旧校舎の七不思議 拾
この発言に驚いたのはサトミさんだけじゃない。スズカちゃんの傍で成り行きを見守っていた私も、思わず「えっ!?」と素っ頓狂な声をあげてしまった。
「サトミさんは旧校舎じゃなくて、今度からは新校舎に出るようになったって、みんなが噂するようになればいいってことでしょ?」
驚く私を尻目にスズカちゃんはそう続ける。するとそれまで黙っていたナギ先輩が「ふむ」と頷いた。その口元には小さく笑みが浮かんでいる。
「理論上は可能、かもしれないね」
「そうなんですか?」
「噂によってその力や見た目、弱点が変化することは分かっているからね。新校舎でサトミさんに会った、という噂が広まれば、カレの活動場所は旧校舎から新校舎へと変わるかもしれない。でも」
ナギ先輩は相変わらず笑ったままだったけど、それは優しい微笑みとは正反対の、悪いことを思いついた悪魔みたいな笑顔だった。
「その時そこにいるのが果たしてきみなのかは、僕にも分からない」
「どういうことですか?」
「だって新しい噂によって、文字通り生まれ変わるんだよ? その時のサトミさんが今のサトミさんの記憶や人格を引き継いでいるかどうか、僕だって知らない。そんなの、誰も検証したことが無いからね。だからこそさ、これ、結構面白い試みだと思わない?」
そこまで言うと、ナギ先輩はコウ先輩に問いかけた。問われたコウ先輩は面倒臭そうに顔を歪める。
「コイツのこういうところ、マジでぶっ飛んでんなって思うわ」
昔からそうだよな、とコウ先輩は続けた。つまり、サトミさんを祓わずにこのまま泳がす、ってことだよね……?
「それ、大丈夫なんですか? 生者への手出しはご法度なんですよね?」
祓い屋のことは何も知らないけど、ご法度とされている行為を見逃して、何もお咎めが無いなんてことは多分、ありえないんじゃないかなと思う。するとナギ先輩は「まぁね」とあっさり頷いた。
「これがバレたら最悪、僕は祓い屋業界を追放されるかも。でもまぁ、バレなきゃいいんだよ。ほら、幸いなことに、これまでの全ては限られた狭い空間で起きたことだからさ、それを知る僕達がちょっとだけ目を瞑れば、誤魔化せちゃう話だし?」
「……そんな軽々しく言える話じゃないような」
「そうでもないよ。今回の騒動は、オバケがほんのイタズラのつもりで子供達をからかってただけだった、その証拠に子供達は全員無事に帰還した、って報告すればいいだけだから。そりゃイタズラだって生者への手出しとも言えるけど、生死に関わるようなものじゃなきゃ、あの人達もそこまで大きくは騒がない。それにたとえ何か言われたとしても、その程度ならいくらでも言いくるめられるしね」
ところどころ穏やかじゃないワードが聞こえた気もしたけど、要するに私達が真実を少しだけ歪めれば、サトミさんを祓う必要性がなくなるってことだろう。……ナギ先輩以外の祓い屋を知らないけど、なんだか結構いい加減な世界だ。
「そのあたりはさっきも言ったけど、本当に人それぞれって言うか、その人の匙加減だからね。実際、この世のモノじゃないと知るや否や、問答無用で祓っちゃうような過激な人も居るからさ」
私の言いたかったことを察したのか、「ここに来たのが日和見主義の優しい僕で良かったね」とナギ先輩はケラケラ笑う。
「それのどこが優しいんだよ。そうなると信じて過ごした挙句、やっぱダメでした、ってなるかもしんねぇのに、変に希望を抱かせとく方がよっぽどタチ悪ぃし残酷だろ」
対してコウ先輩は顰め面だ。けど、コウ先輩が言いたいことも理解できた。旧校舎が取り壊されれば、『旧校舎のサトミさん』は居なくなる。当然だ。舞台となる旧校舎が無くなるのだから。
