第43話 嵐の前夜
学園生活の締めくくりであり、すべての因縁と闇の呪縛が清算される卒業祝宴の前夜。
王都の夜空に静かに青き月が昇る中、公爵邸の自室では静寂に包まれながらも、宿命の歯車が静かに動き出そうとしていた。
同じ頃、王国から遠く離れた隣国を極秘裏に出発した一台の黒銀の馬車が、深夜の王都へひそやかに滑り込んだ。
隣国の第二皇子が精霊の加護をまとい馬車から降り立った。
「兄上の病は完全に癒えた。国内の反逆派も一網打尽にし、もはや私を縛る呪縛は何もない」
第二皇子の瞳には、鋭い決意と燃えるような情熱の光が宿っていた。
彼は第一皇太子の命を蝕んでいた闇の呪詛が浄化されたのを見届け、国政を盤石なものにすると、一刻の猶予も置かずに自国の精鋭騎士団を引き連れてこの王国へと駆けつけたのだ。
「明日、あの学園で卒業祝宴が開かれると聞いた。ミーナという女が何か醜い陰謀を張り巡らせていることも、すべて耳に入っている。リリア、君をこれ以上一人で暗闇の中に苦しませはしない。明日の夜、私は君をその悪意の泥沼から救い出し、我が国へと迎えに行く」
第二皇子は静かな誓いを胸に、翌日に迫った決戦の時へ向けて、極秘裏に結界や証拠の準備を整えていく。
一方、その日の昼下がり、学園の大図書館の最奥に位置する記憶のテーブルには、リリア、セリーヌ、そして側近たちの元婚約者である三人の令嬢たちの姿があった。
ミーナの魅了の魔道具によって皇太子の側近たちから理不尽に誓約を破棄された彼女たち。
絶望と孤独の淵に沈んでいた彼女たちが、リリアのまっすぐな気高さと清らかな光に触れるうちに見る見る覚醒を果たし、いまでは強固な魂の絆で結ばれたかけがえのない同士となっていた。
三人の令嬢たちは静寂の空間で、それぞれの胸に秘めた誇りを語り始めた。
第一の令嬢は、自分を裏切ってミーナのかいらいへと成り下がった元婚約者の愚かしい姿を思い起こし、凛とした瞳で言い放った。
「あの日、冷たく突き放された時は世界の終わりだと思ったわ。ミーナのまやかしの光に狂い、女の誇りすら踏みにじった愚行を、明日は最前線で見届けてやるの。もう二度と、あんな男たちの顔色など伺わないわ」
第二の令嬢は、震える手を自身の胸に当てながらも、力強く言葉を紡いだ。
「ええ、本当にそうよ。最初は悔しさと悲しみで涙ばかり流していた。けれど、リリア様がどれほど不当な扱いを受けても美しく気高く立ち続けていらっしゃる姿に、どれほど魂を救われたことか。私たちが奪い返すのは、誇りと真実の自分自身よ」
そして第三の令嬢は、まっすぐにリリアを見つめ、温かな笑みを浮かべて語りかけた。
「私たちがこうして再び立ち上がれたのは、リリア様が光を示してくださったから。明日どのような試練が訪れようとも、もう怯えはしないわ。あの落ちぶれた皇太子や偽りの聖女、愚かな元婚約者どもに、本当の気高さと正義の裁きを見せつけてやりましょう」
その言葉にセリーヌも深く頷き、リリアの手を慈愛を込めて包み込んだ。
孤独だった彼女たちが静かな図書館の片隅で交わした出会いは、明日訪れる暴風に立ち向かうための、決して折れぬ鋼の結界へと進化していた。
そして夜、公爵邸のリリアの自室では、リリアが窓辺に腰掛け、天上にきらめく星々の瞬きを静かに見上げていた。
明日はついに試練の卒業祝宴。
彼女の心は、どのような断罪や追放の企みが待ち受けていようとも安らぎの中にあった。
足元では愛犬のヴァイスが、赤い瞳でリリアを見つめている。
ノックの音が静寂を揺らした。
「リリア、入ってもいいかい」
「お兄様、どうぞお入りくださいませ」
扉を開けて入ってきたのは兄であった。
手には、神聖な魔力を宿した一輪の美しい白薔薇が握られている。
兄はリリアの前に歩み寄ると、その薔薇をそっと彼女の銀糸の髪に飾った。
「明日はいよいよ卒業パーティーだね。兄として、これまでいろいろと辛い思いをさせてしまったこと、本当に申し訳なく思っている」
「いいえ、お兄様。いつも私を信じ、温かく守り続けてくださったからこそ、私は折れずに光を灯し続けることができました。感謝しているのは私の方ですわ」
リリアが微笑んだ。
兄にとってその笑顔は、どんな宝石よりも眩しく、胸を深く締め付けた。
「明日で、すべての因縁が終わる。ミーナや皇太子どもが企む不条理な謀略など、我が公爵家の全魔導力を集結させて粉砕してやる」
兄の脳裏に刻まれていたのは、かつて隣国の第二皇子から強い眼差しとともに突きつけられた言葉であった。
「リリアを我が国へ迎えたい」
明日を境に、自分の手元から愛しい妹が飛び立ってしまうかもしれない。
それがリリアの誓う本当の幸福なのだとしても、兄としての心は引き裂かれそうであった。
胸を突き上げる切なさと、妹を何があっても護り抜くという絶対の決意。
激しく揺れ動く感情を秘め、兄は優しくリリアの頭を撫でた。
「明日は私がずっと隣にいる。だから何も恐れる必要はない。お前が選ぶ未来の光を、兄さんはいつでも全力で肯定し、守り続けるからね」
「はい、お兄様」
兄妹の神聖な絆が固く結ばれた。
その夜の静寂は、明日訪れる激動の運命を前にした、嵐の前の静謐であった。
そして、すべての宿命の歯車がかみ合い、迎えた翌日の夜。
運命の卒業祝宴の幕が、きらびやか灯火に彩られた学園の大ホールで静かに上がろうとしていた。




