第38話 隣国の動乱の兆し
大商人の息子、その真の姿である隣国の第二皇子は緊急帰国を果たした。
彼を待ち受けていたのは、王宮を激震させる非常事態であった。
第二皇子は結界で厳重に守られた王宮の最深部へと極秘裏に通された。
そこには重苦しい静寂と、冷や汗を流しながら右往左往する高位の宮廷医師たちがいた。
彼の異母兄である第一皇太子が、病床の豪華な天蓋付きベッドに横たわっていた。
勇猛で知られた第一皇太子の肌は死人のように青白く、荒い魔呼吸を繰り返しながら絶え間なく高熱にうなされている。
身体のところどころに黒紫色の不吉な呪斑が浮き上がり、意識は途切れ途切れで、まさに生死の境をさまよう極限状態であったのだった。
「第二皇子殿下、よくぞお戻りになられました。皇太子殿下の病状は刻一刻と悪化しております」
宮廷医師団長が悲痛な面持ちで深々と頭を下げる。
医師たちは絶え間なく高位の回復魔法陣を紡ぎ、最高級の解毒薬や鎮痛用の薬草粥を口に含ませようとしていた。
しかし、第一皇太子の肉体がそれらを激しく拒絶し、血を吐いてしまう惨状であった。
「兄上の病名は判明したのか」
「黒斑霊腐病、古記録にしか残っていない奇病に酷似しております。しかし、通常の病とは明らかに異なり、体内の魔力線が黒く変質し、内側から魂と生命力を蝕んでいるのです」
「魔力線の変質だと」
第二皇子が瞳を細めると、宮廷医師団に混ざっていた老錬の宮廷魔導師が震える声で補足した。
「左様でございます。これは単なる疾病ではございません。古代禁忌の呪詛が組み込まれております。何者かが皇太子殿下の髪や爪といった身代わりを用いて命を吸い上げる呪詛の刻印を刻み、その拒絶反応として黒斑霊腐病の症状を発症させているのです。呪いを解かない限り、どれほど強力な回復魔法をかけても、かえって呪いに魔力を与えて侵食を早めてしまいます」
「呪い。兄上の命を狙い、我が国の王位継承を揺るがそうとする者の仕業か」
第二皇子は苦痛に顔を歪める兄の手を強く握りしめ、冷徹かつ迅速に指示を飛ばした。
「ただちに術式の解析を進めろ。国中の高位解呪師と薬草師を召集し、呪いの起点となっている触媒を城内から探し出すのだ。命を繋ぎ止める最低限の聖水投与と魔導結界の維持を怠るな」
もし第一皇太子が息を引き取れば、第二皇子が国家の全権を担う次期国王、すなわち第一王位継承者として、ただちに国を背負わねばならない。
王宮内では第二皇子を擁立しようとする派閥と、混乱に乗じようとする貴族たちの思惑が激しくぶつかり合い、政情は一触即発の危機に瀕していた。
第二皇子は寝る間も惜しんで兄の呪詛解呪の指揮と、荒れる政務の収拾に追われる。
どれほど多忙を極めようとも、彼の胸を強く締め付けるのは異国の王立魔法学園のことだった。
このような時に。
兄上の命がかかっているとはいえ、リリア、私は一刻も早く君のそばへ駆けつけたい。
第二皇子は深夜の執務室で、大図書館で見つめ合ったリリアの誇り高く気品に満ちた横顔を思い返した。
彼女は歪んだ王立魔法学園で一人苛烈な差別に耐えている。
自分は何かあれば駆けつけると誓ったのだ。
学園へ復帰することなど到底不可能な状況の中、悔しさに歯噛みしながら、一刻も早く呪いを解き事態を収束させようと不眠不休で苦闘を続けていた。
その頃、王立魔法学園では頼れる商人を欠いたリリアに対し、ミーナとセドリック皇太子たちの嫌がらせと圧迫が限界に達しようとしていた。
兄は妹の過酷な状況をまだ何一つ知らず、王宮での多忙な執務に奔走している。
学園を飛び出し、リリアの窮状を知らせるべく爆走を続ける光の精オリオンが、公爵邸へと到達しようとしていることにも、まだ誰も気づいていなかった。