そんな中、新しく作られた噂話によって、再び『サトミさん』が生まれたとしても、それが『旧校舎のサトミさん』のままかどうかは、そうなってみないことにはナギ先輩にだって分からないらしい。そもそも、その噂話がカレらを生かすまで大きく広まるかすら、予想できないんだろう。希望を抱けば抱くほど、それが叶わなかった時の悲しみや絶望は大きくなる。確かに、残酷と言えるかもしれない。
「ふふふ、どっちがどれだけ残酷かなんて、僕達が議論する必要は無いんじゃない?」
ナギ先輩は楽しそうだった。
「僕は無駄な労力を使わずに済むうえに、噂話がもたらす力についての検証もできる。サトミさんは助かる〝かもしれない〟。ほら、ウィンウィンでしょ?」
いつか聞いたことがあるようなセリフで、ナギ先輩はサトミさんへと語りかける。交渉の答えは二つあるようで、結局一つしか無かった。いいえと答えれば、サトミさんはこの場で祓われてしまうだけだから。
「……交渉成立、ってことで」
サトミさんが何も言わないのを肯定と捉えたらしい。ナギ先輩はコウ先輩に目配せした。コウ先輩がサトミさんの拘束を取るのと同時に、私の背後からスズカちゃんが跳び出す。それからサトミさんの両手を掴み、ぎゅっと握った。
「良かった! このままお別れなんて寂しすぎるもん!」
「……なんで」
つらそうに目を逸らすサトミさんに、スズカちゃんはキッパリと「友達だからだよ」と告げる。
「あのね、さっきのユウジくんが怖かったのも本当だけど、一緒に居て楽しかったのも本当なの。わたしはこれからもずっとユウジくんと友達でいたいなって考えてるんだけど……もしかしてユウジくんはわたしのこと、友達じゃないって思ってる?」
「そ、そんなことないよ。友達だって思ってる……思いたいよ……」
「じゃあこれで仲直りね!」
そう言ったあと、スズカちゃんは繋いだままの手をブンブンと振り回した。それから
「難しいことはよく分かんないんだけど、サトミさんは旧校舎が無くなっちゃって寂しいから、新校舎に引越しすることにしたらしいよ、ってみんなが噂するようになればいいってことでしょ? だったらわたし、その噂をたくさん広めるよ! だからきっと大丈夫!」
そう捲し立てる。そんな励ましの声に気圧されるようにユウジくんは小さく頷いた。
「う、うん。ありがとう、スズカちゃん」
「どういたしまして!」
「それと……」
「うん?」
「……ごめんね」
「えっ、なんで泣くの!?」
静かに涙を零すサトミさんと、その隣でオロオロするスズカちゃん。
「子供ってさ、純粋だよね」
そんなやりとりを見ていたナギ先輩が小さな声で言った。
「上手く行くかなんて分かんないのにさぁ。ほら、だって現実って甘くないじゃない? それなのに簡単に信じるとか、約束するとか、大丈夫とかって言っちゃうんだよ。純粋すぎて笑っちゃうよね。でも」
そこでナギ先輩は一旦言葉を切ると、まるで眩しいものを見るかのように目を細めた。
「そんな純粋さが羨ましいや」
いつもと違う、どこか憂いを帯びた表情だった。
「ナギ先輩?」
その言葉の真意を聞く前に、「さて帰ろっか!」とナギ先輩は手を叩いた。
「こうしている間にあっちじゃ相当な時間が経ってるだろうし。部外者の僕達だけじゃなくて、校長先生まで行方不明になったともなれば、それこそとんでもない騒ぎになってるだろうから」
「そっか、ここと向こうじゃ時間の流れが違うって、さっきヨシさんが言ってましたもんね」
体感的には数時間程度なんだけど、あっちに帰ったら数日経っていました、なんて言われたらそれこそ笑えない。
「……まぁ、もう少しくらい多目に見てあげてもいいんだけどね」
なんてったって僕は優しいからさ、と言うナギ先輩は、思っていたよりもずっと穏やかな瞳で、二組の〝友達〟を見つめていた。




