救済という名の監禁
二人の吐く息は、滝のような白い蒸気となって空へと消えていった。
雪に足を取られ、そのたびに脚は悲鳴を上げる。肺は焼けつくように痛み、今にも力尽きそうだった。
だが――死は、立ち止まることなど許してはくれない。
巨大な兎とその子どもは、獣じみた執念で雪原を引き裂きながら追いかけてくる。鋭い爪が氷を削る金属音は、刻一刻と近づいていた。
走りながらミナトは振り返り、死人のように青ざめたカイトの顔を見て、吹雪の中で叫んだ。
「カイト! ここは別れて逃げた方がいい! 二人一緒じゃ格好の標的になる!」
カイトは恐怖で顎を震わせながら叫び返す。
「正気か!? そんなことをしたら確実に死ぬ! こういう時は一緒にいるべきだろ!」
ミナトは希望を捨てたような冷たい声で言った。
「この化け物に追われてる限り、どのみち俺たちは死ぬ! いいか、前に雪に覆われた森が見えるだろ。あそこへ入った瞬間、それぞれ別方向へ走るんだ!」
カイトの目から流れ落ちた涙は、頬を伝う途中で凍りついていく。
「くそっ……! わ、分かったよ!」
二人は雪に埋もれた森へ飛び込んだ。
木々が視界を遮ったその瞬間、二人は別々の方向へ散った。
カイトは右へ。
ミナトは左へ。
ミナトは何度も後ろを振り返りながら必死に走った。
やがて巨大な兎が追ってきていないことに気づき、小さく息を吐く。
「どうやらカイトの方へ行ったみたいだな……。
くそ……生き延びてくれ。」
しかし、その静かな森には、魔物以上に恐ろしい罠が潜んでいた。
突然、ミナトの足が雪の下に埋もれていた何か硬いものを踏み抜く。
――カチッ。
不気味な音が響いた。
次の瞬間。
足元から青白い閃光が迸る。
雪の下に隠されていた球状の青い結晶が砕けるように輝き、無数の魔力の檻が一瞬で形成された。
透明な水晶の柱が地面から立ち上がり、稲妻のような速度でミナトを囲い込む。
「な、何だこれ!? 罠なのか!?」
ミナトは拳で、肩で、全身で檻へ体当たりした。
しかし水晶の檻は鋼鉄よりも頑丈だった。
傷一つ付かないどころか、叩くたびに彼の力だけが奪われていく。
その時だった。
雪に覆われた茂みが揺れた。
そこから三人の人影が姿を現す。
彼らは見慣れない獣の毛皮で作られた白い厚手の外套を身にまとい、顔は布で覆われていた。
一人が冷たい視線でミナトを見下ろし、仲間へ命じる。
「珍しい服装だな。
いい獲物だ。
拘束して、キャンプへ連れて行け。」
◇ ◇ ◇
一方その頃――森の反対側。
カイトは限界を迎えていた。
息は完全に上がり、深い雪の中へ膝をつく。
これ以上、一歩も動けない。
その瞬間。
目の前の雪が大きく弾け飛んだ。
巨大な親兎と子兎が現れ、牙を剥いて立ちはだかる。
逃げ道は完全に塞がれた。
――終わった。
カイトの心は完全に折れた。
震える両手をゆっくりと上へ上げ、涙を流しながら必死に命乞いをする。
「お、お願いだ……!
食べないでくれ!
ぼ、僕は一度だって動物を傷つけたことなんてない!
蟻だって……蟻だってわざと踏んだことなんてないんだ!
本当なんだ!」
だが親子の兎は、人間の懇願など意にも介さなかった。
二匹は大きく口を開き、血に濡れた長い牙を剥き出しにする。
母兎は鋭い爪を振り上げ、カイトの胸を引き裂こうとした。
カイトは固く目を閉じた。
死を受け入れ、爪が肉を裂く瞬間を待つしかなかった。
――ヒュオオオオッ!!
鋭い風切り音が雪原を裂いた。
吹雪の向こうに、一人の若い少女が立っていた。
彼女が片手を掲げると、青い魔法陣が幾重にも展開される。
そこから無数の蒼く輝く魔法の矢が生み出され、豪雨のように降り注いだ。
ドッ!
ドッ!
ドッ!
矢は巨大な兎の身体を寸分違わず貫いた。
親兎はその場に崩れ落ち、真紅の血が純白の雪を染め上げる。
子兎は恐怖の悲鳴を上げると、一目散に森の奥へ逃げ去っていった。
カイトはゆっくりと目を開く。
魔物の死体を見つめ、それから少女へ視線を向けた。
「だ、誰が……助けてくれたんだ……?」
少女は静かな足取りで近づいてくる。
白い毛皮の外套の下から現れたのは、海を思わせる短い青髪。
そして、氷の結晶のように澄み切った鋭い青い瞳。
この氷雪の世界に溶け込むような、美しくも冷たい少女だった。
カイトの心臓が激しく高鳴る。
今度は恐怖ではなく、安堵と感謝からだった。
「ほ、本当にありがとうございます!
命を救っていただいて……何とお礼を――」
しかし少女は笑わなかった。
返事すらしない。
一瞬の動きで腰から重い金属製の手枷を取り出す。
表面には魔法文字が刻まれていた。
ガチャン――。
容赦なくカイトの両手首へとはめる。
カイトは呆然と手枷を見つめ、慌てて叫んだ。
「な、何をするんですか!?
どうして僕を拘束するんです!?
僕は敵じゃありません!」
少女は冷え切った青い瞳で彼を見据え、感情のない声で言った。
「黙ってついて来い。
さあ、歩け。」
カイトは唾を飲み込んだ。
魔法の手枷は、体温までも奪うような冷たさを放っていた。
暗い森を見渡した彼の胸に、得体の知れない恐怖が静かに囁く。
――巨大兎から助かったことは、終わりではない。
それは、自分たちに待ち受ける、さらに危険で悲惨な運命の始まりにすぎなかった。




