Flag-015【遠き日のResolution】
伊緒はピットの方へと、力無い足取りで歩き出した。拾い上げたファルシオンの部品を抱えながら。一方、そばにいた奈緒はコース脇に残された、問題の障害物をさっと手に取った。事故の元凶たるそれは、グレーのネオファルコンのボディにFRPやらおもりやらが取り付いたもんだった。それを注意深そうに見回しながら、スタッフが目を逸らした隙に裏面に張り付けられていたGPチップを剥ぎ取る。そしてボディ自体はスタッフに手渡し、きびすを返して立ち去ろうとした。
「おい待て・・・今のそれ、なんだったんだよ?どういうことなんだ、これ?」
スタッフとコースから少し離れたところで、俺は抑えた声で奈緒を呼び止めた。
「要は・・・事故じゃないってことよ。」
「そうみたいだな、じゃあなんなんだ?それにクグツ衆って、」
奈緒は黙ったまま、周囲を鋭く見回すようにした。誰かの聞き耳を気にするように。
「・・・いいわ、来なさい。事ここに至っちゃ、あんたたちも関係ないってわけにいかないでしょうからね。」
「俺たち?」
「壮太、あんたもよ。」
「あ?どこ行くって?」
奈緒は、ビデオカメラ片手に傍らに控えていた武之進さんに指示する。
「たけのん、車を回してちょうだい。すぐ家に戻るわ。」
「かしこまりまして。」
そこへ他の日吉勢より先に、Nコードさんが駆けつけてきた。
「状況は察した・・・私は残る。念のため、あれを拾いに来る者を張り込む。現れなければ、はかせさんに事情説明して回収しておく。」
「こー兄・・・お願い。」
そのやりとりは阿吽の呼吸だった。
「うん、帰り送ってくれるからダイジョブだって・・・えー?遠慮も何もないだろー。んじゃ、また電話する。じゃ。」
壮太はお姉さんに電話を入れていた。俺らは御堂家の高級ワゴン車に乗せられ、首都高を行く。俺と壮太は二列目のシートに座っている。俺の真後ろ、三列目右側にいる伊緒の様子は伺えなかったが、会場を発ってからというものずっと、沈黙したままだった。
「クグツ衆・・・ってのも知らないわけね?ま、知らなくて結構なんだけど。」
フロントミラー越しにはちらりと、奈緒の不愉快そうな顔が覗けていた。壮太は首を捻りながら訊き返す。
「なんつーかそれ・・・悪の秘密結社かなんかか?」
「そうね。」
「ブッ!」
さらっと返した奈緒の一言に、俺は飲みかけたペットボトルから思わず吹きそうになり、しかし周囲の高級空間を汚すまじとの強迫観念から、辛うじて片手に受け止めた。
「冗談よせよ、なんかのアニメじゃあるまいし・・・ミニ四駆だぞ?」
そりゃこれだけ人がいれば、いざこざやなんやらあるって話が耳に入ることはある・・・が、悪って、そもそもなんだ?
