第26話 木もれ日のランチ
セリーヌが勇気を出して教科書をそっと見せてくれてからというもの、二人の間に漂っていたぎこちなさは消え去り、その距離は少しずつ確実に縮まっていた。
しかし、ミーナが知らず知らずのうちに解き放つ不気味な魅了の光による王立魔法学園内の侵食は、留まることを知らずに日増しにその陰惨さを増していた。
セリーヌにも、幼い頃から家同士の間で決められていた大切な婚約者が存在していた。
誠実であったはずのその男までもがミーナの甘い言葉と魅了の毒に侵され、涙ながらに真実を伝えるセリーヌの哀切な訴えに一切耳を貸そうとはせず、ミーナを擁護する側へと無残に寝返ってしまった。
あの方までミーナさんの味方をして、私の言葉なんて何一つ信じてくれない。
でも、リリア様だけは周囲の悪意に流されることなく、真っ直ぐに私を信じて守ってくださったわ。
深く傷つき、絶望の縁にいたセリーヌを包み込んだのは、リリアの誇り高くも温かな存在であった。
息を吸うことすら苦しいほどに歪んだ学園内で、傷ついた二人が唯一、心の平穏を保つことのできる場所。
それこそが、学園の広大な敷地の最奥、人知れず静寂に包まれた大図書館であった。
「ここはとっても落ち着くわね」
お昼休みの鈴の音が響く頃。
教室に正当な居場所のない二人は、大図書館の最深部、滅多に生徒や教師がやって来ない中庭に面した日当たりの良い読書テラスへと足を運んでいた。
「ええ、本当に綺麗で静かな場所。ミーナさんたちも、ここまでは追ってこないみたいで本当に良かったわ」
セリーヌは胸を撫で下ろすと、持参した慎ましいお弁当箱を木製の机の上に広げた。
リリアのために公爵邸の熟練の料理人が腕によりをかけて作った、色鮮やかで豪華なサンドイッチ。
そして、セリーヌがリリアのために心を込めて焼いてきた可愛らしい焼き菓子。
二人は柔らかな陽光が降り注ぐテラスで、二人きりの温かで穏やかな昼食の時間をとり始めた。
「セリーヌさんの作ってくれたクッキー、サクサクとした食感でとってもおいしいわ」
「本当ですか。喜んでいただけてとても嬉しいわ。リリア様はどうしてそんなに強くいられるのですか。周りから酷い言葉を投げかけられても、決して悲しいお顔を見せようとされないでしょう」
セリーヌの素直な問いかけに、リリアはほんの少しだけ翠の瞳を丸くしたあと、愛おしそうに首元にかかる小さなペンダント、大切な兄から贈られた守護の石にそっと指先で触れた。
「私ね、小さい頃はとても暗くて冷たいところに閉じ込められていたの。だから、いまの私は世界で一番幸せなのよ。帰ればあたたかいお家があって、私を命がけで愛してくれる大好きな兄がいて、こうしてセリーヌさんという心優しいお友達ができたのだから」
「リリア様」
まっすぐで澄み切ったリリアの透明な言葉に、セリーヌは目頭をあつく湿らせた。この可憐で気品あふれる少女が、どれほど深い愛情に包まれて育ち、他人の卑劣な悪意になど決して屈しない高潔な強さを持っているのかを、セリーヌは深く悟ったのだ。
「リリアにはおいらたちもついてるぞ」
「そうだよ。セリーヌ、お前は良い奴だからおいらたちが守ってやる」
「婚約者のバカ男なんて、あとで痛い目に遭わせて懲らしめてやるよ」
ふわりと舞い降りた小さな光の精オリオンや風の精たちが、セリーヌの肩のあたりで嬉しそうにクルクルと楽しげに回る。
セリーヌの目には精霊たちの姿そのものは映らないものの、リリアの周囲を優しく包み込む温かな光の粒と心地よい風を感じ取り、その表情に柔らかで穏やかな笑顔を浮かべたのだった。
大図書館通いと、セリーヌとのささやかな昼食のひととき。
学園全体がミーナの放つ正気なき狂気に侵食されていく中で、この静かなテラスだけは、二人にとって決して汚されることのない陽だまりの聖域となっていた。
しかし、そんな二人の穏やかで貴重な時間を容赦なく打ち破るように、カツカツと重々しい足音が大図書館の石畳を鳴らして近づいてきていた。
「見つけたぞ、公爵令嬢リリア」
テラスへと続く重厚な扉を乱暴に押し開けて現れたのは、ミーナの細い腰をしっかりと腕に抱き寄せた皇太子セドリック殿下だ。
その紫紺の瞳は濁った甘い光を深く宿し、完全にミーナの魅了の毒に支配されていた。




