。
「父さんは、俺のことを風間の名を汚す存在だと言った。
だから俺を家から追い出して、一人で東京へ行けって……。」
彼は唇を震わせた。
「今でも忘れられない。
あの人が最後に俺へ向けた言葉を……。」
カイトはゆっくりと目を閉じる。
「『弱者に風間の名を名乗る資格はない。この瞬間から、お前はもう私の息子ではない』って……。」
牢の中に重い沈黙が落ちた。
ミナトは胸を締めつけられるような痛みを覚える。
カイトの過去は、七人家族の中で居場所を失い、拒絶され続けてきた自分自身の姿を映す鏡のようだった。
ミナトは一歩近づき、震えるカイトの肩にそっと手を置く。
「カイト……よく聞いてくれ。」
静かだが、温かい声だった。
「俺たちは、本当によく似ている。
生まれた場所で否定され、弱いという理由だけで踏みにじられてきた。
俺も毎日のようにいじめられていた。
そして、この手に刻まれた数字の真実を知った時……俺は一度、生きることを諦めかけた。」
カイトは涙で濡れた目を見開き、ミナトを見つめる。
ミナトの青い瞳には、もう迷いはなかった。
そこには鋼のような覚悟だけが宿っていた。
「でも……もう逃げないと決めた。
この狂っていて、残酷な異世界は――
俺たちの墓場なんかじゃない。
俺たちが、本当の自分を証明するための、たった一度きりのチャンスなんだ。」
そう言って、ミナトは右手をまっすぐカイトへ差し出した。
「一緒に来るか?
一緒に戦おう。
この世界にも、俺たちを見下してきた家族にも、そして俺たちを笑ったすべての奴らにも――
俺たちが何者なのか、証明してやろう。」
カイトは差し出されたその手をじっと見つめた。
その瞬間、ずっと昔に失ったはずの何かが、胸の奥で再び鼓動を打つ。
――希望だった。
父に。
一族に。
自分は決して無価値な人間ではないと証明するための、最後の機会。
涙を流しながらも、カイトの口元には力強い笑みが浮かんだ。
彼は立ち上がると、迷うことなくミナトの手を強く握る。
「もちろんだ!
俺はお前と一緒に行く、ミナト!
一歩ずつ前へ進んで、この世界に俺たちが何者なのか見せつけてやろう!」




