19-3 十年越しの告白
似たような光景を昔に見た気がした。
(気のせいかな)
「どうした、エリサ」
「え? あぁ……うーん、昔のことを思い出したような? 実家のことですけど、おかしいですよね。あの家に思い入れなんてないから、全部すぐに忘れてきたのに」
「全部?」
エリサの笑い混じりな言葉に、アベルはなぜか真剣な目を向けてくる。
「それは、本当に全部の記憶を忘れてきたというのか?」
「なんと言いますか……ほら、嫌な記憶は残りやすいものですから、嫌なことがあったら自分が楽しいことを倍考えるっていうことをしてて。そしたら、のんびりと楽しく過ごせたんですよね。町の人と顔を合わせておしゃべりしたり、薬草でできるお菓子とかお茶とか新しいメニューを考えたり、回復薬を作ってこっそりみんなの手助けをしたり。そういうささやかな時間が楽しかったし、いい思い出なんです」
(それに前世の記憶もあるから、脳内がごちゃごちゃしちゃうし……まぁ、私の人生はトータルであまりいいものじゃないしね)
エリサは王都での生活を思い返した。そして、このノルデン・フェルトにやってきて、アベルを出し抜きながら町の人と交流を深めていたことも。それを考えると、だんだん俯いてしまった。
「でも、もうそういうのはやめます。アベル様の言うとおり、私は公爵夫人ですから、自分の役割をまっとうしなきゃ」
そう自分に言い聞かせると、アベルはエリサの手を優しくもわずかに力を込めて握った。
「本心じゃないだろう?」
「……そりゃ、私は貴族って柄じゃありませんし、どうしてアベル様に見初められたのかも分かりません。だから反発してたんです。でも……アベル様に迷惑をかけるわけにはいきません」
(あーあ、私ってば。またそうやって相手に合わせて調子のいいことを言うんだから)
これまでも相手の言うとおりにして自滅した。
嫌なことが蘇ると、調子が狂ってしまう。エリサは笑顔を消し、ただただカップに残った茶葉を見つめていた。
「君の顔が曇るなら、君の好きなようにすればいい。俺は、君が笑顔でいなきゃ、嫌だ」
アベルは何かを我慢するように言った。
「でも、そうしたらアベル様が心配なさるでしょう? 私が我慢すればいいんです」
そう言うとアベルは強い口調で返した。
「君が我慢すればいいと言うのはダメだ!」
「じゃあどうしたらいいんですか!? 私とあなたは正反対なんですから、このままこうして生活するならどちらかが譲らなきゃいけないでしょう?」
「その発想はダメだ」
アベルは頑として譲らない。エリサは呆れてしまい、ため息をついてアベルの手をすっとほどいた。
「じゃあ、証明してください」
こうなったら、真正面から訊くしかない。
「なぜ、私なんですか? 私はあなたに愛されることは何一つしてません」
「そんなことはない。怪我を治してくれた」
「あれは、目の前で苦しんでる人がいれば助けるのは当然でしょう?」
エリサは意味がわからず、首をかしげた。
そのために回復薬生成のスキルがあるのだ。それ以外はとくに使い所がない。
ほかの家族みたいに魔法で人々の暮らしを豊かにすることも、魔道具をつくることも、王族を守るための結界や魔獣や魔物を討伐する力もない。火や水、風を操ったり、土で壁を作ることもできない。貴族は魔法使いであることが求められる。その中で、回復薬を作ることしかできない自分は、人を助ける以外に存在意義を見いだせないのだ。
そんなエリサの考えはある意味では偏っていた。自分でも知らないうちにコンプレックスとして認識していたのだと思い知り、気持ちが落ち込んでいく。
アベルはエリサが目を伏せても、もどかしそうに思案し、口をつぐんでいる。
「当然のことをしたまでです。それで私を愛してくださるというのは、それはきっとアベル様の勘違いです。恋というのは、そういうものです」
(恋愛なんて、結局そういうものよ。彼はただ愛情に飢えていたから、目の前の女に愛を求めてるだけ。助けられたからって一時の気の迷いよ)
「私はアベル様を大事にできるかどうか、まだ分かりません」
「それは、俺を好きになれないということか?」
「違います。そうじゃなくて」
「俺との生活が気に入らないんだろう? だから、そうやって突き放すようなことを言うんだ」
意地悪な言い方だった。しかし、図星なのかもしれない。エリサは苛立ち紛れに早口で返した。
「アベル様が今でもその命を狙われていることも、私も狙われるということも、全部わかってます。だから私が変わらなきゃダメなんです。そりゃ、本心じゃないですよ……でも、仕方ないじゃないですか」
(あぁ、ダメ。こんなことを言いたいわけじゃないのに)
エリサは息をつき、言いたいことを頭の中でまとめた。
結局、アベルの思いを受け止められないだけなのだ。まだ怖い。そして、自分で道を切り開いて生きていく楽しさを捨てたくない。そんな自分本位な考えになってしまい、うまく言葉にできない。
