旧校舎の七不思議 壱
夏休みを直前に控えた、七月の暑い日。
午後四時の、まだまだ高い夏空の下、私達は古い校舎の前に立っていた。
子供が数人、旧校舎に立ち入ったまま帰って来ないようだ────。
そういう依頼が舞い込んだと聞いたのは、昨日の夜だった。
ナギ先輩が言うには、依頼者はその小学校の校長を務める初老の男性とのこと。子供が行方不明ともなれば、連絡すべきなのは祓い屋の鹿子家じゃなくて、事件や事故を扱う警察でしょうと思ったのだけど、どうやら校長先生には何か考えがあった様子。
端的に言えば、人ならざるモノが関連していると確信していた、らしい。
今回舞台となったのは、校庭の隅にひっそりと建つ、既に使われていない木造校舎だ。築百年以上のその旧校舎は倒壊の危険があるからと、とっくの昔から立ち入り禁止になっていたそう。
でも、「校庭は子供達が遊ぶ場所でもあるのに、いつ崩れてもおかしくないような建物があるのはよろしくないんじゃないか?」とか「使ってないものを残しておく意味はあるのか?」なんて、まぁまぁ分からなくもない声が保護者の間で上がり、この夏休み中に取り壊されることも決定済みだった。そしてそんな旧校舎には、その不気味な出で立ちのせいか……前々からオカルト染みた噂が流れていたらしい。
行方が分からなくなった子供達は、立ち入りが禁止されている旧校舎へと忍び込み、数々の噂の真相を明かす計画を秘密裏に進めていた。夏休みを過ごしている間に、旧校舎は影も形も無く壊されてしまうという事実が、余計に彼らを掻き立てたんだと思う。
とにかく、その日の放課後、計画は実行されることになった。けど、仲間内の一人が怖気付き、直前になって行き渋ってしまったそうだ。そのため、その子を除いた数人で旧校舎へ入ることにして、残された子は旧校舎の玄関前で仲間達の帰りをずっと待っていた。……なのに、どれだけ待っても、誰一人帰ってこない。
結局その子は、日が完全に沈んで真っ暗になっても誰も出てこないことに焦りと恐怖を感じて泣き出して、泣き声を聞き付けた教員に保護された。そこで友達が旧校舎へ忍び込んだと吐いたので、慌てた教員達は手分けして旧校舎中を探し回ったらしい。それでも見つからず、事件に巻き込まれたのかもしれないと警察に通報したのが昨日の夜、六時過ぎの話。その後、警察官によって再び捜索されたものの、子供達の発見には至らなかった。
警察はまだ、子供達が行方不明になっていることを公にしていない。なんでも事件に巻き込まれた可能性と、自主的な家出の可能性があるからだとか。後者であれば、「人騒がせな子供達だ」と世間からバッシングされるのを防ぐため────前者の場合は、情報を公開することで犯人を無闇に刺激するのは良くないため、らしい。
だから今日のところはパトロールという名目で警察官を町中に多数配置し、本格的な捜査は明日から行うようだった。子供達の保護者はそれを待ち切れず、夜通しであちこち探し回っているみたいだけど……。
そんな中、校長先生だけは、子供達は警察では解決できない出来事に巻き込まれたという、第三の可能性を考えていた。
「私はね、旧校舎がまだ現役だった頃、ここに通っていた子供だったんですよ」
そう言って目を細めた校長先生は聞かせてくれた。
昔、校長先生がまだ子供だった頃、あの校舎で見知らぬ女の子に出会ったこと。「友達になって欲しい」と言われ、その子と一緒に校舎内で遊んだこと。ところがいざ家に帰ってみると、最後に家を出た日から既に三日も経っていたこと。その間は行方不明になったとされ、学校中で大騒ぎになっていたこと。両親に散々叱られたこと。家出扱いで処理されたけど、近所の人達には〝神隠し〟にあったと囁かれたこと。
後々女の子を探してみたものの、会えなかったこと。大人になり教員としてこの小学校に戻って来た時、一度だけその子によく似た人影を旧校舎の窓に見たこと。その時、旧校舎は既に立ち入りが禁止されていたこと。
「あの校舎には化学では説明できない、不思議な存在が居ると思うんです。こんなこと、あまり大声では言えませんが」
校長先生は困ったように笑ったあと、私達に向かって深々と頭を下げた。
子供達が帰って来れない理由があの女の子にあるのなら、どうか代わりに助けてあげて欲しい。私では力不足だろうから、と。
△△△
「……カビくせぇ」
旧校舎へ入るなり、コウ先輩は顔をしかめてしまった。その手にはいつぞやの金属バットが握られている。
