神様と私 前
遠くの方で祭囃子が聞こえる。
くるくると林檎飴を持て余しながら、私は神社の境内へと目を向けた。
いつもは寂れているこの翡翠神社も、この日ばかりは祭り提灯に彩られ、それなりの活気を見せている。猛暑が続く八月中旬の今日、翡翠神社では夏祭りが開催されているのだ。
このお祭りの段取りとしては、午前中にお神輿や山車が神社を出発し、囃子と共に町中を練り歩いて夕方頃にまた神社へと戻ってきたあと、巫女さん達が巫女神楽を踊っておしまい、という感じだ。祭りの始まりと終わりの場所だってことと、境内にはいくつもの屋台が並んでいることが相まって、この日の神社は賑やかになる。毎年変わらない風景だ。
一応先輩達も誘ってみたら、「この暑い中、わざわざ混んでるところに出掛けるのはなぁ」とか「人混みは好きじゃねぇ」とかってバッサリと断られてしまった。多分来ないだろうなと思っていたし、これと言ってショックは受けなかったけど、それを聞きつけた成海が「フラれた環を慰める!」と意気込み、私をお祭りへと引っ張って来たわけだ。
その割には「焼きそばとたこ焼きと唐揚げを買ってくるからここで待ってて!」と、聞いているだけで胃もたれしそうなものばかりを挙げ、私を置き去りに屋台の方へと走って行ったくらいなので、理由なんて二の次で、自分が楽しみたいだけなんだと思う。それにしても、油物尽くしでよく太らないよなぁ。陸上部でよく走り込んでるし、全部筋肉になるんだろうか。
そんなことを考えながら、私は深くため息をついた。手水舎の近くは屋台が無いからか、他の場所より人が少ない。まぁでも、それはお神輿と山車が帰って来るまでの話で、ある程度の時間になれば多分、ここも人で埋めつくされるだろう。
お祭り自体は楽しいし、割と好きだけど、やっぱり人混みは疲れる。人が多いぶん、変なモノにも会いやすいせいだ。神社の中まで侵入してくるようなヤツはほとんど居ないとは言え、一歩外に出れば嫌でも目に入ってくる。幽霊っぽいモノ、人の姿を留めていないモノ、そもそも明らかに人外なモノ、その他諸々。その様子はまるで百鬼夜行絵巻だ。
祭囃子につられてどこからかやって来るのか、お盆の最中ってところも大きいのか、はたまたその両方か。理由はよく分からないけど、変なモノと遭遇しやすいというのは結構厄介だ。それでも大抵は無視してればやり過ごせるんだし、お祭りだからって気を緩め過ぎないようにしなくちゃ。
生ぬるい夏の風が頬を撫で、私は目を閉じた。
遠くの方で鳴っている祭囃子、行き交う人々の喧騒、屋台から響く売り子の声。
それらに耳を傾けながら、やっぱりお祭りが織り成す非日常的な雰囲気はいいな、と思う。飲んだり食べたり騒いだりで、誰もがこの空気を楽しんでいるけど、ナギ先輩が言うにはお祭りは本来、その土地の神様に感謝したり、招福や厄除けを祈ったり、遠い昔の誰かの慰霊だったりと、ちゃんとした意味があることがほとんどらしい。
「せっかくのお祭りなんだしさ、〝お祭り騒ぎ〟するのが悪いとは言わないけど、本来の意味を考えるのもありなんじゃない? それにほら、祀るって言うくらいだし、タマちゃんは日頃からお世話になってるんだろうから、お礼参りでもしてきたら?」
電話口でナギ先輩はそう言っていた。
毎年、翡翠神社で行われる夏祭りは、この町の産土神である〝翡翠さま〟への感謝と祈りを込めたお祭りだってことは知っていた。
翡翠さまはこの町────狐神ヶ丘に伝わる、狐の姿を神様だ。なんでもその昔、当時はまだ小さな農村だったこの土地を、とある厄災が襲ったのだとか。すると、どこからともなく翡翠色の瞳と白銀の毛並みを持った一匹の狐が現れ、たちまちの内に厄災を鎮めた。村人達はこの狐に深く感謝し、神様として崇めることとなった────これが翡翠さまの起源となる物語のあらすじだ。お年寄りが子供達に聞かせる御伽噺のようなものだから、町の住人なら多分、誰もが一回は聞いたことがあると思う。
勿論、実話だって信じてるような子はほぼ居ない。お宮参りや七五三あたりで神社へ行くことはあっても、いまだに翡翠さまを崇め、熱心に信仰しているのは古くから狐神ヶ丘町に住んでいるお年寄りくらいだ。けど、その数も年々減って来ているらしい。まぁ、無理も無いと思う。
