Flag-020【封じられたLegacy】
「ほれ、ブラックでいいのかい?」
「ありがとうございます・・・。」
マスターがカウンターに置いたマグカップの取っ手を右手に掴み、左手をカップの横に添えた。暖かい。今日はやや風が吹いていた。コースがある庭に面した背中のスライドドアが、時折静かにガタガタと鳴る。締め切ってはいるが、冬の初めらしい寒さがそのドア越しに伝わってくる。ガーデン日吉のカウンター席には他に、壮太と、Nコードさんがいた。土曜の午後だったが、他の常連は揃ってどっかの大会に遠征してるとかで、いなかった。
「伊緒と奈緒からも話は聞いた。ツギテ、思った以上に手強かったようだな。変則的なバンパーの組み方までもが計算の内、おまけに十分なパーツコンディションに、当たりモーターの選別か。高度なセッティングシミュレーターを有しているのはもちろんだが・・・それだけの組織ではないようだな。」
「しかしお前さんも無茶したもんだよな。まぁ無事でよかったようなもんだが、伊緒ちゃんのマシンをあんな手で壊したのが本当にその連中なら、正直、何されたかわからんぞ?」
「はい・・・。」
マスターの言う通りだ。あのDKと名乗ったツギテは挨拶と言ってはいたが、それで済んだのはたまたま連中が本当にそれだけのつもりだったからだ。レースに乗じてマシンに危害加えてきたり、勝負に破れてチップを奪われるリスクだって、あった。
「それにしても、なぜ伊緒と奈緒のいるヤクモ模型にわざわざ現れたのか・・・。」
「え?それは、クグツ衆に敵対してるからなんじゃないんですか?」
Nコードさんは一層難しい顔で、コーヒーを啜っていた。何か、どうやっても解けない謎がそこにある、というように。
「クグツ狩りをやっているのはあの二人に限ったことではない。それにあのGPチップと、ドライブウイングを模した黒いビッグバンゴースト・・・ますます、冴と何らかの因縁があるように思えてならないが。」
「ちょっと待ってくれよ、冴ちゃんが姿を消してもう六年だぞ?実は日本戻ってるのかもわからんが・・・少なくとも、ミニ四駆界に復帰したって話はないだろ。ごく最近のさばってきたあの連中と、一体どんな因縁があるっていうんだい?」
「あるいは、もっと古い因縁か、」
「今更か?」
マスターの言う通り、御堂姉妹でなくあくまで神楽さんに対して敵意を抱く理由は見つからない。だが実際・・・、
「そいつのマシンは、冴のドライブウイングを意識したものだと言ったそうだ。ファルシオンでもクレイモアでもなく・・・やはり、何かある。クリヌシ、何者なんだ?」
結局、DKから何かを聞き出すことは叶わなかった。あのレースに勝てていれば・・・。奴の言う通りなら、近々またクグツ衆と再戦する事になるだろう。今のドライブウイングでは速度でも安定性でも、ツギテ相手には不安がある。なんとしてもあともう一歩、伸ばす必要があった。それで日吉へ来た俺だったが、その手立てというのは幾らも思いついてなかった。ところで、さっきから話に加わらず、コーヒーにも手を付けず、壮太は端のカウンター席でずっとエスペランサをいじっていた。壮太もまたもう一歩マシンを改良するために来たらしいのだが。
「ん、シャーシ替えるのか?」
「いんや。」
壮太は前後バンパーの9mmベアリングローラー六個を外し、ホイールやシャフトまでバラしていた。まるでシャーシ交換のような光景だが。
「ついにこいつに手出すとき、来たな。」
「壮太、それは!?」
壮太がバッグから取り出したモノを見て、Nコードさんが声を上げる。それはボディがないVSシャーシ一台、それも830ベアリングから何からフル装備の。
「お、お前・・・MSシャーシだけかと思ったらすごいの持ってるな。こいつで走るのか?」
