第40話 影の奇跡
数日に及ぶ苛酷な強行軍の末、王国の一行は隣国の王宮へと到着した。
通された最深部の重厚な部屋には、極限の緊張感と重苦しい死の静寂に支配されていた。
第一皇太子は、豪華な天蓋付きベッドの上に身を横たえていた。
胸元から喉元にかけて黒紫色の不気味な呪詛斑が浮き出て、肌は死人のように青白い。
高熱と絶え間ない激痛に苛まれ、息も絶え絶えの絶体絶命の状態だった。
「皆様、よくぞお越しくださいました。皇太子殿下を蝕む黒斑霊腐病にございます」
宮廷医師長が憔悴しきった様子で一行を迎えた。
ミーナは勝利を確信した高慢な笑みを浮かべ、優雅に歩み出た。
「お任せくださいませ。私の光の魔法は大精霊の加護を受けております。どのような不治の病も一瞬で治して見せます」
ミーナが両手を天へと掲げると、部屋中に眩いばかりの薄桃色の光が溢れ出し、絢爛たる大精霊の幻影が舞い踊った。
魅了された側近たちは、これぞ聖女様の威光だと感嘆の声をあげる。
しかし、その直後であった。
第一皇太子は激しい吐血とともに、血の滲むような絶叫を上げた。
黒斑は脈打つように禍々しく膨れ上がり、部屋全体に冷酷な闇の邪気が吹き荒れる。
皇太子の肉体に仕掛けられていた古代禁忌の呪詛が、ミーナの過剰で不純な魔力を喰らい、致命的な大暴走を引き起こした。
「なぜ魔法が効かないのよ」
皇太子のあまりの激痛にのたうち回る惨状に、ミーナは血の気を失ってガタガタと震え出した。
大精霊の幻影も霧散して部屋中が混沌たる大混乱に陥る。
だめ、このままではあの方の命が尽きてしまう。
狂乱する人々の陰、部屋の隅に不当に追いやられていたリリアは、静かに一歩を踏み出した。
ベッドの陰、重厚なシルクのカーテンの影へ滑り込む。
リリアは皇太子の苦悶する胸元を見つめ、震える手の上にそっと己の手のひらをかざした。
「どうか助かって」
リリアが心より祈りを捧げると、彼女の手のひらから小さくも温かな芽の光が灯った。
それは派手な光も大精霊の誇張もない、どこまでも静かな慈愛の光だった。
温かな光は、ミーナの魔力によって暴走していた黒い呪詛の刻印を優しく包み込むと、春の陽光のごとく不気味な黒斑を瞬く間に浄化し消し去っていく。
皇太子の肉体を蝕んでいた呪いそのものが綺麗に霧散し、荒い呼吸は急速に穏やかなものへと変わっていった。
第一皇太子が、死の淵から奇跡的に生還してゆっくりと力強く紫の瞳を開けた。
「兄上の息が、顔色が戻られたぞ」
別室から駆け込んできた隣国の第二皇子の切実な叫び声に、部屋中の誰もが我に返る。
第一皇太子の体からは黒紫の不吉な斑点が完全に消え去り、高熱も跡形もなく引いていた。
「奇跡だ、奇跡が起きたぞ」
「聖女ミーナ様の魔法が時差をもって呪いを打ち払ったのだ」
リリアがそっと陰から手を引き、何事もなかったかのようにその気配を消す。
その瞬間、宮廷医師たちと皇太子一行の嵐のような喝采が部屋中に響き渡った。
絶体絶命の恐怖から一転、ミーナは己の力で救ったのだと錯覚した。
即座に澄まし顔を取り戻すと、胸を張り優雅にお辞儀をした。
「皆様、ご安心くださいませ。私の大精霊の光は、体内の深い毒を時間をかけて浄めていくのですわ」
「さすがミーナだ。隣国の第一皇太子殿下を救うとはまさしく大聖女」
魅了されたセドリック皇太子は狂喜乱舞し、隣国の重臣たちもミーナに向かって惜しみない賛辞と感謝を捧げる。
ミーナは大聖女として至高の栄誉と持て囃され、優越感の頂点に酔いしれた。
その傍らでリリアは取り巻きたちから。
「邪魔だ、聖女様の光の余波を浴びられて光栄に思え」
壁際に冷たく追いやられる。
リリアを冷遇する群衆の中で、覚醒した第一皇太子と、傍らに立つ隣国の第二皇子だけは見逃していなかった。
ミーナの薄桃色の光が呪詛の暴走を引き起こしたこと。
皇太子の命を絶望から救い出したのは、部屋の影から差し込まれた小さくどこまでも温かな光であったことを。




