神様と私 後
やっぱり翡翠さまだったんだ。
そんな風に驚きつつも、私はその事実をすんなりと受け入れていた。翡翠神社に物語通りの狐が現れた時点で、もしかしてとは思っていたけど……すぐ目の前に神様が居るって、かなり凄いことだよね。
「わ、私はその……タマと言います」
一瞬言い淀んだのは、本名を告げるべきかどうか迷ったからだ。真名を知られるのは良くないって言われたし、あぁでも、神様相手に偽名は失礼だったかな。
〈ふむ。真名を告げないのは良い心掛けだな〉
けど、そんな気持ちは杞憂だったようで、翡翠さまはくつくつと笑った。ホッとしたのも束の間。
〈だが我はぬしを知っているぞ、ぬしの名は環だろう〉
そう続けられてドキリとする。どうして私の名前を知っているんだろう。
〈何故、とな。考えてみよ、環。ぬしは何度も我の元へ訪れていただろう?〉
それは……そうだ。私本人は覚えていないけど、お宮参りや七五三で翡翠神社に挨拶へ来た写真が残っている。それに〝見える〟体質になってからは何度も神頼みにも来ていたし、アレらが入って来れない空間だからって逃げ場所にしたことだってある。
〈熱心に祈るぬしの願いを叶えてやりたかったのだが、先程も申した通り、我の神通は年々弱まる一方でな……。ぬしのその目を治すほどの力は、今の我には残っておらんのだ〉
すまんな、と翡翠さまは言う。多分、その理由は例の、噂によって生かされているってやつだ。信仰によって生まれた神様にも適応される話だって、ナギ先輩も言ってたもんね。つまり、昔ほど翡翠さまを信仰する人が居なくなったせいで、本来持っていたはずの力が弱まり、神通に影響が出ているってことだと思う。
〈こうしてぬしの前に姿を見せることができたのは、今日が最も神通が強くなる日……祭事であったがゆえだ〉
そっか、今日は翡翠神社の夏祭り。お神輿や巫女神楽なんかのお陰で、多少なりとも信仰心が復活するのか。
〈さすが物分りがいいな〉
翡翠さまはそうやって、また心を読んだようなことを言う。……いや、もしかして本当に読まれているのかな。だって、神様だし。
すると翡翠さまはフッと笑った。
〈そういうことだ〉
どうやら当たっていたらしい。心の内を見られていると思うと、ちょっと恥ずかしいな。
「ところで、お話というのは一体?」
照れ臭さを隠しつつ、私は翡翠さまにそう訊ねてみる。ふむ、と翡翠さまは頷いた。
〈ぬしのことは以前から気にかけていたのだ。難儀な目を持つ娘が居るとな〉
咄嗟に右目を触る。ここは翡翠さまの領域内だから、この目を覆ったところで翡翠さまは見えたままだ。自分自身でも、本当に難儀な目だと思っている。
ナギ先輩に言わせれば、同業者には幾人か会ったことはあれど、その中に片目だけが〝見える〟ような中途半端な者は居なかったらしい。右目を覆うことによってアレらが見えたり見えなかったりする理由もよく分からないそうだし、見る時は片目の割に聞く時は両耳な理由も皆目見当もつかないとのこと。
この分野に関しては専門家のナギ先輩にも分からないことが、ちょっと前まで何も知らなかった素人の私に分かるはずもない。だからこそ今までなあなあになっていたんだけど────、翡翠さまには分かるんだろうか。
〈分かることには分かる。が、分からんこともある〉
翡翠さまの答えは曖昧だった。いくら神様とは言えど、その力も万能では無いってことなのかな。
〈残念ながらな。そもそも我は産土神であるゆえ、できることと言えば、この地と民を守ることだけなのだ。それをぬしらと来たら、勉学だの恋路だの天候だのと好き勝手に願いよって。神にも得手不得手があるのだぞ〉
翡翠さまは嫌に現実的なことを言う。神様も愚痴とか零すんだ……なんだかあまり聞きたくなかったかもしれない。
〈いや、我の話は今はどうでも良いのだ。そうであるな、では単刀直入に言おう。環よ、ぬしは〉
翡翠さまは一旦言葉を区切ると私を真っ直ぐに見据えた。そして。
〈神に愛されているのだ〉
そう言った。
「神様に?」
そんなこと初耳だ。心当たりだって無い。
〈無論、我ではないぞ。我はこの地に住む全ての民を等しく愛しておる。ぬしにだけ特別目をかけているわけではない〉
と言うことは、翡翠さま以外の神様ってこと? どうしよう、ますます身に覚えが無い。
そもそも神様って、人間がどうこう手出しをできる存在じゃないって言ってなかったっけ。そっち系に詳しい人ならまだしも、〝見える〟だけの人間が神様に愛されるような大それたことをできるはずがないと思うんだけど。
