第31話 大図書館の思わぬ来訪者
学園内における陰湿な嫌がらせや冷酷な迫害が日増しに激しさを増していく中、リリアとセリーヌが唯一その荒んだ心を安らげ、人間としての尊厳を保ち続けられる聖域は、やはり大図書館の奥深くにある静寂の閲覧室だけであった。
太陽の光が差し込むテラスへの立ち入りを理不尽に奪われ、広い教室や回廊の隅でも、ミーナを崇拝する盲信者たちからの容赦ない冷酷な視線や悪意ある陰口に晒される日々。
それでも二人は身を寄せ合い、お互いを深く思い遣りながら、静かに教科書や古い魔導書を広げて勉学に励んでいた。
「リリア様、この古代魔導の複雑な解釈なのですが、どうしても回路が噛み合わなくて」
「ここはね、以前にお兄様が教えてくれたんだけど、魔力の一点を絞るのではなく、周囲の精霊力と同調させるようにイメージすると綺麗に展開できるのよ」
静寂に包まれた閲覧室の隅で、ひそひそとささやき交わされる温かな会話。
セリーヌが魔法の火でそっと沸かして淹れてくれた特製の霊草ハーブティーの芳醇な香りが、学園の圧力によって張り詰めていた二人の心をそっと優しくほぐしていく。
リリアにとっては、すぐ横に自分を裏切らない優しい親友がいてくれる、それだけでかつての冷たい地下牢に囚われていた頃に比べれば十分すぎるほどの救いであった。
その時であった。
重厚な書棚に囲まれた静寂が支配する図書館の奥から、規則正しく響く重みのある静かな足音がゆっくりと近づいてくる。
不意に二人の頭上に長い影が落ち、一人の凛々しい男性が、二人が座る小さな木製テーブルの前に静かに立ち止まった。
「こんな場所で、君たちは何をしている」
低く、けれど芯のある鈴を転がすような澄んだ声。
セリーヌが息をのんで驚きに満ちた顔を上げると、そこに立っていたのは、見慣れない制服の着こなしに身を包み、この学園の空気には全くそぐわない圧倒的な高貴の気品をまとった一人の青年であった。
仕立ての良い上着の細部にまで魔導の防護術式が施され、一分の隙もない洗練された立ち振る舞い。
何よりも、その涼やかな瞳には、学園全体を狂わせているミーナの魅了の毒など一切通じていない、冷徹なまでの理知と鋭い観察眼が深く宿っていた。
「あなたは」
セリーヌが突然の訪問者に対する困惑と警戒の色を隠せず、思わず言葉を詰まらせる。
その隣で、リリアはゆっくりと静かに魔導書から目を離し、目の前に立つその男性の姿を静かに見つめ返した。
男性の視線は、リリアの机の上に雑に置かれた、心ない生徒たちによって落書きされたノートや、端が少し汚された教科書へと鋭く注がれていた。
学園の者たちがこの少女にどのような痛々しい嫌がらせを日々加えているのか、無言の痕跡へと、静かに計り知れない怒りを秘めた眼差しが向けられた。
「学園内が奇妙な熱狂と狂気の悪意に包み込まれているとは思っていたが、高貴な公爵家の令嬢が、このような場所で身を潜めるようにして過ごしているとはな」
男の紡ぐ言葉には、ミーナの取り巻きたちのような下劣な嘲笑も、身分の低い者を蔑むような冷徹さも一切含まれていなかった。
ただ、冷徹な理知を持つ優れた観察者が、この歪み切った学園で起きている不条理を正確に見抜いているような、重みのある声であった。
「私のことは、どうぞお気になさらないでください。ここで、大切な友達とこうして静かに過ごすことができれば、私にとってそれだけで十分すぎるほど幸せですので」
リリアは怯えるどころか、背筋を美しく伸ばして誇り高く、けれどどこか寂しげな優しい微笑みを浮かべて小さく一礼してみせた。
男性はその透明な翠の瞳と、過酷な状況にあっても微塵も折れない凛とした佇まいをじっと見つめると、ほんのわずかだけ眉をひそめて息をのんだ。
「なるほど。学園中で噂されているみそっかすなどという呼び名が、どれほど洞察力のない愚者たちによってつけられた低劣な戯れ言であるか、よく分かったというものだ」
静かにそう呟くと、男性は懐から一冊の古びた、一般の生徒には絶対に手の届かない禁忌の魔導羊皮紙の書物をそっとリリアたちの机の上に置いた。
「もしその課題の術式を解くのなら、その書の第三章を参照するといい。無駄な回り道をせずに真実にたどり着くことができるはずだ」
思いがけない的確な助言を残し、男性はそれ以上言葉を交わすことなく、そのまま優雅で洗練された足取りで図書館の奥の闇へと去っていく。
「あの人、一体何者なのだろう」
魅了の呪術が吹き荒れる狂気の学園の密室で、初めて出会った、誰の毒にも冒されていない第三者の圧倒的な存在感。
去り行く神秘的な男性の背中を遠くで見送りながら、リリアとセリーヌは言葉を失ったまま静かに顔を見合わせた。




