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薄暗い洗礼、動き出す疑念

ミナトはマリーと並んで、オリメスの街を歩いていた。


周囲では商人たちの呼び声が響き、焼きたてのパンの香りが香辛料や焼いた肉の匂いと混ざり合っている。


人々はあちこちを行き交い、荷車を押す者もいれば、笑いながら会話を交わす者もいた。


静寂を破ったのは、横目でミナトを見ながら話しかけるマリーの声だった。


「ミナト……一つ聞きたいことがあるの。」


ミナトは彼女の方を見る。


「何ですか?」


マリーは少し首を傾げ、興味深そうな表情を浮かべた。


「あなたは、どこから来たの?」


ミナトは一瞬固まった。


危うく――


「俺は別の世界から来ました。」


そう言いかけた。


だが、その言葉は喉の奥で止まる。


唇を強く閉じ、心臓が激しく脈打つのを感じた。


知り合ったばかりの相手に、本当のことを話すのは危険かもしれない。


そう思ったのだ。


静かに息を吸い、作り笑いを浮かべる。


「俺は……小さな村の出身です。」


一瞬だけ言葉に詰まりながら続けた。


「家族と一緒に野菜や果物を育てて、それを売る手伝いをしていました。」


マリーは黙って彼を見つめ、それから少し目を細めた。


「つまり……農家なの?」


ミナトはすぐに頷く。


「はい。」


マリーは一歩近づき、頭の先から足元までじっくり見渡した。


そして腕を組む。


「変ね……。」


ミナトは緊張したように眉を上げた。


「何がですか?」


マリーは小さく微笑む。


だが、その笑みには疑いが混じっていた。


「あなた、全然農家には見えないもの。」


そう言いながら、彼の服を指差す。


「その服もすごく変わってる。


ノクシアでそんな服を着ている人、一度も見たことがないわ。」


ミナトの笑顔が一瞬止まる。


冷や汗が頬を伝った。


彼はぎこちなく笑い、後頭部をかいた。


「たぶん……村がとても遠い場所だからだと思います。」


マリーは何も言わず、しばらく彼を見つめ続けた。


まるで、そのぎこちない笑顔の裏に隠された真実を見抜こうとしているようだった。


やがて静かに微笑む。


「分かったわ。


今はそれ以上聞かないことにする。」


しかし、その最後の視線は、彼女が話を完全には信じていないことを物語っていた。


しばらく街を歩いた後、マリーは静かな住宅街へ入っていく。


石造りの家々が並び、壁に掛けられたランタンが淡い黄色の光を灯していた。


彼女は二階建ての灰色の石造りの家の前で立ち止まる。


壁にはツタが絡みついていた。


真鍮の鍵を取り出し、鍵穴へ差し込む。


カチャリ――


小さな音を立てて扉が開いた。


マリーは穏やかに微笑む。


「どうぞ。


ここが私の家よ。」


ミナトは少し迷ったものの、彼女の後に続いて家へ入った。


外の冷たい空気とは違い、中は暖かかった。


家具は質素だったが、きちんと整えられている。


だが、どこか妙に薄暗い。


明るいはずの場所まで薄暗く感じられた。


マリーは扉を閉めると、階段を指差す。


「ついてきて。」


二人は木製の階段を上る。


一歩進むたびに、小さく軋む音が響いた。


廊下の突き当たりまで来ると、マリーは一つの扉を開けた。


部屋の中では三人が丸い木のテーブルを囲んで座っていた。


全員が同時に顔を上げ、新しい客へ視線を向ける。


最初に目に入ったのは、肩まで届く短い銀髪と赤い瞳を持つ少女だった。


黒いシンプルなワンピースを着ており、表情はどこか冷たい。


それでも、小さく微笑んだ。


「はじめまして。


私はセリーヌ。」


その隣には、もう少し幼く見える少女が座っていた。


長い茶色の髪をポニーテールに結び、金色の瞳を輝かせている。


大きく手を振りながら笑顔で言った。


「私はルナ!


