第25話 教科書の罠
王立魔法学園の静かな教室に漂ういじめと孤立の空気は、ミーナが知らず知らずのうちに放つ魅了の光によって、日増しに逃げ場のない凄惨さと不穏さを増していた。
リリアのすぐ隣の席に座っていたのは、子爵家の令嬢セリーヌであった。
おとなしく控えめな性格のセリーヌは、もともと目立つことを嫌い、学園の片隅でひっそりと静かに過ごすタイプの少女であった。
ミーナの魅了の光を僅かに浴びてはいるものの、幸いにもまだ完全にはその毒に侵されておらず、周囲から徹底的に排除され孤立していくリリアのことを、胸を痛めながら心配そうに盗み見ていた。
ある日の朝、静まり返る教室で座学の授業がまさに始まろうとした時のことである。
「リリア様、速やかに教科書を開いてください」
担当教師の感情の籠もらぬ冷ややかな声が、緊張感の漂う教室内に重く響き渡る。
リリアが鞄の中を確かめるが、あるはずの教科書がどこにも見当たらない。
昨晩、手元で確実に確認して鞄へしまったはずの教科書が、綺麗さっぱり消え失せていたのだ。
「おかしいわ。昨晩確かに何度も確かめて入れておいたはずなのに」
リリアは波立つ心を抑え、静かに思考を巡らせる。
「リリア様、どうされたのですか。まさか忘れ物ですか」
教師からの刺すような疑いと冷遇の視線が向けられる。
すると教室の最前列に陣取っていたミーナが、いかにも他者を気遣う思いやりがあるかのようにしおらしく挙手をして、甘ったるい声で発言した。
「先生、リリア様は教科書を忘れたのではなく失くしてしまったのではないでしょうか。昨日、セリーヌさんがリリア様の机の周りを不安そうにうろついているのを、私は見かけたのです」
その一言で、教室中の生徒たちの視線が一斉に、リリアの隣に座るセリーヌへと激しく集中した。
「私、違います」
突然の身に覚えのない濡れ衣を着せられ、セリーヌは顔を真っ青にして激しく狼狽した。
ミーナは怯えるセリーヌへ甘い視線を送ると、指先から薄桃色の魅了の魔力を微かに放った。
「セリーヌさん、そうですよね。リリア様に嫌だと言えずに頼まれて教科書を隠してあげた、あるいは、日頃から虐げられた腹いせに捨ててしまったのではないですか」
甘い魅了の魔力と巧みな誘導尋問により、周囲の生徒たちの脳内に歪んだ疑念と妄想が瞬時に植えつけられていく。
「セリーヌが怪しいのではないか」
「リリアがセリーヌを脅して汚い手を汚させたのではないか」
「なんて酷いのだろう。おとなしいセリーヌさんを自分のいじめの道具にするなんて」
「公爵令嬢としての矜持も何もない。浅はかな」
周囲の生徒たちから容赦なく向けられる理不尽な罵詈雑言の数々。
セリーヌは恐怖とあまりのショックでボロボロと涙をこぼし、震える手で頭を抱え込んで小さくなってしまった。
「違います。私はそんなことしていません」
「違います。セリーヌさんは何もしていません」
リリアは静かに席を立ち上がり、通る力強い声でハッキリとセリーヌを庇った。
自分の教科書が消えたことよりも、隣にいるだけの心優しい少女が巻き込まれ、卑怯な悪者にされようとしていることが何よりも許せなかったのだ。
「私の教科書がないのは、私自身の管理不足による不注意です。セリーヌさんを責めるのはやめてください」
セリーヌは、自分を真っ直ぐな瞳で庇うリリアの横顔を見て、泣きじゃくりながら目を見開いた。
クラス中の誰もが自分を疑い、ミーナの甘い言葉に流されていく中で、リリアだけが逃げずに自分を信じ、命がけで守ろうとしてくれている。
セリーヌの胸の中で、長らく視界を曇らせていた魅了の霧がほんの少しだけ晴れ渡り、リリアに対する強い感謝と深い信頼が芽生え始めていた。
ミーナはそんな二人の絆の兆しを目に留め、誰にも見えない陰で忌々しそうに舌打ちをするのだった。
セリーヌを身代わりにしてリリアを完全に孤立させるはずだったのに。こうなったら、次はもっと手厳しく決定的な罠を仕掛けてやるわ。
セリーヌはリリアの真の優しさと高潔さを知り、魅了の毒に命がけで抗い始めていた。
ミーナの完璧だったはずの筋書きが、わずかに狂い始めた瞬間であった。