この世ならざるモノを映し出す私の右目でも、翡翠さまを捉えたことは無いんだ。何も見えない、何も聞こえない人達からすれば、神様なんて、神頼みをする時くらいしか信じないような、都合のいい存在だろう。
神様くらい大きな存在となると、あのナギ先輩ですら感知することができないと言う。でも、いつだか先輩が言っていたように、巨大な存在が私を守っているのなら……それは多分、翡翠さまなんじゃないかなと思っている。産土神と言えば翡翠さまだし、小さい頃から何度もお参りしてるし、変なモノが見えなくなりますようにって散々神頼みしたのも翡翠神社だからだ。
守ってくれているなら会ってみたいのに、どうして肝心なところで見えないんだろうなぁ。
そう心の中で呟いた時。
ピタリ、と全ての音が止まった。
「え……っ!?」
慌てて目を開ける。人っ子一人、見当たらなかった。
「う、嘘……」
思わず独り言を零して辺りを見渡す。けどそうしたところで、あんなに賑わっていた境内に誰も居ないのも、屋台が消えて無くなっているのも変わらなかった。風だって吹いていないし、蝉の声ひとつしない。……あぁ、これはまた変なモノに目をつけられたかもしれない。
でもこんなの、不可抗力だ。私はただ夏祭りに来ていただけで、アイツらに接触なんてしてない。向こうが勝手にやって来るのに、どう避けろって言うんだ。
「どうしよう」
誰に言うわけでもなく愚痴を零しながら、私はため息をついた。この感じ、旧校舎に取り込まれた時と同じような状況だよね……?
つまり私は、どこかのナニかの領域に引きずり込まれたってことになる。だとしたら世界から遮断されて連絡手段も絶たれているだろうし、私は一人きりだし。……あれ、詰んでないか?
じわじわと嫌な汗が滲んでくる。と、とにかく今は逃げ回りつつ、なんとか打開策を見つけなくては。そう決意し、足を一歩、踏み出して。
〈ようやく話ができるな、人の子よ〉
初めて聞く声に呼び止められた。
正面に狐が居た。銀色の毛並みがキラキラと輝いている。……綺麗だ。それに、なんだか神々しい。思わず見惚れていると、宝石みたいな深緑色の瞳と目が合った。
〈聞こえているか?〉
さっきと同じ声が聞こえてくる。けど、周囲に人は居ない。居るのは目の前の狐だけだ。まさか。
〈……む。この術も久方ぶりだからな、もしや何か間違ったか?〉
狐が小首を傾げている。なんとも可愛らしい動きだ。いや、今重要なのはそこじゃなくて。私の想像が正しいのなら、声をかけてきたのはこの狐ってことになるけど……さすがに喋る動物は初めて見る。それに、狐の神様を祀る翡翠神社で、物語に出てくるのと同じ白銀の狐に出会うというのは、偶然にしては些かできすぎているような。
「えっと、ごめんなさい。ちょっと、びっくりしちゃって」
迷った挙句、私は声に答えることにした。狐から嫌な気配が伝わって来なかったからだ。まぁどの道、この距離では逃げられないだろうし、と腹を括ったのもあるけど。
〈そうだったか〉
狐はこくこくと頷いた。やっぱり、この声の主は狐だよね。
〈混乱するのも致し方ないが、ここは我の領域内だ。そう警戒せずとも、ぬしを取って食うつもりは毛頭無いぞ。そもそも我は人など食わんしな〉
そう言った狐は今度は誇らしそうな表情を浮かべてみせる。ぐ……っ、なかなか可愛い。見知った動物の見た目をしてるってだけで、警戒心が薄れてくるから不思議だ。
「それなら、どうして私を……?」
〈話がしたかったのだ〉
私の質問に狐は答える。それならわざわざ領域に呼び込んだりしないで、普通に話しかけてくれればいいのに。まぁ、喋る動物がいきなり現れたらびっくりしていただろうけど、話くらいはちゃんと聞いていたと思う。
〈すまんな。我ながら情けないのだが、神力は衰退の一途を辿るばかりでな。それゆえに、姿を見せられるのはこの日しか無いのだ〉
私の心を読んだかのようなタイミングで、狐はそう続けた。
「しんりき……?」
それって多分、神様の力のことだよね。この状況から薄々そうじゃないかと思っていたけど、目の前に居る狐の正体って。
〈そうだな、名乗りがまだだったか〉
狐は深緑色の目を細めて。
〈我は翡翠と呼ばれている。即ち、ぬしらが言うところの神というモノだ〉
そう言った。