長い間、立ち入りが禁止され、人を寄せ付けなかったからだと思う。旧校舎はカビと埃の臭いが充満していて、思わず鼻を覆ってしまうほどの異臭を放っていた。ささくれだった床は埃が雪のように降り積もって白くなっていて、歩くたびにギシギシと不快な音を立てる。……お世辞にも綺麗とは言えない環境だ。
「子供達が校舎に入ったのも、その後大人がその子達を捜索したのも、どうやら本当みたいだね」
ナギ先輩がすっと床を指差す。見れば、床にはたくさんの足跡がついていた。サイズも形もまちまちで、小さいものもあるし大きなものもある。どれも埃が積もった床を踏み荒らしたことで付いた足跡だった。小さい方の足跡を辿って行けば行方不明の子供達に巡り会えるかもと一瞬考えたけど、ここまでぐちゃぐちゃに荒らされていたら、多分無理だろうな。
「ところで」
私はコウ先輩へと────もっと正確に言えば、コウ先輩が持つバットへと目を向ける。
「前からずっと気になっていたんですけど、なんでコウ先輩は金属バットを持ち歩いてるんですか?」
「あ? これか? なんだよ、随分今更だな」
コウ先輩はそう言って、片手でブンブンと金属バットを振り回す。
「これもコイツのまじない付き。アイツらを弱らせる効果があるらしいぞ」
なるほど、と私は頷いた。
「だから物理が効くんですか。でも、私はアイツらに触れたこと、無いですよ」
この間の幽霊だって、他の物体を触ったり動かしたりはできなかった。いや、何もそれに限った話じゃない。今までアイツらをたくさん見てきた割には、物体に干渉できるモノは勿論、私の体に直接触って何かしてくるようなモノは居なかったと思う。
先輩達と出会うきっかけになったあの黒い影だって、実体があると言うよりは、私の口や鼻から中へと入り込んで来るような────例えるなら毒ガスみたいな感じだった。……あれ? でも、そう言えば。
「先輩達は触れてません?」
今までの出来事を思い出してみても、先輩達はアイツらに何度も触れている気がする。コウ先輩はあの黒い影を金属バットでタコ殴りにしていたし、ナギ先輩に至ってはアイツらを思い切り掴んでいた。そもそもナギ先輩の腕に彫られたまじないって、アイツらに触れることで祓う力が発揮されるんじゃなかったっけ?
「まぁ、そうだね」
ナギ先輩はそれを肯定した。
「アイツらは居ないようで、ちゃんとそこに居るからね。ほら、例えば霧って目の前にあるのに掴めないよね? けど意識して触ろうとすると、手のひらに水滴とか、なんか冷たいものとかを感じるでしょ? 感覚的にはあれに近いかな」
ナギ先輩の言うことは相変わらず、分かりそうで分からない。首を捻っていると先輩は苦笑した。
「感覚の話をしても難しいか。他にも、触れるわけがないって思い込んでるところも触れない原因のひとつかもしれない。でもタマちゃんだって素質はあるんだし、一回感覚を掴めさえすれば触れると思うよ」
別にどうしても触りたいわけじゃないんだけど……。いや、でも触れた方が仮に何かあった時ためになるかも?
それにしても、うーん、霧を触る感覚か……。私なりに解釈するなら、自分から掴もうとするより、流れてきたものをソッと受け止めるような感覚、とか……?
「勉強熱心なこって」
手を握ったり開いたりする私を見て、コウ先輩が肩を竦めた。その時。
キーンコーンカーンコーン……。
チャイムが鳴った。
その歪んだ音は頭の中にぐわんぐわんと響いて、まさに不協和音と呼ぶのが相応しい、不愉快なメロディを奏でる。
思わず耳を押さえてしゃがみ込んでしまった。見れば、先輩達も顔を歪め、両手で耳を塞いでいる。……でも、おかしいな。旧校舎の方は使われなくなって久しいって聞いていたのに、なんで今更チャイムが。
キーンコーンカーンコーン……。
不快な余韻を残して、チャイムが終わった。
「なんだったんですかね……?」
ようやく耳から手を話して、私は立ち上がる────返事が無い。
「先輩?」
あたりを見渡す。ナギ先輩もコウ先輩も居ない。消えていた。
「うわぁ、そういうパターンか……」
私は深くため息をついた。きっとここは、現実にある旧校舎から隔離された場所だ。私の言葉で表すなら、現実とは同じようで少し違う、鏡の中に写った世界のようなところって感じ……?
少しずつだけど、私にもそういうのが感覚で分かるようになってきているから、そこに間違いは無い、と思う……多分。
ところで先輩達はどこだろう。まさか、前に夢の中の喫茶店へ行った時みたいに、私だけが誘われたわけじゃない、よね? だとしたらまた厄介なことになりそうだ。
「先輩達も居るのなら早く合流したいな」
そんな独り言を呟きつつ、私は校舎内を見て回ることにした。