見た感じセッティングも不安なところはないし、かなり速いマシンのはずだ。この装備なら奴らのマシンにも遅れは取らないだろう。しかし、
「まっさかー!こいつはオレのマシンじゃないぞ?けど、好きに使えってんだし・・・しゃーないな、お言葉に甘えるか。」
そういうと壮太は、メンテすればすぐにでもいい走りを見せてくれそうなそのマシンを、分解し始めた。まずはフロントの830ベアリングローラーまわりから。
「それ、バラすのか!?・・・そうか、エスペランサに移すんだな。」
「ほんとはいつか、オレのエスペランサともう一回勝負させるつもりで取っといたけど・・・ま、どうせ節々劣化してるだろうし、いっかなと思って。」
Nコードさんはしばし考えるようにして、それから壮太に聞いた。
「それが、エスペランサの本体か?」
「ボディとシャーシと、どっちのほう本体って言うのかよくわかんないけど・・・そ、一緒に貰ったやつ、あのねぇちゃんから。」
「ってことはつまり、神楽さんの?」
エスペランサを壮太に譲ったのは神楽さんに違いない。確かに、かつて俺が神楽さんと勝負したときのエスペランサはVSシャーシだった。
「そのねぇちゃんかはわかんねーって。・・・けどあのねぇちゃんは、速かった。すげーレーサーだったな。」
壮太はセッティングを進めながら、エスペランサを譲り受けた時の話をし始めた。
壮太がそのねぇちゃん、つまりおそらくは神楽さんと会ったのは、家に近い大型スーパーのおもちゃ売場だったそうだ。今はないが、一時期そこには市販のJCJC2セット分くらいのフラットコースがあって、まだガーデン日吉を知らない頃、壮太はそこに通っていた。その頃のマシンは、初めて買ったナイトロサンダーに、フロントはFRPワイドプレートと9mmベアリング、リヤはFRPマルチプレートに大径プラローラー二段と、辛うじて左右ローラー幅が規定一杯の105mmとなるようなセッティングだったらしい。
「君、一人かい?その歳で友達も親御さんもなしに走らせてる子なんて、珍しいな。」
床にシートを広げてマシンをいじっていた壮太に、ふと声が掛かる。白いワイシャツに黒のロングパンツ、髪はセミロングの、大学生くらいのお姉さんだった。
「そんな一緒についてくるような暇な人、うちいないし。・・・ねぇちゃん、ひょっとしてコドモ好きか?」
壮太の意外な問い掛けに、神楽さんは首を傾げながら答えた。
「え・・・?まぁ、そうかな。なんで?」
「二十代から五十代くらいのコドモ好きで、ニコニコしながら声掛けてきたら、アブナイ人かもしれないって、うちのねーちゃんが言ってた。」
警戒心丸出しの目で見上げられながらそんなことを言われた神楽さんは、しかし腹を抱えて爆笑していた。
「ハッハッ!ショックだね、そんな風に見えるかな?にしても君、その歳にしちゃしっかりしてそうだね。ハハッ、感心感心。」
「話上手なヤツにも気を付けろって、言われた。」
「君のお姉さんもなかなかのしっかり者みたいだね。それじゃあ、おやつに誘ったりとかはしない方が良さそうかな。気を付けるよ。・・・ところで君もあれ、出るのかな?」
神楽さんが示すコース脇の柱には、一週間後のミニ四駆大会の告知があった。ジュニアとオープンに分けられ、他の店舗も並ぶスーパー内の立地上から、モーターはチューン系に限られていた。
「うん。それが?」
「勝てる自信、あるかい?」
「・・・。」
壮太は黙った。普段走らせてて、もっと速い子が幾らでもいるのは知ってた。親と一緒に来てる子なんかは、少なくともパーツだけはいいものを積んでる。場末の草レースでコースが小さいこともあり、よほど速いレーサーが来るってことはなかったらしいが、とはいえ正直、自分に勝ち目はないように思えた。