「タチの悪いことに、ミニ四駆の範疇を越えないから事件性もない・・・【クグツ衆託宣堂】、そういう闇サイトがあるのよ。」
「たくせんどう?闇サイト?」
「クグツ衆、つまり会員はそこにログインして、コース情報、レギュレーション、手持ちマシンやパーツの情報をインプット・・・するとわずか数秒足らずで、最適なセッティングやメンテ方法、レース展開に至るまで、細かい指示が送られてくるそうよ。」
「それで、その通りやりゃ勝てるってのか?」
「そうみたいね、不愉快なことに。そのまま優勝ってケースもあるらしいわ。マシン自体は自分の手で組んでるから、ルール上も問題ないってわけ。」
そんな都合のいいサイトがあったら、競技もなにもあったもんじゃない。ところで、しばらく黙ってる隣の壮太に目をやると、たまたま俺と目が合って、それから苦笑いして言った。
「あー・・・絵で説明して?」
普段の奈緒なら何かしら突っ込みそうなもんだが、この時ばかりは一言も返さず、変な間だけが残った。
「・・・それで、金でも巻き上げるのか?」
「いえ。」
ますます、話が分からない。
「じゃあ、それのどこが闇サイトなんだよ?」
「きっちり指示通り走って成果が出れば、ポイントが溜まる。少しでも指示を守らない走りだったら、破門。つまりそのサイトは、ただ勝利しか与えない。引き替えに、ミニ四レーサーの全てを奪うわ。」
「全て・・・全てってのは?」
「決まってるでしょ・・・自分のミニ四駆を、走らせるってことよ。」
「おもしろくないんだな。」
不意に壮太が、ボソッと言った。
御堂邸に着くと叶さんを先頭に続いて行き、俺らはゴージャスなリビングルームに通された。そこには俺の肩くらいまでありそうな特大テレビが据えられていた。それが何インチかなんて、庶民の俺にはとても数え切れない。
「奈緒・・・後は、まかせた。」
伊緒は、ファルシオンが収まったリュックを背負ったまま、ソファーに座る様子もなく立っていた。
「わかってる。叶さんはチップの解析を。」
「かしこまりました。」
伊緒は廊下の先、おそらく自分の部屋の方へ。叶さんもまた他の部屋へ下がっていった。残った奈緒はというと、高級感たっぷりなソファーに座っていいのか躊躇い、立ったままの俺たちに目もくれず、武之進さんが会場で撮っていたビデオカメラの映像をテレビに映そうとしていた。まず巻き戻してストップさせた画面には、問題のボディが映し出される。
「ボディのウイングマウントにFRP、そこからあれこれつなぎ合わせて、リヤブレーキとつながってるわね・・・わかる?」
「ああ・・・こいつが、意図的な落とし物だったってのか?」
細部に目を走らせながら、奈緒はその悪意を読み取っていく。
「リヤブレーキどころかボディ先端にまでゴムブレーキ貼って、路面に張り付かせようって魂胆ね。余計な錘までたっぷり付けてくれちゃって・・・こんなのにぶつかったら、確かにああなるわね。おまけに色はグレー、コースの路面とほとんど同じ。こんなの、明らか目眩ましじゃないの。それに、」
奈緒はもう少し巻き戻し、事故の直前で止める。カメラはスタートレーン寄りの方から全体を見渡すような向きだ。少し遠いが目を凝らせば、バーンルーフチェンジを上って下るファルシオンの先に、それが鎮座していた。
「考えてみなさいよ。これが落ちてたのはバーンルーフの下り。つまり、今回のコースで一番勾配が急な坂ってわけ。」
「あー、じゃあアレか?そこでしか路面に当たらない高さのブレーキとか?」
壮太が思いついたように言った。これの前に通常のバンクもあったが、そちらの勾配はもっと緩い。それにバーンルーフだけは五周のうち一度しか通過しないから、確実に狙うことができる。そこでボディから連結したリヤブレーキが路面をこすったとき、持ち上がってシャーシからごっそり外れるっていうトリックなんだろう。
「でしょうね。すると、犯人は自ずと決まってくるわ。」
さらに一周分巻き戻して、ファルシオンの前にそこを通過したマシンを映し出す。奈緒は画面の前に立ち、そいつがバーンルーフを通過するところを繰り返す。まさに落とし物を落とす瞬間は画面が逸れ、残念ながら映っていなかった。