〈ぬしはどこぞの神と縁を結んで愛を受け、呪いを授かったのだ〉
翡翠さまははそう続ける。どういう意味なんだろう。愛と呪いなんて、両極端のところにありそうなのに。
〈そうでもないぞ。呪いというのはすべからく、強い気持ちから生まれるものであるからな。結果として、ぬしを思うそやつの愛が、ぬしへの呪いとなった。ぬしの目が正に、その産物であろうな〉
「この右目が……?」
〈うむ。ぬしのその目は元はぬしの物ではない。恐らく、その神の物であろう〉
それはなかなかに衝撃的な事実だった。この目が元は神様の物だなんて。どうしてそんな物を与えられたんだろう。
〈そこまでは我にも分からん。だが、確かにそやつはぬしに目を与えた。それは言わば〝神の目〟だからな。本来ならヒトの目には映らぬモノまで見通すことができるのだろう。ぬしはヒトでありながら、神の力の一部を使っているのだ。故に酷く目立つ。それがぬしの元にヤツらが集まる理由である〉
それもまた衝撃的で、だけど納得の行く話だった。つまりアイツらはみんな、私自身のオーラと言うより、神様の力に引き寄せられていたんだろう。そりゃあ一介の人間が神様の力を使っていれば、悪目立ちもするよね……。道理でポンポン集まってくるはずだ。
「じゃあ、私はどうすればいいんですか?」
そんな目なら要らないし、返せるものなら返してしまいたいけど。
〈取り除くにしても、その目はすっかりぬしに馴染んでしまっているからな。下手なことをすれば、ぬしごと引き抜きかねん。となれば、授けた神に頼む他無いであろうな〉
私ごと引き抜く……? よく分からないけど、穏やかじゃないことは確かだ。言い回しからして多分私は無事じゃ済まないんだろうし、やっぱりこの目の持ち主に直接頼み込むしか解決方法は無いんだろう。でも────。
「心当たりが無いんです」
神様という存在に会ったのは、翡翠さまが初めてだ。それなのにその見知らぬ神様は、何故だか私を愛しているらしい。知らない相手から理由も不明な愛を向けられるというのは、ちょっと、いやだいぶ気味が悪い。……なんて、神様相手に失礼なのかもしれないけど。
〈この地の中であれば、ある程度は我の力も働くのだが、如何せん神通の弱い今の我では、地の外までは守りきることができん。とは言え、産土神である我がこの地を離れることは不可能である。ぬしもここを離れずにいればいい話だが、それでは碌に情報も得られないであろう。そこで、だ〉
翡翠さまは立派な尻尾をゆっくりと振ってみせる。
〈我の力の一部を貸し出そう〉
「え!?」
それが叶うなら心強い。けど、翡翠さまはそれで大丈夫なのかな。力が弱くなってるって言っていたのに。
〈侮るでない。我も神であるぞ〉
立派な尻尾は今度は不機嫌そうに揺れた。
〈まぁ無いよりはマシ程度の力でしか無いが、有事の際は必ずやぬしを守るであろう〉
「……ありがとうございます」
私は素直に頭を下げる。でも、どうしてそこまでしてくれるんだろう。すると翡翠さまはかっかと面白そうに笑った。
〈言ったであろう。我は民を等しく愛しておる、と。それに下賎のモノに我の愛しい民が傷付けられたとあっては、神としての沽券に関わるのでな〉
遠くの方から祭囃子が聞こえ出す。
〈あぁ、時間か〉
翡翠さまはそう言って、どこか名残惜しそうに目を細めた。
〈姿は見えずとも、我はいつでもぬしを見守っておるぞ〉
私と翡翠さまとの間を一陣の風が駆け抜けた。その激しさに私は一瞬目を瞑って。
────ぶわり、と喧騒が戻った。
慌てて目を開ける。境内には屋台がいくつも並び、たくさんの人が行き交っていた。毎年恒例のお祭りの光景だ。
ついさっきの出来事はまるで白昼夢のように、あっさりと消え失せてしまっていた。勿論、翡翠さまももう居ない。
「あー! ようやく見つけたー!」
両手に屋台で買った食べ物を抱えた成海がバタバタと駆けてくる。
「もう、探してたんだよ! どこ行ってたの!」
「……ずっとここにいたよ」
「嘘だー! さっき見た時はいなかったよ!」
成海の抗議の声を聞きながら、私は自分の手のひらを見つめる。今の私には、翡翠さまの力の一部が宿っているんだろうか。
体感的にはあまり変わっているような気はしないけど……。
「とりあえず、先輩達には報告しておいた方がいいよね」
私の呟きは祭囃子の音に紛れて消えた。