「よし!それじゃあ一人で頑張るしっかり者の君に、お姉さんが速くなるコツ、教えてあげるってのはどうかな?ホントは近くにいいコースある店も知ってるんだけど、誘って通報とかされたらヤだしね・・・クックッ。あーおかしい!いやゴメン。大丈夫、ここで教えることにするよ。」
壮太はまだ、胡散臭そうな目をじっと向けていた。
「だいたいねぇちゃん、ミニ四駆持ってるのか?やっぱ怪しい・・・。」
「おっと、そうだったね。じゃあご挨拶がてら・・・一勝負、しよっか。」
そう言って、神楽さんは腰にぶら下げたケースに手を伸ばすと、そこからVSシャーシのアストロブーメランを引き出して見せた。肉抜きでしっかり軽量化されたボディに、クリアキャノピーとオリジナルカラーリング。自分が使うキットまんまの、いささか野暮ったいナイトロサンダーに比べ、よく作り込まれたそのボディに壮太は目を見張った。
「ハンデ。使いかけの電池の弱い方でいいから、貸してくれないかな?」
こんなにわかっぽい姉ちゃんのマシンに負けるはず無い、と自分に言い聞かせつつも、壮太はさっきまで使ってたそこそこのアルカリ電池を渡し、自分は新品のアルカリを積んで挑んだ。しかしそんなハンデで埋まる差ではなく、結果は待つまでもなかった。インだのアウトだのといった駆け引きもなく、ただただその圧倒的な速さに魅入るしかなかった。
「ねぇちゃん、ホンモノのミニ四レーサー、なのか?」
「そこは信じてもらえたかな?お姉さん、ミニ四駆はちょっと自信あるよ。」
壮太はそれでも、神楽さんの腕の程についてはまだ幾らか疑いを持っていた。
「でもそれ、830ってやつだろ?そんだけいいパーツばっか付けてたら、速いだろ。オレのマシンの装備じゃ・・・そんなお金、持ってないし。」
「いや?君のマシン、なかなか無駄がない買い物してると思うよ。チューンモーターでこのコースレイアウトなら、その装備でも十分勝てる走りできるんじゃないかな。ちょっとしたコツだけで結構変わるもんだよ?ミニ四駆はさ。」
「無理だろ・・・。」
四時過ぎと門限も近いことだし、なんだかわからない自称ミニ四レーサーのお姉さんと話し続けてるのもどうかと思い、壮太は荷物をまとめて引き上げることにした。
「じゃ、また明日ね。」
神楽さんは言った。確かに壮太は毎日通っていたが、明日も行ったものかどうか、少し迷った。
それでも壮太は学校が終わると、いつも通りその店へ向かった。またあの知らないねぇちゃんが絡んできたらどうしよう、と思いながらも、大会までこのまま何もしないわけにはいかなかった。何をしたらいいかは、見えてなかったようだが。案の定、神楽さんはそこにいた。
「やぁ、待ちくたびれたよ。」
「待ち伏せしてたのか?やっぱねぇちゃん、アブナイ人・・・?」
神楽さんが腰掛けたベンチの隣には、そこのおもちゃ屋の袋があった。それには、キットやモーター、パーツの空きパッケージとか、パーツを外したランナーとかが詰まっていた。そして神楽さんの手元には、とてもよく見慣れたMSシャーシのマシンが一台。
「それ、オレのと同じセッティング・・・パクったのか?」
「まぁね。暇だったから、君が来るまでの間に作ってみたよ。ついでにさ、ボディもMSシャーシ乗るようにちょっと加工してみたんだ。」
そのセッティングは確かに、昨日見かけただけのはずなのに、壮太のと寸分違わなかった。ボディは昨日はVSシャーシに載せていた、あのアストロブーメラン。どこをどう加工したか、違和感無くピタリとMSシャーシに合わさっていた。
「そんじゃ、改めて勝負しよっか?」
「それとか?」
「使ってるパーツ全く同じだし、これならいい勝負になるんじゃないかと思ってさ。あ、今日はお姉さんが新品の電池貸すよ。」