「確かにグレーだけど・・・こいつ、バーンルーフ越えた後もちゃんとボディあるぞ?」
「でもこれだろ。バーンルーフの後、速さ違う。」
壮太の言う通り、それに落とし物はやはりそいつの通過後に現れたように見える。
「替え玉ボディとは念の入った小細工ね。どうりで出だしから他のマシンより遅いわけよ。で、その第四レーンスタートのマシンの持ち主はっていうと・・・、」
さらに巻き戻し、レース開始時、第三レーンの伊緒の右隣にいたのは、俺とだいたい同じくらいの背の少年だった。キャップで目元を隠し、顔は伺えない。
「叶さん、こいつの画像をこー兄の携帯に送ってちょうだい、すぐにね。」
するとテレビの右上一角に小さなウィンドウが現れ、そこに叶さんの顔が映る。
「すでに画像を加工中・・・送信完了です。」
「でもさ、なんでアイツ都合よく伊緒の隣に割り込めたんだろな?前に並んでたってさ、間で別のレースに分かれることだってあるんだし。」
壮太の言う通りだ。
「それ言い出したら、他のレーサーも怪しいもんね。・・・叶さん?」
「こちらでも映像を確認中・・・伊緒お嬢様が並んだ列の前から抜けた人物をチェックしています。」
「それでいいわ、お願い。」
何人かグルになって並んで、順番調整したってことか。となると、伊緒の前数人は怪しいし、すぐ後ろのこいつらだってグルかもしれない。そういえばあいつが列に入るとき、何人かまとまって流れ込んでいった気もする。
「・・・ところでメイドの姉ちゃん、さっきからどこで話してるんだ?」
「ITルームよ。我が家のIT機器は全部、叶さんが構築したネットワークでリンクしてるのよ。叶さん、チップの方は?」
奈緒が現場から回収した、あの仮面のようなデザインをあしらったGPチップのことか。
「従来回収したものと同様、特定の信号を受信中に、特定の信号を発信するだけの簡単なものです。信号成分に何らかのコードが含まれていますが、これは記載のIDを暗号化したもののようです。」
「【託宣堂】へのログインは?パスワード解析でアクセスできれば、」
「駄目でした。IDとパスワードまでは何とか特定できましたが、すでにアカウント自体が無効化されていました。」
「はー・・・なんかしんないけど姉ちゃん、コンピューターもすげぇんだな!?」
何の話か全くついていけないが、壮太の言う通り、すごそうだ。
「趣味です。」
「叶さんのスキルはCIA顔負けよ。グループ会社の御堂ネットワークスにも防壁プログラム提供してるし、国際特許も幾つか持ってるわ。」
「恐縮です。」
叶さんの行き過ぎた趣味もだいぶ気にはなるが、今気にすべきは他にある。
「あれもGPチップなのか・・・?」
「気に入らないことに寸法諸々、冴ねぇのチップと一緒。ただしあたしたちのはお飾りだけど、あれの内部にはちょっとした素子が入ってるわ。連中のマシンは必ずあれを張り付けてる、会員証みたいなもんね。これまでレースで連中破る度に回収してきたけど、これって手掛かりは得られてないわ。」
そこまで聞いて、俺は少し解せない気分になった。
「・・・待てよ、それで狙われたってのか?」
「まぁ、それもあるかもね。」
「それで、俺らまで狙われるってのか?」
すると奈緒はしばし黙って唇を噛み、それから言った。
「・・・じゃあ、放っておけっての?」
放っておけよ、と言いかけたところで先手を打たれた俺は、言葉を探す。
「その、なんだ・・・連中に勝ち続ければいい話じゃないのか?」
「あたしはそれでもいいわ。でも、そうはいかないレーサー達を安易な勝利に引きずり込むのは、止められないのよ。ジュニアレーサーの間にだってすでに広まりつつある・・・。」
「奈緒・・・。」
そんな口調でこいつが話すのを、前にも聞いたことがある。奈緒が何を気にしてそこまで連中を警戒してるのか、わかってきた気がした。
「好きにやらせておけばって、そう言う人もいるわよ。気にするほどのことじゃないとか、自分の走りには関係ないって。でも、取り返しのつかないことほど目に見えない内に進んでく・・・それじゃ、遅いのよ。」