よろしくね!」


三人目は背の高い青年だった。


乱れた白髪に灰色の瞳。


黒いロングコートを羽織り、壁にもたれながら腕を組んでいる。


数秒間ミナトを見つめた後、静かな声で言った。


「カイルだ。」


ミナトは丁寧に頭を下げる。


「初めまして。


黒瀬ミナトです。」


ルナは楽しそうに笑った。


「変わった名前だね!」


セリーヌも小さく笑う。


カイルは軽く頷くだけだった。


ミナトが三人と話している、その時――


ふと笑顔が消えた。


鼻がわずかに動く。


「……?」


何かの匂いがした。


とても弱い。


だが、不気味なほど覚えのある匂いだった。


錆びた鉄のような匂い。


腐った肉のような匂い。


いや――


死体の匂いに近い。


ミナトの顔色が少し変わる。


黙って辺りを見回した。


その様子に気づいたマリーが尋ねる。


「どうしたの?」


ミナトは少し迷ってから言った。


「何か……変な匂いがしませんか?」


三人は顔を見合わせる。


次の瞬間、ルナが吹き出した。


「あははは!


鼻がすごくいいんだね!」


セリーヌは穏やかに言う。


「私は何も感じないわ。」


カイルも肩をすくめた。


「この辺りは古い地区だからな。


下水の臭いがすることもある。


きっと勘違いだ。」


マリーも頷く。


「ええ。


この街へ来たばかりの人は、この辺の匂いを気にする人が多いの。」


ミナトは一人ずつ見つめた。


「……そうかもしれません。」


自分にそう言い聞かせる。


だが胸のざわつきは消えなかった。


あの匂いは違う。


まるで、この家の中から漂ってきているようだった。


マリーが軽く手を叩く。


「さて。


今日は疲れたでしょう。」


廊下の奥を指差した。


「こっち。


あなたの部屋を案内するわ。」


彼女は二階にある小さな部屋へ案内した。


木製のベッド。


古いタンス。


窓際には小さな机。


質素ではあるが、きれいに片付いていた。


マリーは微笑む。


「今夜はここで休んで。」


ミナトは軽く頭を下げた。


「ありがとうございます。」


マリーは静かに部屋を出て、そっと扉を閉めた。


ミナトはベッドの端へ腰を下ろし、大きく息を吐く。


「今日は……


本当に長い一日だった。」


靴を脱ぎ、ベッドへ横になる。


目を閉じる。


眠ろうとする。


しかし、眠れなかった。


何度も寝返りを打つ。


首を斬られた青年。


斧の男。


黒い鏡。


今日見た光景が、頭の中で何度も繰り返される。


その時。


あの奇妙な匂いが、再び鼻をかすめた。


ミナトはゆっくり目を開け、天井を見つめる。


毛布を強く握り締め、小さな声で呟いた。


「……何かがおかしい。」


家の中は静まり返っていた。


すべてが穏やかに見える。


それでもミナトは、その嫌な予感を振り払うことができなかった。


まるで、この家の壁の向こうに暗い秘密が隠されていて、静かに自分を見つめているかのようだった。

朝の最初の光が空の端をゆっくりと照らし始めていた。


しかし、その部屋の中には重苦しい静けさだけが漂っていた。


ミナトはゆっくりと目を開ける。


数秒間、木造の天井をぼんやり見つめた後、ベッドの上で身を起こした。


ほんの一瞬だけ、自分は東京にあるいつもの部屋で目覚めたのだと思った。


だが、古びた木の匂いと肌を刺す冷たい空気が、すぐに彼を現実へ引き戻す。


ミナトは俯き、小さな声で呟いた。


「この世界へ来て……もう一日が経ったんだな……。」


しばらく静寂が流れる。


悲しげな笑みが一瞬だけ浮かび、すぐに消えた。


「父さんも母さんも、きっと心配してる……。


今頃、必死に俺を探してるかもしれない。」


彼は毛布の端をぎゅっと握り締める。