自信ありげな神楽さんの様子に警戒しつつ、それでも自分のマシンに一定の自信があった壮太は、いい勝負に持ち込めると踏んでいた。
「・・・いいよ。」
そして臨んだレースだったが、結局インもアウトも関係なく、一周追うごとに神楽さんのマシンがリードを広げていくという有様だった。
「やっぱりなかなかいいセッティングだよ。これだけ速度出してもレーンチェンジ安定してるしね。」
「すげー・・・ねぇちゃん、すげーよ。」
これには、さすがの壮太も認めざるを得なかったようだ。とっくに三周1セットを終えても、呆然とその走りを眺め続けていた。程なく、二周遅れの壮太のマシンに追いつきそうになったところで、神楽さんは自分のマシンを引き上げた。
「見たかい?いいことを教えてあげよう・・・無理かどうか、決めるのは自分さ。」
Intermission
「とまぁね、こんくらいの速さでよければお姉さんでも面倒みれると思うんだけど・・・試してみるかい?」
そこの店でそんな速さで走るジュニアマシンを、壮太は見たことがなかった。もはや疑いも迷いもなかった。
「試す!試してみる!・・・でもお金、なくてホントにダイジョブか?」
「欲を言えば、もう何百円かあればバッチしって感じかな。軸受けとギヤの交換・・・そんなもんかな。」
「五百円くらいなら、なんとか。パーツとかギヤ、削ったりするのか・・・?」
神楽さんは前日走らせていたVSシャーシの方をかざして言った。
「見ての通りだよ。実はこいつもホイール以外のパーツは全部無加工さ。それなら後でセッティング変えて困ることないし、お金ない君にも安心でしょ?」
「そしたらまずどうする?なにやる?」
すっかり乗り気になった壮太は、居ても立ってもいられないというように先をせがんだ。
「さ、まずは全部パーツ外して大掃除からだよ。シャーシとギヤのグリスをきれいに落とすんだ。クリーナースプレーは・・・持ってないよね。じゃあ、洗面器にお湯と食器用の中性洗剤入れて浸け置きかな。そしたらティッシュと爪楊枝できれいに拭き取れるはずだよ。」
「洗剤浸け置きなら任せろだ!それからそれから?」
「それから先は・・・また明日だよ。」
翌日、壮太は神楽さんから貰った新品の超速ギヤの内部に、360円の520ベアリングを組み込んだ。ホイールシャフトには100円の真鍮製メタル軸受け、買い物はそれだけだった。そして例の如く、両面テープを使った駆動系調整を学んだ。
「これで駆動系はほぼほぼ一級クラス、十分なはずだ。ギヤ用オイルはすぐには買えないだろうから、少し分けてあげるよ。モーターはそのトルクチューンでOK、調子いいみたいだしね。あとはターミナル磨きと・・・9mmベアリングも清掃しとこっか。」
この時点で壮太のマシンは、スタビパーツやリヤのプラローラーを除き、ほとんど現在の状態に近いところまで完成していたらしい。スイッチを入れると昨日までと打って変わって、静かな低い唸りをあげるマシン。コースに入れると、未だかつて経験したことがないような、そんな走りを見せたという。
そして来るべき大会で、壮太のマシンはジュニア部門で圧勝した。日頃からフラットレースをやってるような強豪が来るような大会じゃなかった、というのもあるだろうが、その速さは大人のオープン部門優勝車すら及ばなかったそうだ。
「ねぇちゃん、ありがとな!」
「いや、こちらこそいい走りを見せてもらったよ。この時代でも、ジュニアでそういう根気のあるレーサーがまだまだいるってね・・・君は、私に希望を示してくれた。だからこいつを託したい。君ならきっと、こいつを使いこなせる。」
