旧校舎の七不思議 玖
この場所はよく、歪みが発生するんです。
上手く説明ができないのですが、彼岸と此岸が混じり合っているかのような────とにかく空間がおかしなことになる時があって。
だからこそ、わたしみたいな存在と波長が合いやすいようで、ときどき〝見える〟子が現れるんです。そういう子がここで見たこと聞いたことを誰かに話して、それが新たに噂を生んで、余計に歪みが生まれやすくなる……そういうところなんですよ、この場所は。
え? わたしですか?
わたしは多分、幽霊と呼ばれるようなモノだと思います。このあたりを長いこと徘徊するだけの存在です。わたし、何故だかこの校舎から離れられなくて。校舎外へ出ようとすると、見えない壁のようなものに阻まれ、押し戻されるんです。……えぇ、なので外へ出ることはもう、とっくの昔に諦めてしまいました。
ここかいくら歪みが生まれやすい場所だとは言え、わたしとピッタリ波長の合う子なんて、なかなか居ないものですよ。確かに〝見える〟子には何人か会いましたけど、どの子もぼんやりとしか見えないみたいで、わたしと話ができるような状態じゃありませんでした。
結構寂しいものですよ。天に昇る方法も知らなければ外にも出られない、誰とも話せない、遺した家族や友人の安否すらも分からないと言うのは。でもそんな中、雄二くんが現れたんです。
雄二くんはわたしの正体に気付かず、話しかけてくれました。わたしは舞い上がりました。初めてまともに話ができたことが嬉しくて、生きていた頃のように振る舞いたくて、この機会を逃したくなくて……だからつい、お友達になって欲しいと言ったのです。
けど、それが良くなかったんですね。幽霊と縁ができた雄二くんは、そのまま歪みへと引き込まれてしまったから。
歪みが元に戻る頃には、幾日か経っていました。雄二くんにも迷惑をかけましたし、きっとご家族やお友達も酷く心配なさっていたことでしょう。わたしはずっとあの日のことを謝罪したかった。でもそれ以降、わたしと雄二くんの波長が合うことはなかったんです。……いえ、寧ろ、力の弱いわたしとあれだけ合わさったこと自体、奇跡だったのだと思います。
それでもわたしは諦め切れずにいました。元々、天に昇る方法も知らないのです。日がな一日、窓から外を眺めて過ごしていました。そのうちにこの校舎から子供達の姿が消え、窓から見える景色もどんどん変わって行きました。それだけ長い年月が流れたのだろうと思います。そしてついに、今日がやって来たのです。
△△△
その女の子────ヨシさんはそこまで話すと小さくため息をついた。
ヨシさんによれば、理屈こそよく分からないものの、どうやらこの旧校舎自体、元々不思議な現象が起きやすい場所らしい。つまりは逢魔が時みたいな時間が常に続いている、ってことなんだろうか。
それに……カノジョが外に出るのを阻む、見えない壁。同じような話を私は知っている。少し前に出会った記憶喪失の幽霊────シヅも同じことを言っていたんだ。ナギ先輩が言うには、「多分、それ以上体から離れるといよいよ元に戻れなくなるって、魂が本能的に察していたんだと思う」とのことだったけど、もしかして、ヨシさんの場合も?
「いや、カノジョは死者だよ。確実にね」
恐ろしくピッタリなタイミングで、ナギ先輩が言った。
「例えば亡くなった場所とか、生前にゆかりがあった場所みたいな、本人の感情が強く残る土地に縛られる幽霊は珍しくない。そういう幽霊は場所自体に取り憑いているせいで、そこから離れられなくなる。カノジョはそのタイプだね」
〈……そういうことだったんですね〉
ヨシさんは納得したように頷いた。生前のカノジョに何があったのかは分からないものの、校舎に取り憑いてしまうほどに強い思い入れがあったのかもしれない。
「なるほど、大体分かったよ」
ナギ先輩がサトミさんへと視線を巡らせる。コウ先輩に腕を掴まれたまま、サトミさんは面白くなさそうな顔でそっぽを向いていた。
「里見少年が〝神隠し〟にあった原因はキミにある、ってことなんだね」
〈はい〉
「そしてサトミさんが生まれたのは、その〝神隠し〟がきっかけだから……間接的にしろそっちにもキミに原因がある、と」
〈そうです〉
「そう思ってんならもっと早い段階で止めりゃあ良かったろ」
コウ先輩はそうやって冷たく言い放つ。でもそれは正論だと思った。一歩間違えたら、スズカちゃんは永遠の友達として、サトミさんの手中に収まることになっていたかもしれないのだから。
〈わたしは単なる幽霊ですから……子供達に噂をされ、力を付けていくようなモノとは違います。居るだけで何もできないんですよ。今だって、あなた方の諍いが止んだお陰で、ようやくここまで来れたのですから〉
対してヨシさんは弱々しく呟いた。言われてみれば、実体化をして干渉もできるサトミさん達とは違って、ヨシさんの存在は酷く朧げだ。ここまで存在感の薄いモノは、元の世界でも逆にあまり見かけない。それくらい、ヨシさんは不安定だった。
「……おそらくカノジョはもう、あちらに行きかけているんだと思う。それでもこちらに留まっていたのは、いや、いられたのはカノジョ自身が強くそう望んでいたからなんだろうね。まぁ、旧校舎という場所のせいもあるんだろうけど、どちらにしたって、ここまでカノジョが自我を保っていたのは、それこそ奇跡に近いんじゃないかな」