青い瞳は不安で曇っていた。


「帰らないと……。


でも、どうやって?」


答えは見つからない。


ミナトは深くため息をつくと着替えを済ませ、部屋の扉を開けて廊下へ出た。


しかし、数歩歩いたところで足を止める。


昨夜よりも、家の中がさらに暗く感じられた。


厚いカーテンがすべての窓を完全に覆い、わずかな光しか室内へ入ってこない。


外ではすでに太陽が昇っているはずなのに、家全体が薄暗い闇に包まれていた。


ミナトは不思議そうに眉をひそめる。


「変だな……。」


そのまま居間へ向かうと、マリー、セリーヌ、ルナ、カイルの四人が木製のテーブルを囲んで座っていた。


ルナはミナトの姿を見つけると、笑顔で手を振る。


「おはよう、ミナト!」


ミナトも小さく微笑み、丁寧に頭を下げた。


「おはようございます、皆さん。」


空いている椅子へ腰を下ろしたものの、彼の視線は暗い部屋の中を何度も見回していた。


少しためらってから口を開く。


「一つ、お聞きしてもいいですか?」


マリーは穏やかに頷いた。


「もちろん。」


ミナトはカーテンで覆われた窓へ視線を向けながら言う。


「どうして全部のカーテンを閉めているんですか?


外は晴れているみたいなのに、家の中がとても暗いです。」


短い沈黙が流れた。


やがてマリーは、何を考えているのか分からない穏やかな笑みを浮かべる。


そして自然な口調で答えた。


「特別な理由はないわ。


ただ、私たちはこういう明るさのほうが落ち着くの。」


ミナトはゆっくり頷いた。


「そうですか……。」


彼女の答えを聞いても、胸の奥に残る違和感は消えなかった。


ただ薄暗い場所が好き、というだけではない気がしたのだ。


やがて朝食がテーブルへ並べられる。


焼きたての温かいパン。


白いチーズ。


数種類の果物。


そして果汁たっぷりのジュース。


質素ではあったが、とても美味しそうだった。


皆は穏やかに会話を交わしながら朝食を楽しむ。


ミナトも時折会話へ加わったが、その中では一番静かだった。


朝食を食べ終えると、ミナトは手を拭き、少し腰を浮かせる。


「もしよければ……


少し街を歩いてみたいんです。


もっと、この街のことを知りたくて。」


マリーは微笑みながら頷いた。


「もちろんよ。」


それからルナの方を見る。


「ルナ、一緒に行ってあげて。」


ミナトを指差しながら優しく続けた。


「彼が言っていたでしょう?


遠くの村から来たばかりで、オリメスへ来るのは初めてだって。


道に迷われたら困るもの。」


その言葉を聞いた瞬間、ミナトの胸が少しだけ締めつけられた。


ぎこちなく笑いながら、昨日ついた嘘を思い出す。


「そうだった……


俺、自分は村の出身だって言ったんだ。」


慌ててその考えを振り払い、表情に出ないよう努める。


一方、ルナは勢いよく立ち上がった。


「任せて!


オリメスで一番素敵な場所を全部案内してあげる!」


楽しそうに笑うと、そのまま玄関へ向かう。


二人が出発しようとした時、マリーは静かな声でルナへ言った。


「私たちの大切なお客さんなんだから……


ちゃんと面倒を見てあげて。


迷子にしちゃ駄目よ。」


ルナは胸へ手を当て、自信たっぷりに笑う。


「安心して!


ちゃんと無事に連れて帰ってくるから!」


ミナトは照れくさそうに微笑んだ。


そしてルナと一緒に扉を開け、家を後にする。


二人はオリメスの街へ向かって歩き始めた。


それでもミナトの胸から、あの妙な違和感だけは消えなかった。


まるで、あの家が隠している秘密は、まだほんの入り口しか見せていないかのようだった。

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