そう言って、神楽さんは自分のマシンを差し出した。VSシャーシに乗った、そのアストロブーメランを。俺がドライブウイングを譲り受けた時と似たような光景だ。だが、壮太の返事は意外なものだった。
「いんや、なんっつーかな・・・。そいつは確かに最高だけど、あんたの最高であってオレのじゃない。」
「え?」
壮太は自分の手元、共に戦い抜いてきた愛車に目を移す。
「オレにはこいつがいるし。ねーちゃんにパーツとか買ってもらって、オレがずっと育ててきたこいつが。そりゃ、まだ最高とか全然程遠いんだけどさ・・・そこまで持ってきたいんだよな、オレの手で。」
お姉さんにお小遣い工面してもらってるってのもあるんだろう。壮太はシャーシもパーツも含めて、自分のマシンと認識してるらしかった。そう、自分のマシンという、強いこだわり・・・それを聞いた神楽さんは、深く納得したらしかった。
「失礼、どうやら君は本物のようだね。私は、素晴らしいレーサーに出会えたようだ。」
「けど・・・。」
と、そこで壮太は言いづらそうに呟く。
「なんだい?」
「・・・ねぇちゃんのマシン、そのボディは最高にかっけぇ!そんな軽くてイカしたやつはたぶん、そうそうお目に掛かれない気するし、お金あったって買えるもんじゃないし、だから、その・・・。」
伏せ目がちにエスペランサに目をやる壮太に、神楽さんは笑った。
「ハハッ!そっか、そういうことね。いいさ、好きに使ってくれて。VSシャーシの方はバラしてパーツだけ使うんでも構わないし。何より、そこまでエスペランサを気に入ってくれたんなら、それで十分さ。」
「えすぺらんさ・・・エスペランサか!ねぇちゃんが付けたのか?いい名前だな!」
「そう言ってもらえると本望だ。君に託したいもの、そのものだからね・・・。」
神楽さんの手からそっと受け取ると、早速、壮太はエスペランサのボディを外し、自分のマシンに載せ換えて掲げ、仰ぎ見た。最初からそう意識して作られたかのように、MSシャーシにフィットしたその姿を、壮太は惚れ惚れと見上げた。
「かっけぇ・・・すげぇ・・・かっけぇ。でもねぇちゃん、ホントにいいのか?」
「言ったろ、君にならこいつを託せる・・・いや、使ってほしいんだ、君の手でさ。一緒に、君が目指す最高のマシンに仕上げてやってくれ。」
「おう。見せてやるぜ、オレのエスペランサを!」
「ああ。見せてくれ、君のエスペランサを。」
壮太はその後もしばらくその店に通っていたが、神楽さんとは、それきりになったそうだ。
「そうか・・・冴らしいな。」
Nコードさんが呟くと、壮太はどこか残念そうに言った。
「オレ、名前聞かなかったんだ。あん時は・・・。」
「神楽さんが・・・、」
エスペランサに対する壮太の思い入れの強さを改めて知った俺の目線は、自然とドライブウイングに移っていた。みんな言葉少なになったその時、庭に面したドアの一枚が静かに開きだした。
「お?なーんだ湊君、静かにしてるもんだからすっかり忘れてたよ。」
この間日吉でパーツ一式を大人買いして、その場で壮太を負かすマシンを組み上げた少年だ。どうやら俺らより早く店に来て、庭のコース脇に陣取ってたらしい。マスターが言うように、マシン走らせる音もしなかったから、俺も今の今まで全く気づかなかった。店長はポットに残ったコーヒーをもう一杯注ぎ、湊に差し出す。
「寒かったろうに。声掛けるの遅くなって、すまんね。」
「いえ・・・ちょっと、入りづらくなっちゃって。」
そう言って、湊は湯気の立つコーヒーに目を落とした。
「よーし、いっけぇ!」
気合い満タンの壮太の一声と共に、生まれ変わったエスペランサがコースを駆け出す。程々に速度が乗った状態でチェッカーラインのイン側、ラップタイマーの下をくぐり、カウントが始まった。その一周目からして、その速さは目を疑うものだった。