第二次ブームの音無き終焉、それと同じ匂いを感じてるんだろう。あの時代を肌で感じた身として、俺もわからなくはない。それに、壮太が言った。
「何にしたってさ。あんな真似する連中、気に入らないじゃん?・・・で、どうする?その怪しい奴が他にも写ってるか、ビデオ見てくのか?」
「・・・そうね。最初から再生する、画面右側、お願い。たけのんに、アップルティー持ってこさせるわ。」
Intermission
それから例のキャップの少年を探して、ビデオに映った会場の光景を片っ端から見回すという地道な努力が続いた。壮太と奈緒が大画面に張り付き、俺は一歩離れて眺めている。求める姿はなかなか見つからず、俺は半ば二人に任せきり、目を休め休め見ていた。その時、リビングの後ろを叶さんが通りかかった。その手には俺らに出してくれたのと同じお茶菓子と、ティーセットが乗ったトレーがある。廊下の先、階段を上っていく姿を認め、俺はついていって呼び止めた。
「叶さん、伊緒の部屋に?・・・どんな様子でした?」
「帰宅されてからというものずっと、机に向かって作業されておられます。まだ続けられるとのことでしたので、お茶をお持ちしようかと。依酉様もいらっしゃいますか?」
「え・・・、」
様子が気になってついてきたのは確かだが、女の子・・・しかも超お嬢様のお部屋へ通されるとなると、はたと足が鈍る。
「どうぞ。」
しかし叶さんに促されるまま、俺は後に続いた。
「失礼します、お茶をお持ちしました。依酉様もおいでです。」
「・・・ああ。」
程なく、微かに聞き取れるくらいの声が返ってきて、叶さんがドアを開けた。部屋はよく片づいており、壁に何か張り付けてあるわけでもなく、女の子の部屋にしてはずいぶん質素に思えた。俺の部屋をきれいに片づけたらこうなる、という感じで、違和感がないことに返って違和感がある。ただし机に一番近い棚は開け放たれたままで、パーツやキットがごっそり入っているのが覗けた。叶さんがそばへ寄って、机の右隅のわずかに残った空白に紅茶と茶菓子を置く。俺もそれに続き、伊緒の背中越しに机を覗く。左奥に置かれたファルシオンのボディは、事故で割れた部分がすでに接着されていた。きれいに接着されてはいるが、接着剤の跡がダメージの深さを忍ばせる。俺の視線に気づいてか、伊緒は言った。
「後でヤスリ掛けて継ぎ目消してけば、ほとんど目立たない。もう、七年も使ってる。今まで壊れたことがないわけじゃない・・・翔司郎もそうだろ?」
「まぁ、な。」
俺のドライブウイングもキャノピーまわりで割れたことはあり、傷口がきれいなうちに接着したりってのが何度かある。ただし、溢れた接着剤はそこまで気にして処理してない。神楽さんの愛車ってことで、こいつらにとっても思い入れが強いボディなだけに、そこは迂闊に見せられないなと思った。
「では、失礼します。」
そう言って叶さんが戻ろうとするのに気づくが、すぐに伊緒が言葉を続けたので、俺は部屋を出るタイミングを失う。
「前にも壊れてる。ほら、右フロントカウルの根本も。」
「あ、ああ。・・・そういや、シャーシの金型は何番使うんだ?」
掛ける言葉に詰まった俺は、思いつくまま聞いた。伊緒はちょうど、バンパーが砕けたシャーシから部品を取り外しているところだった。移植先の新品のシャーシには、ギヤとシャフトと620ベアリングという駆動系部品のみ取り付けている。
「最近のロットなら、フィリピン工場製の5番か、6番か・・・。」
「フィリピン製?」
「メイドインフィリピン。5、6番の金型はメーカーのフィリピン工場にあるから、パッケージの表記でわかる。前は黒の6番で調子よかったけど・・・今回は、緑の5番を使ってみる。」
これはマニアックに過ぎた。生産時期でメイドインジャパンと二種類あるのは知ってたが、具体的にどの金型がどっちの工場にあるかなんて、俺は少しも気にしたことはなかった。それだけこだわる割に、引っかかるところもある。
「色は緑でいいのか?スーパーFMシャーシも黒の方がいいんじゃないのか?」
