第32話 静寂の四重奏
大精霊の加護を盾にしたミーナの狂信的な魅了と、断罪への執念によって王立魔法学園全体が狂騒の闇へと包まれていくその陰で、大図書館の最奥に鎮座する静寂の閲覧室には、まるで強力な結界に守られたかのような平穏の時間が流れていた。
分厚い魔導書や羊皮紙がうずたかく積み上げられた大きな古木の木製テーブルを囲んでいるのは、四人の姿であった。
リリアとセリーヌ、セリーヌの真面目な婚約者の青年、そしてあの日から静かに的確な助言を授けてくれる神秘的な男性であった。
セリーヌの婚約者は、ミーナの放つ強力な魅了の毒に呑み込まれたが、彼女に対する純粋で深い愛の力によって奇跡的に毒が薄れた。
学園でも数の少ない生徒の一人であった。
彼はセリーヌがミーナを崇拝する盲信者たちから理不尽な迫害や陰湿な嫌がらせを受けるたび、身を挺して陰で必死に彼女をかばい守り続けていた。
「セリーヌ、この氷結の魔導公式だが、ここの魔力回路の接続をほんの少し絞るだけで、術式の展開が驚くほどスムーズになるよ」
「あなた、本当ですね。いつも私のつまづきをすぐに見抜いてくださって、ありがとうございます」
セリーヌと婚約者は互いに身を寄せ合いながら真剣な眼差しでペンを走らせる。
その麗しい強い信頼の光景を、リリアは心からの温かな眼差しで見守りながら、セリーヌが特製の茶葉で淹れてくれた芳醇な霊草ハーブティーをそっと一口含んだ。
セリーヌさんに、こんなにも優しく一途に想ってくれる素敵な人がいてくれて、本当に良かったわ。
そのテーブルの真向かいで、誰よりも静かに古の羊皮紙をめくっている男。
リリアもセリーヌたちも、彼がまとう本当の高貴な身分を知る由もなかった。
その正体は、隣国の実権を握り、外交の視察と魔導同盟の査察を兼ねてこの王立魔法学園に極秘裏に滞在している隣国の第二皇子だった。
血統と高位の精霊の加護を持つ彼の前では、ミーナの放つ薄汚れた魅了の術式や不快な精神干渉の波動など、完璧な魔導障壁によって一切の威力を発揮することなく完全に無効化されていた。
彼は学園の愚劣な者たちが繰り広げる狂乱の戯言を冷徹に見抜いていた。
同時に、生徒全員からみそっかすと蔑まれ、過酷に孤立させられながらも、決してその気品と高貴な魂を失うことのないリリアの気高い佇まいに、深く、強く惹きつけられていたのだった。
「そちらの公爵令嬢。その古代文字の解釈だが、五行目の動詞は単なる封印ではなく、精霊との調和と解釈するのが正しい」
第二皇子が低く澄んだ美声を静かに響かせ、リリアのノートの端を指し示す。
「本当ですわ。調和と読むと、前後の文脈が驚くほど綺麗に繋がりますね。いつも親切に教えてくださり、本当にありがとうございます」
リリアが心からの感謝を込め、可憐な花が咲くような笑みを浮かべて小さく頭を下げた。
数々の修羅場を潜り抜け、あらゆる謀略に慣れ親しんでいたはずの百戦錬磨の第二皇子すら、そのあまりにも無垢で清らかな笑顔の破壊力に一瞬だけ呼吸を忘れるほどであった。
あんな下劣で悪意に満ちた嫌がらせの渦中にありながら、なんと澄んだ翠の瞳と、揺るぎない凛とした佇まいなのだ。
あのような本物の気高さと神聖な魂を持つ令嬢は、隣国を探してもどこにもおらん。
第二皇子は静かに魔導書を閉じると、隣で睦まじく勉学に励むセリーヌとその婚約者、そして一人誇り高く知識を深めるリリアをそっと見つめ返した。
皇太子も愚劣な側近どもも、真の宝である原石を自らの手でドブに捨て、愚かな毒婦のまやかしの光に踊らされているとは実に呆れたものだ。
もしこのまま彼女がこの歪んだ学園や王国から不当に排斥されるようなことがあれば、私は我が国へ連れ帰り、我が妃として喜んで迎え入れよう。
四人で囲む小さな木のテーブルの上で、正体を伏せたまま密かにリリアへの強い執着と、必ずや妃として奪い去るという揺るぎない決意を深めていく隣国の第二皇子。
そんな穏やかな図書室の平和な空間をよそに、ミーナと魅了の呪術に完全に蝕まれたセドリック殿下による陰謀の毒牙は迫っていた。