「え?」
気づけば湊も自分の手を止め、コースに目を向けていた。ローラーは830ベアリング、軸受けには620ベアリング、変えたのはそれだけだったが、エスペランサの走りはもはや別物だった。その豪速であっという間に周回を重ね、いよいよ三周目、レーンチェンジブリッジに入る。・・・が、
「おおっ?・・・と!あーダメだこりゃ。」
コースアウトを見越した壮太は首尾よくレーンチェンジの出口側にいて、懐にエスペランサを受け止める。湊はそれを見届けてか、再び自分の作業に戻っていた。
「スラストは?」
「フロントはフツーのまんま、リヤはまた1度上向きにしといたけど。登りでフロントスタビもこすらせてるしなー、あとどうしたもんか・・・もー少しなんだけどなー。」
「ああ・・・、」
着実に伸びを見せる壮太のマシンを横目に、俺はドライブウイングをコースへ入れた。前回とさほどセッティングは変わってない。リヤは強度不安ありつつも、やはりカウンターブレードのままだ。普通の組み方じゃタイムが落ちるのは、ずいぶん前にも試してる。代わりに、俺はフロントバンパーの強度に目を向けていた。TZXシャーシのフロントバンパーはそんなにヤワじゃないが、指で力を加えればローラーが傾く程度。そこで俺は、ローラー幅を広げるため左右に継ぎ足したFRPワイドプレートの一端を、バンパーの根本に向けて伸ばしていた。そこに短いネジを立てて、車軸に近いより丈夫な部分に先端を押し当て、つっかえ棒にする。ローラーが壁から受ける抵抗でバンパー全体に上向きの力が掛かっても、その根本側が踏ん張って、下向きのローラースラスト角を維持できる仕組みだ。それに、フロントバンパーのたわみが抑えられれば安定性だけじゃなく、変形ロスが減るから速度も幾分上がるはずだった。確かに、幾分いい走りにはなっているが・・・三周目のレーンチェンジブリッジ頂点でマシンが右に傾くと、そのままゆっくりと錐揉みになって身構える俺の懐に飛び込んでくる。
「・・・ダメか。」
「悪くないな。それをやるならフロントのワイドプレート、剛性に優れた金属製を使う手もある。」
「アルミですか?うーん、なんか曲がりそうで。」
Nコードさんの言う通り、全く同じ形状でアルミ製のもある。FRP製よりたわみにくいが、一度曲がると二度と真っ直ぐにはならない。剛性ある分、速度も安定性も上がりそうだし、この用途にはぴったりなんだが。
「シルバーのアルミ製が不安なら、ピンクかゴールドのジェラルミン製を使うといい。」
「え?あれ、単なる色違いじゃないんですか?・・・知らなかった。」
「商品名はアルミだが、実はジェラルミンに近い。リヤバンパーの方はそれで粘るつもりなら、試しに新品に変えてみるといいかもな。」
カウンターブレード前提の方針を見取ってか、Nコードさんはそう言った。
「新品?同じFRPの、ですか?」
「FRPも丈夫なようで劣化する。長く変えてないなら、剛性が落ちてたわみやすくなっている可能性はある。」
FRP製パーツは割れたり折れたりってのがほとんどないもんだから、ほぼ寿命無く使えるもんだとばかり思ってただけに、それも初耳だった。剛性が落ちるなんてのは気にしたことがなかった。
「なるほど、そう言われると・・・。どうしても、レーンチェンジで車体が右に傾くんですよね。踏ん張り効いてないのか?」
レーンチェンジブリッジは左曲がり、右曲がりの順のS字になっている。多くの場合、登りの左曲がりでマシンが右フェンスに寄りかかり、そのまま右に傾いてコース外に転がっていく。壮太のマシンもそうだった。
「そっかー、翔司郎もかー。どうしても右に転がる・・・。」
「マシンが押しつけられるコーナーの外側の壁は基本、開き気味のことが多い。それはレーンチェンジも同じだ。」