ナギ先輩はそんなことを言う。それから「カノジョのことは〝ホンモノの雄二くん〟に任せるとして……」と、校長先生へと視線を送った。
「……よく僕だって分かったね」
その視線を受け、校長先生がヨシさんに話しかける。
〈分かるよ。ずっと待っていたから〉
ヨシさんも柔らかく微笑んでそれに答えた。
「僕らはこっち」
二人のやり取りをぼんやりと眺めていると、ナギ先輩に袖を引かれる。それぞれがずっと会いたいと思っていた人とようやく再会できたんだ。関係の無い私達がその時間を邪魔するのは無粋だよね。……それに。私達が今、なんとかしなきゃいけないのは、サトミさんの方だ。
生者へと手出しはご法度だとナギ先輩は言っていた。それで言うなら、サトミさんは問答無用で祓われてしまうんだろう。未遂に終わったとは言えど、生者であるスズカちゃんに手を出そうとしていたのは事実だから。サトミさんもそれが分かっているのか、またじたばたと暴れ出す。それでもコウ先輩の手からは逃れることができない。すると。
「ね、ねぇ! おにいちゃん達、ユウジくんをどうするの?」
怖々と、それでもしっかりと。私の後ろからスズカちゃんがそう言った。
「その子ね、わたしのお友達なの……酷いことはしないよね……?」
「友達だぁ?」
コウ先輩に凄まれて、「ひっ!」と小さな悲鳴をあげたスズカちゃんは再び私の後ろに隠れてしまった。と、思えばすぐに顔だけ出して、「ちゃんと友達だもん」と泣きそうな声で続ける。
「その友達とやらにお前は殺されかけたんだぞ? 分かってんのかよ」
「こーちゃん、こんなちっちゃい子相手に凄まないの」
ナギ先輩は肩を竦めたあと、「でもそれは事実だよ」とスズカちゃんを見つめた。その瞳は一見すると優しそうに弧を描いていたけれど────明らかに温度は無い、冷たい瞳だった。
「ちょ、ちょっとお二人共、スズカちゃんが怖がってますよ」
さすがに居た堪れなくなって、私はスズカちゃんを抱き締める。
「酷いなぁ、こーちゃんはともかく、僕はこんなにも優しいのに」
「どっからどう見てもお前の本性の方が怖ぇだろ」
いや、普通に両方怖いですけどね。怖さの種類は違うけど。……とは勿論言わず、私はこの状況をどうスズカちゃんに話そうかと思案する。
まだ幼いスズカちゃんにとって、友達だと思っていた相手が実はオバケで、自分を取り殺そうとして企てていたのが失敗し、その罪で今まさに祓われようとしている────なんてことは、たとえ取り繕えない事実だとしても残酷がすぎる。何をどう告げたとしてもスズカちゃんは傷付くだろうと思うと、上手く言葉にできなかった。
「それでも、友達なんだもん……」
弱々しい声でスズカちゃんは言う。サトミさんが何かを言いかけて口を開き、そして結局何も言わずに噤んだのが分かった。
「わたし、全然怒ってないよ。だからユウジくんのこと、許してあげて欲しいの」
「はっ、随分と人のいいガキなこって」
コウ先輩が鼻を鳴らす。
「友達が間違ったことをしていたら、それは違うよって教えるのは友達の役目でしょ?」
なかなかに正しいことをスズカちゃんは言った。どうやらスズカちゃんは本気でサトミさんを友達だと考えていて、なんとかして救おうとしているようだった。そんな純粋な気持ちがサトミさんの心を動かしたのだろうか。
「……で、でも、ボクはきみのことを」
蚊の鳴くような小さな声で、サトミさんが呟く。
「もういいの。だって友達なら喧嘩くらいするもん! だから一緒に帰ろうよ」
スズカちゃんはそう言って、屈託の無い笑顔を浮かべた。一方でサトミさんの顔は曇っていく。それが不可能だって知っている私の顔も、同じように曇っていたと思う。
「無理だよ……」
「なんでそんなこと言うの!」
「だって、ボクは、旧校舎からは出られない」
そうだ。けど、それはサトミさんだけじゃない。花子さんやマコト先生達にも言えること。旧校舎に居るオバケ達にはみんな、〝旧校舎に出る〟と噂されている。つまりは旧校舎以外には出られないんだ。噂以上のことはできない。それがカレらの制約だ。
「どうして?」
「ボクは旧校舎のオバケだから」
「じゃあ新校舎にお引越しすればいいじゃん!」
まるでお菓子を買って貰えない駄々っ子のように、スズカちゃんはイヤイヤと頭を振る。それでも「無理だよ」と、サトミさんは悲しそうに目を伏せた。
「もー! やってもないのに無理って言わないで!」
「でも、どう頑張っても無理なんだよ。ボクはどうやったって旧校舎からは出られない。〝旧校舎のサトミさん〟はそういうオバケだって、噂で決められているから」
「何それ?」
スズカちゃんは意味が分からないとでも言いたそうな顔をひた。そりゃあそうだと思う。噂によって生かされているカレらの制約の話を、スズカちゃんが知るはずないんだから。
「うーん、よく分かんないけどさぁ」
そんな風に言いつつも、スズカちゃんは不思議そうに首を傾げた。そして。
「じゃあ、新しく噂を作ればいいんじゃないの?」
そう続けたのだった。