「いいとわかってるもんに、あまり頼ってばかりいられない。他のも使いもんになるとわかれば、当てが増える。・・・試しもしないで、決めるべきことじゃない。」
こいつのこだわり方は、俺の考えを軽く通り越しているようだ。伊緒は取り外しが容易なロックナットホイールのシャフトのみを取り付け、ギヤ側面にオイルを注し、駆動系を回せる状態にした。それからアトミックチューンモーターと金具を取り付け、電池をセットし、スイッチを入れる。
「ギャッ、ギャーガガガガガ・・・。」
酷い駆動音だった。無音同然の以前のシャーシと比べるべくもない。しかし、伊緒は淡々としていた。
「まぁ、スーパーFMはこんなもん。」
伊緒はスイッチを切るとモーターボックスを外し、普段はあまり使わないスプリントダッシュモーターに交換する。そしてプロペラシャフトの両端に、これまた普段は使わないキット付属のグリスを少し塗る。それからまた電池をセットし、スイッチを入れる。伊緒は、さっきより大きな悲鳴を上げるシャーシを捻ったり、モーターボックスを押しつけたりし始めた。
「基本はTZXと同じ。スーパーXより前のシャーシの場合、プロペラシャフト両端の軸受け以外は削る必要がある。」
「ああ。」
削りたくない両端にグリスを塗り、高回転モーターで他を削る。その馴らし方は俺が神楽さんから教わったのとだいたい同じだ。
「ただ、スーパーFMはプロペラシャフトが浮き上がるのを押さえ付けるためのリブがモーターボックス内にある。そのままだとシャフトを押し付け過ぎて抵抗になる、かといって削り過ぎればシャフトががたつく。こうやって、自然な状態を探るしかない。」
これもスーパーFMが抱える欠陥の一つらしい。普通のリヤモーターのシャーシの場合、プロペラシャフトの両端に接する前後のクラウンギヤは、どちらも下方向の抵抗を発生させる。ところが、フロントモーターのシャーシはそっくり前後逆にしただけの構造のため、クラウンギヤの抵抗が上方向に発生する。そのためプロペラシャフトは軸受けの溝にピタリと収まらず、ガタガタと浮きながら回ることになる。それを押さえつけるリブの削り具合で、駆動効率が決まるんだろう。伊緒はしばらくスプリントダッシュで回した後、プロペラシャフトまわりの削りカスを落とし、低回転で静かなアトミックチューンで駆動音を確かめ、またスプリントに戻して削るのを繰り返した。
「これも、慣れてる。そうやって、ものにしてきた。・・・クレイモアとファルシオン、冴ねぇにどっちがいいって聞かれて、あたしは、こいつを選んだ。」
まだ小学生にもなってない頃の話だと、前に言っていた気がする。
「冴ねぇですらものにするのに丸二年かかったシャーシだ。FMが曲者だってのは鼻からわかってたけど、ひとたび状態悪くなったらもう、ぜんっぜん速くならなかった。奈緒のクレイモアもしばらく調子崩してたけど、それでも、常に遅れを取り続けた。」
スーパー1シャーシのクレイモアの方が素直に速くできる、それをわかってこいつは、敢えてファルシオンを選んだのか・・・あるいは、そういうことなのかもしれない。
「他の調子いい人のセッティングを試したりしても、駄目だった。そもそも、パーツの状態が悪化してただけなんだけど・・・そんなの気づかなかったし、そこでこんだけ差が出るもんだなんてのも、わかってなかった。」
俺に限らず、こいつらですら同じような壁にぶつかってきたのを聞くと、意外なようで、しかし共感する。
「行き詰まったあたしに、冴ねぇは言った。マシンによってやるべきことは違う。シャーシの癖に限らず、個性はある。生き物みたいなもんだし、刻々と変化もする。そのマシンそのものにちゃんと向き合わなきゃ、応えちゃくれない。」
削り慣らして、モーターを変えて音を聞き、また繰り返す。伊緒の手つきは慣れ、終始落ち着いている。FMシャーシと向き合い続けた時間の長さを見た気がした。
「そして・・・マシンを速くしてあげられるのは、自分だけ。その気持ちが本物なら、マシンは必ず応えてくれる。」