だから開きが少ない、新品に近いレーンチェンジブリッジはクリアしやすい。それはわかるが、コース頼みというわけには・・・いい手が浮かばず俺が思い倦ねるその脇で、壮太がふと声を上げた。
「そっか!そうだ、これならすぐできる・・・さぁ帰るまで残り二十分、これっきゃない!」
壮太はよほどの手を思いついたか、早速店内のカウンターに戻って電池の追い充電と、セッティング変更に取り掛かった。時間は四時半を過ぎていた。日が傾きだんだんと暗くなりつつある一方、風は収まりつつあった。
「ところで湊のマシン、タイム幾つまで行ってるんだ?」
「今日、やっと9.47までいきました。」
「そ・・・そっか。」
聞いた俺はいささか落ち込んだ。いつぞやNコードさんに目指せと言われた9.5秒をとっくに切ってる。俺のマシンも完走さえできれば、そのくらい行くはずなんだが。とりあえず新品のFRPでも買っておくか、と店内に入ろうとしたとき、急にドアが開いて壮太が転がり出てきた。
「おおっとアブね、すまねー翔司郎・・・あ、時間やべー!」
そう言って、壮太はすぐさまコース脇に向かい、エスペランサを放り込んだ。
「もうか!何いじったんだよ?」
「ちょっとな!」
電池の充電が終わるまで、メンテする程度の時間しかなかった。しかし、壮太は自信ありげにエスペランサの走りを見守る。先ほど同様、とても完走しそうにない速度で駆け巡るマシンを。そして、問題のレーンチェンジブリッジに達した。
「踏ん張れ!」
そのかけ声に合わせ、エスペランサはすたっと、左端のレーンに着地した。それからあっという間に連続コーナーを突き進み、ラップタイマーが待つチェッカーラインを過ぎる。と同時に、壮太はパチンと指を響かせた。
「よっしゃあ!・・・じゃ、帰る。おつかれな!」
壮太はちらりとラップタイマーを覗くと、コースからマシンを拾い、慌ただしくカウンター席へ引き返す。すでに荷物をまとめていたらしく、マシンをしまうとそのまま店を出ていった。俺はそれを見届けてから、気になってラップタイマーのそばに寄った。そして暗い表示盤に目を凝らし、目を疑った。
「9.38・・・9.38?マジか!?」
確かにそのくらい出てそうな速さではあったが。あの見事なレーンチェンジ挙動といい、一体何が起こったのか。一部始終を見届けながらも、俺にはついていけない展開だった。気づけば湊も俺の隣でタイマーを覗き、呆然としていた。そしてごく小さく、こう呟いていた。
「壮太なら、勝てるかもしれない・・・あのマシンにも。」
次回予告
壮「さぁ、グツグツでもツギハギでも何でも来いだぜ!」
翔「確かに、今のエスペランサなら・・・だが、俺は。」
D「生憎と自信あろうが無かろうが、勝利は常にクリヌシ様のお導きの先、さ!今回はこちらでコースを用意させてもらった、お誂え向きのをな。」
翔「ビルの上にコース、だと?」
D「レーンチェンジからコースアウトしたらさぁ大変!ビルの下へ真っ逆様、落ちてドロップだぁ!」
壮「こえー・・・つーかそもそも、ミニ四駆は安全なところで遊べっての!」
D「そしていよいよ我らツギテ、オール総出でおもてなしだ。お互い四人同士、ちょうどイーブンだろう?」
壮「お前らなー、揃って仮面とか趣味悪・・・って、なんでお前まで!?」
翔「意外な敵に、意外な味方も?次回エアーズ、Flag-021【矜持の奈落に沈むとき】」
一「チェッカーラインを見逃すな。」
壮「はぁ?お前も何しに来たよ!?」
一「好きにやらせてもらおうか・・・勝利に値する走りってのがどういうものか、そいつらにわからせてやる。」
湊「あのエスペランサの走り、まるでフィクションとしか・・・でも、僕は信じたいのかも。」




