第93話:二人の休日(前編)
四月半ば。日曜日。
人生で初めてのデートだった。
いや、デートとは言っていない。「休日の外出」だ。二人で。一緒に。……デートじゃん。
§ § §
待ち合わせは不要だった。同じ家に住んでいるのだから。
朝、エリオットが私服姿で現れた。先日一緒に買いに行った服。白いシャツに、紺のスラックス。シンプルだけど、この男が着ると何故かとんでもない破壊力になる。
「似合ってるね」
「そうか。君が選んでくれたものだ」
「私が選んだっていうか……ユニクロだけど」
「ユニクロは優れた衣料品店だ。品質と価格の最適化が見事に——」
「レビューしなくていいから。行こう」
池袋の駅で、電車に乗った。目的地は——
「水族館」
「水族館!?」
「都内の娯楽施設を検索した結果、最も適切と判断した」
「なんで水族館?」
「暗い。静かだ。混雑も比較的少ない。認識阻害の結界の負荷が最小限で済む」
「ロマンチックの欠片もない選定基準だね……」
§ § §
品川の水族館に着いた。
エリオットが、入り口で固まった。
「どうしたの」
「……この施設は、海の生物を閉じ込めているのか」
「水族館ってそういうとこだけど」
「教育と保護の名目で知的生命体を拘束する行為は、宮廷魔術院の倫理規定では——」
「異世界の倫理規定を持ち出さないで。入ろう」
チケットを買って中に入った。
最初の水槽。青い光の中を、イワシの群れが泳いでいる。何千匹もの銀色の魚が、渦を巻くように。
エリオットが、水槽の前で立ち止まった。
「……美しいな」
蒼い目が、水槽の光を映している。銀色の魚の群れと、蒼い水の光。
「この生物たちの群体行動パターンは、亜空間での次元座標の分布に似ている」
「デートでそんな感想出る?」
「失言だった。美しい、と言い直そう」
「最初の感想が本音でしょ……」
§ § §
クラゲのコーナーに来た。
暗い部屋の中で、透明なクラゲたちが光に照らされて漂っている。ふわふわと、ゆらゆらと。
エリオットが、ガラスに手をつけた。
「これは……」
「クラゲだよ。知ってる?」
「知っている。だが、異世界のクラゲは毒性が強く、触れれば皮膚が溶解する危険な魔獣だった」
「こっちのクラゲは大人しいよ。まあ、刺すやつもいるけど」
「このクラゲは——光を食べるのか?」
「食べないよ。照明だよ」
エリオットが、しばらくクラゲを眺めていた。
その横顔を、私も眺めていた。
この男は、数百年の闇の中にいた。光のない、音のない、何もない虚無の中で。
今、光の中にいるクラゲを見つめる横顔は——穏やかだった。子供のように。
(こんな顔もするんだ)
こんな場所に連れてきてよかった、と素直に思った。
§ § §
ペンギンのコーナー。
エリオットが、ペンギンの前で三十分動かなかった。
「エリオット?」
「待て。この生物は——飛べない鳥なのか?」
「そうだよ。ペンギン有名でしょ」
「鳥でありながら飛ぶことを放棄し、水中に適応した。それは——」
「大魔法使いが家事に適応したのと似てる?」
「……否定できない」
ペンギンがよちよち歩いている。するとエリオットの横を、小さな子供が「ぺんぎんさーん!」と叫びながら走り抜けた。
エリオットが、微かに目を細めた。
笑っている。この男の、あの不器用な笑顔。
——あ、だめだ。好き。ペンギンの前で「好き」が溢れそう。
§ § §
お土産コーナーで、ペンギンのぬいぐるみを買った。
「なぜペンギンを購入した」
「可愛いから」
「るんすけに見せるのか」
「なんでるんすけ」
「るんすけは新しい同居者に対して嫉妬心を示す傾向がある。事前の紹介が必要だ」
「ぬいぐるみだよ!? 生き物じゃないの!!」
「るんすけも元は生き物ではなかっただろう」
「……一理ある」
水族館を出た。外は春の陽だまり。
「次、どこ行く?」
「君に任せる」
「映画、観よう」
「映画。……動く絵画のことか」
「近いけど違う」
§ § §
映画館に入った。
最新のアクション映画を選んだ。本当はラブロマンスを観たかったけど、この男の隣でラブシーンは精神的に無理だ。
上映中。
爆発シーンで、エリオットが身じろぎした。
「この爆発の術式構成は非効率的だ。指向性がなく、エネルギーの七割以上が無駄に拡散している」
「うるさいってば! 映画なんだから!」
小声で言い合った。隣の席のカップルがこっちを見ている。恥ずかしい。
でも——楽しかった。
普通のデートだ。水族館と映画。ペンギンのぬいぐるみ。隣の席でぶつぶつ爆発の効率を批評する伴侶。
こんな日が——こんな「普通」が、こんなに幸せだなんて。
§ § §
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
初デート!水族館でクラゲに魅入り、ペンギンの前で三十分動かず、映画の爆発シーンにダメ出しする大魔法使い。
「普通」がこんなに幸せだなんて——限界OLの日常が、輝いています。
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