五分位経っただろうか。一応納得したのか、伊緒はモーターボックスとギヤをバラし始めた。そしてクリーナースプレーとティッシュと爪楊枝で、グリスと削りカスをきれいに洗い落とす。
「あたしは必死でこいつに向き合った。バンパー補強して、ローラーベースとことん詰めて、ローラースラスト角ギリギリまで寝かせて、パーツの状態を最高にして・・・。そうしてやっと、奈緒にも勝てるようになった。」
それからようやく、普段レースで使ってるオイルを最低限付け、アトミックチューンモーターで組み直す。スイッチを入れると、さっきに比べればだいぶマシな音になっていた。だが、調整はまだ続く。伊緒はモーターボックスを押しつけたり、持ち上げたりして駆動音の変化を聞く。そして持ち上げると少し静かになるのを確認すると、両面テープを小さく折り畳んだものをシャーシとの間に挟み込み、その状態を維持するようにした。これは俺もTZXシャーシでやってる、手軽な調整方法だ。
「こいつはちゃんと、応えてくれた。・・・フッ、あたしが奈緒と違う服着たり、キャップ被り始めた頃のことを話すなんて・・・疲れてるのかな。」
伊緒はしばらく、駆動音に聞き入った。そしてスイッチを切り、やっとマシンを机に置く。FRPバンパーとかローラーには直接のダメージはないだろうから、後はそれらをそっくり載せ換えていくだけだ。
「直った、のか?」
「走らせてみなきゃ、わからない。前のと同等のタイムを叩き出せるかどうか。どうしても無理なら・・・シャーシを変えて、慣らし直すしかない。」
「そこまでして・・・、」
徹底的な駆動系へのこだわりに、俺は絶句する。それがFMという足枷を負った者の務めか。あるいは、こいつがミニ四レーサーだからこそ、なのか。
「そうだ。あたしに選ばれたこいつを生かすも殺すも、あたし次第なんだ・・・だから、」
「・・・伊緒?」
気づけば、伊緒は疲れた笑みを浮かべたまま寝落ちていた。その小さな背中にタオルケットが掛けられる。いつの間にか叶さんが戻っていた。
部屋を後にし叶さんと一階へ戻ろうとすると、階段を下りたところに奈緒が立っていた。
「伊緒ちゃんは?」
「寝た。ファルシオン、ボディとシャーシはだいたい復旧できたらしい。」
「そう・・・。」
奈緒は見上げた目線を落とし、少し安心したような、それでいて晴れないままの顔をしている。
「何かわかったのか?」
「ビデオチェックは小休止。それより、こー兄から連絡があったの。・・・犯人が被ってたキャップが見つかったわ。伊緒のと同じブランドだった。」
軽い驚きだった。もはや疑うべくもない、明らかな故意。
「最初から、伊緒狙いだったってのか?」
「あんたも油断しないで。」
奈緒は間を置かずに言った。
「え?」
「あたしたちがクグツ衆の存在を知ったときから、すでに連中はあのGPチップを積んでた。そもそも連中は、冴ねぇのマシンと無関係じゃない。わからないけど、何か、因縁がある・・・それだけは覚えといて。」
あくまで、今回は伊緒だった。だが、神楽さんの愛車として最も名を馳せたのは、俺の持つドライブウイングだ。奈緒の忠告が決して大袈裟なもんじゃないことは、さすがに俺も呑み込んだ。
次回予告
翔「クグツ衆か・・・でも気を付けろったって、どうしろってんだよ。」
壮「ま、日吉でも行っとくか?とにかくタイム詰める!オレらミニ四レーサーにできることっつったら、それっきゃないんだしさ。」
翔「・・・それもそうだな。クグツ衆に関しちゃ、伊緒と奈緒に任せとくしかないし。」
壮「おー、なんか新顔いるじゃん。しかもジュニアレーサー!」
湊「こんにちは・・・ミニ四駆、作りに来ました。マシンとパーツ、一通りください。」
翔「大人買いかよ!?カネ回りいいな。」
壮「OKOK、道具とか貸してやっからさ、まずは組み立ててみ・・・って、ちょ、速すぎるだろオイ!」
湊「でも、なんだろ・・・ボクのマシン、なのかな?」
壮「次回エアーズ、Flag-016【初めてのマシン】」
翔「チェッカーラインを見逃すな!」
壮太「さすがにフィクションだろーこれ。・・・ヤだねー、こういうのさ。」




