第87話:限界OLと最強童貞の激突(前編)
その夜。
私は決意した。
シャワーを浴びて、ジャージを着て(もうジャージで挑む、覚悟の上だ)、リビングに出た。
エリオットは今夜もソファに座って、本を読んでいた。今日は夏目漱石。太宰から漱石に変えたのは、少しだけ精神衛生を気にしたのだろうか。
「エリオット」
「何だ」
「話がある」
「……何だ」
また二回「何だ」を言った。この男、緊張すると同じ返事を繰り返す癖があるらしい。
テーブルの前に座った。向かい合った。正座はしない。あぐら。限界OLスタイルで本音をぶつける。
§ § §
「なんで手出してこないの」
ストレートに言った。
エリオットの片眉が、微かに上がった。
「手を……出す?」
「そう。キスはしたでしょ。お互いの気持ちもわかったでしょ。なのに、あんたは毎晩ソファで寝て、私には布団直す以外触れもしないし、距離感が全く変わってない」
「それは——」
「好きなんでしょ?」
「ああ」
「四百年待ったんでしょ?」
「ああ」
「なのに、なんで?」
沈黙。
エリオットが、漱石を閉じた。
「……答えるべきか」
「答えて」
「君を不快にさせる可能性がある」
「いいから」
エリオットが、深く息を吐いた。ポーカーフェイスの下で、何か重大な告白の態勢を整えているのがわかる。
「三日前のキスで、花畑事件が起きた」
「うん」
「あれは、私の感情の数パーセントが溢れた結果だ」
「……数パーセント」
「ああ。もし私が理性を完全に失った場合——」
エリオットの蒼い目が、真剣そのものだった。
「この六畳一間は消し飛ぶ。おそらく、このマンションごと。半径五十メートルの物理空間が再構成され、幻覚と魔力の渦に巻き込まれたこの一角は、一時的に《《別の次元》》になる」
「はぁ!?」
「つまり。私が君に触れれば——三百年分の執着が暴走し、物理的に、君ごと世界を壊しかねない」
§ § §
六畳一間が、しんと静まった。
私は、口をぽかんと開けたままだった。
「……つまり何? 好きすぎて触ったら部屋が爆発するってこと?」
「極めて粗い要約だが、本質は合っている」
「物理で!?」
「物理で」
「私のこと好きすぎて家が壊れるの!?」
「壊れる」
「どんな体質!?」
「大魔法使いの体質だ」
頭を抱えた。
いや、情報量が多い。多すぎる。まず整理させてほしい。
この男は、好きすぎて触れない。比喩じゃなくて物理。
三百年分の感情が溜まりすぎて、もう自分でも制御できないほどの魔力が内側で暴れ回っている。
キスだけで花畑。それ以上に踏み込んだら、空間崩壊。
つまりエリオットは——世界史上最強にして最悪の、《《好きすぎて何もできない男》》だった。
§ § §
「あんたさぁ」
「何だ」
「それ、もっと早く言ってよ。私てっきり、女として見られてないのかと思って三日間悩んでたんだけど」
エリオットの目が、珍しく大きく見開かれた。
「女として見ていないだと? 馬鹿を言うな。私は四百年間、——いや、これはやめておく。生々しくなる」
「生々しいの!?」
「……次の話題に移ろう」
「待ってよ!! 気になるじゃん!!」
「君のために自粛している」
「自粛ってなに!!」
テーブルを叩いた。お茶がこぼれた。三日前と同じだ。この六畳一間のテーブルは、感情的な場面のたびにお茶をこぼされる運命にある。
§ § §
「じゃあ、どうすればいいの」
怒りが収まった後(正確には全然収まっていないが、一応落ち着くフリ)、私は切り出した。
「あんたの魔力暴走を抑えつつ、二人が……その……ちゃんと……」
急に恥ずかしくなった。さっきまでの勢いが嘘のように、顔から火が出そうだ。
「言葉を濁すな。はっきり言え」
「あんたに言われたくない!! さっき自粛したくせに!!」
「公平だな」
「全然公平じゃない!」
二人とも、真っ赤だった。
いや、エリオットは真っ赤にはなっていない。ポーカーフェイスだから。でも、耳の先がほんのりピンクになっているのを、私は見逃さなかった。
(耳だけ赤くなるの? そういうタイプ?)
いちいち可愛いのがまた腹立つ。
§ § §
「……方法は、一つだけある」
エリオットが、しばらくの沈黙の後に口を開いた。
「大魔法使いにおける、究極の儀式。【魂の婚姻契約】」
「魂の……婚姻?」
「二つの魂を完全に結合する契約だ。これにより、私の魔力は君の魔力タンクと直結し、暴走のリスクが消える。二人の魂が一つの回路になるため、制御不能な溢れが物理的に起こり得なくなる」
「それって——」
「平たく言えば——」
エリオットが、私の目を見た。耳がまだピンクだ。
「結婚だ。魂の次元で」
§ § §
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ついに本音がぶつかった!「好きすぎて家が壊れる」最強の大魔法使いと、「女として見られてないの!?」と三日間悩んでいた限界OL。
そして提示された解決策は——魂の婚姻契約。結婚? 魂レベルの?
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