すると、口を開く前にアベルが先に静かな声音で言った。
「君の力で国が救われた」
「え?」
顔を上げると、アベルは顔を赤くしながらゆっくりと話す。
「今回の件で多くの人間が救われた。国王陛下も君の力を讃え、近々お会いしたいそうだ」
「はぁ……」
突然何を言われているのか、理解できなかった。
そんなエリサを置き去りに、アベルはさらに言葉を紡ぐ。
「そして君は俺を救った。二度も救ってくれたんだ……覚えがないか?」
最後の方は小声だった。その弱々しさに呆気に取られる。エリサは思考をめぐらせた。
「えっと、魔獣討伐の際と、今回のこと?」
「違う。もっと前だ。君が子供の頃……」
そう言われ、エリサは目をしばたたかせる。そして、遠い記憶を辿るように宙を見上げた。
しかし、アベルを助けたという記憶は見当たらない。首をかしげると、アベルは悲しげに顔を覆ってしまった。
「覚えてないんだな……よし、わかった。話そう。俺と君の出会いを」
「え、待って、回想に入るんですか?」
「あれは俺が十六歳で、君が八歳の頃」
「本当に回想シーンに入るのね!?」
エリサは慌てて遮ったが、アベルは腹を括ったのか止めることなく話を続けた。
「あのとき、俺は父上が亡くなったばかりで、母上が田舎へ帰った頃だ。魔獣討伐の応援のため王都付近の村に呼ばれたが、他の貴族から命を狙われ、瀕死になった」
エリサはもう黙って聞いた。同時に脳内では八歳の頃の記憶を手繰り寄せる。
ちょうど回復薬生成のスキルが芽生え、前世の記憶が蘇った頃だ。
「一人で生死の境を彷徨い、魔力を使いながらなんとか生きながらえ、逃げていた。そしてたどり着いたのが、アルヴィナ家の敷地内にある森だった」
森。エリサの頭に森のイメージが浮かぶ。
確かに幼い頃は、放置されていたこともあって森に入り浸っていた。両親に回復薬生成のスキルを見てもらおうとした。そこで──血まみれの青年を見つけた。
「その森で俺はもうここで死ぬのだと思った。魔力も尽きていた。そんなとき、君が現れた」
薄暗い森の中に隠れるように潜んでいた冷たい瞳の青年。希望をなくした表情、傷から流れる血は黒ずみ、衣服もボロボロだった。それをも凌ぐ美しさ。
どうして忘れていたのか。
エリサは時を止め、アベルを見つめる。
それは、初めて回復薬を生成した瞬間のことだ。
彼を助けようと無我夢中で薬草を探した。そのときは無意識にどれが効くか瞬時にわかり、祈りをこめて回復薬を生成した。小さな手のひらにあふれた光る薬を彼の口元に運んだ。
(なんで忘れてたんだろう……)
「私……あのときは、自分がこんなことできるなんて思わなくて、びっくりして……助けたあの人の傷が治って、それで、パニックになって」
「無理もない。君はそのあと、初めて力を使って倒れていたんだ。しばらく二人で寄り添って眠ったが、俺が先に気がついて、君を屋敷まで運んだ」
「そうだったんですね……」
(じゃあ、私の能力を引き出したのは、アベル様ってこと? 私の思いと祈りが、才能を引き出した?)
考えていると、アベルが手を握った。記憶と今が重なる。鮮明に思い出した。
「あのとき、俺は世界のすべてを恨んでいた。でも、君に助けられて、生きててもいいんだと気付かされた。そして、初めて人から優しくされたんだ。君を忘れられなかった」
「えっ……えぇと……でも」
実感がない。だからといって、アベルがずっと一途に想ってくれる意味はまだ完全に理解できない。
エリサはうつむいた。
すると、アベルは席を立ち、エリサの前で片膝をついた。エリサの手を握り、自分の心臓まで持っていく。
「あ、アベル様!?」
「俺の心音が分かるか? 君のことを思い続けて十年、今でもまだ緊張で胸が張り裂けそうなんだ」
伝わる鼓動。彼の赤らむ頬。それはもう誤魔化せない深い愛情そのもの。手のひらに伝う彼の音に、エリサまで心臓が激しく動く。なんだか直視できず、目をそらしてしまった。
そんなエリサの様子に焦れたのか、アベルはぐいっとエリサの手をそのまま引き、自分の胸に抱き寄せた。
バランスがくずれたエリサは「きゃ!」と驚き、そのままアベルの上に飛び込む。
「君に救われて、俺はここで生きている。みんなそうだ。君が救ったんだ」
人を助けるのは当然のことだと思っていた。しかし、それは思ったよりも大きな出来事だった。
自分を誇っていい。そう言われたような気がし、エリサはアベルのあたたかい手を握り返した。
エリサはようやく気がついた。自分も誰かの助けになっていた。そして、受け入れてくれる相手がここにいる。
(……どうしよう、嬉しい。でも悔しい)
もう自分の気持ちに誤魔化しは効かなかった。
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