第80話:「あの時、どうして何も言ってくれなかったの」(後編)
翌朝。六日目。
目を覚ますと、エリオットは台所ではなく——テーブルの前に座っていた。
正座。昨日と同じ場所。同じ姿勢。
(……まさか、一晩中ここに?)
テーブルの上には、二人分のお茶が湯気を立てている。淹れたて。つまり、私が起きるタイミングを見計らっていた。
「おはよう」
「おはよう。……座ってくれるか」
声が、いつもの無機質な響きと違った。重い。でも——澄んでいる。
私はテーブルの前に座った。今日はあぐらじゃなかった。なんとなく、正座した。
§ § §
「一晩考えた」
エリオットが、まっすぐに私を見た。
「君の問いに対する答えだ。四百年の言い訳ではなく——私の正直な気持ちを」
「……うん」
「まず。私が逮捕前に君に会いに行かなかった理由は、呪縛だけではない」
意外な言葉に、目を見開いた。
「呪縛は、確かにあった。真相を伝えようとすれば声帯が焼ける。だが——それだけなら、方法はあった」
「方法?」
「直接的に真相を語らなくても、暗示的に伝える手段はあった。手紙に暗号を仕込む。魔法で幻影を見せる。間接的には、いくらでも」
心臓が、ざわついた。
「なのに、しなかった」
「……しなかった」
「なんで」
エリオットが、長い沈黙の後に答えた。
「——怖かったからだ」
§ § §
怖い。
この男の口から、その言葉が出たことに、私は息を呑んだ。
「君に会えば、計画が揺らぐと思った。君の顔を見れば、君の声を聞けば——冷静でいられる自信がなかった」
「……」
「禁術の再構成には、完璧な精神の制御が必要だった。感情が一滴でも混入すれば、術式が崩壊する。君を失う。永遠に」
エリオットの声が、かすかに震えた。
「だから私は、君に会わなかった。会えなかったのではなく——会わなかった。自分の感情を信用できなかったから」
テーブルの上のお茶が、冷めていく。
「私は臆病者だ。最強の魔法使いなどと呼ばれていても、愛する人の前では——こうも無力で、こうも臆病になる」
「エリオット……」
「だから昨日、君が言った言葉は正しい。『一言でも言ってくれれば信じられた』——その通りだ。私が覚悟を持って君に会いにいけば、結果は違ったかもしれない。呪縛を搔い潜る方法を見つけて、暗号でもいい、一言だけでも——」
声が詰まった。
「それをしなかったのは、君を愛していたからではない。自分を守っていたのだ。冷静さを失う恐怖から。術式が崩壊する恐怖から。——結局、四百年前の私は、君の命を救うことよりも、自分の感情の制御を優先した」
§ § §
六畳一間が、しん、と静まった。
エリオットの告白は、言い訳の真逆だった。
自分を糾弾する、容赦のない自己分析。四百年かけて辿り着いた、自分自身への審判。
「だから」
エリオットが、頭を下げた。昨日よりも深く。額がテーブルに触れた。
「君が私を恨んだのは、当然だ。君の二十八年間の苦痛は——私の臆病さが生んだ、当然の対価だ」
「……」
「文字通り全てを犠牲にしたと、それで帳消しだなどとは言わない。数百年の孤独は、私が勝手に選んだ道だ。君に押しつけていい対価でも帳尻でもない」
「やめて」
私が言った。
「え?」
「自分を殴るのやめて。聞いてるこっちが辛いから」
エリオットが、ゆっくりと顔を上げた。
蒼い目が、揺れていた。ポーカーフェイスが、完全に崩壊していた。
§ § §
「あんたさぁ」
私は、鼻をすすった。泣いてるのか笑ってるのか、もうわからない。
「四百年反省し続けて、出した答えが『全部俺が悪い、俺は臆病者だ』って……反省会長すぎない?」
「……」
「バカ……! 大バカ……!」
テーブルに突っ伏した。腕で顔を隠した。涙が止まらない。
「あんたの世界と私の世界、二つの人生分、どれだけ苦しんだと思ってるの……! あんただけじゃない、私も苦しかった……! 信じられなかった自分が悔しくて、恨んだ自分が許せなくて——!」
言葉がぐちゃぐちゃになった。
でも、言わなきゃいけなかった。
「でもね——」
顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃの顔を、そのまま見せた。
「あんたが臆病者だったから——私は今、ここにいるんでしょ」
エリオットの目が、見開かれた。
「あんたが冷静さを守ったから、術式は成功した。私の魂は無事にこっちの世界に着いた。二十八年間、生きてこられた」
「それは——」
「それは結果論だ、って言うんでしょ。知ってる。でもね、結果論だろうが何だろうが——私は今、生きてる。ここにいる。あんたのせいで。あんたのおかげで」
鼻水をティッシュで拭いた。箱ごと引き寄せた。もう遠慮なんかしない。
「だから——」
深呼吸した。
「許す、とか、許さない、とかじゃなくて」
エリオットを、真っ直ぐに見た。
「もう、終わりにしよう。前世のこと」
§ § §
エリオットが、固まった。
「終わりに……」
「うん。恨みも。後悔も。罪悪感も。全部。二人とも、もう充分苦しんだでしょ」
「だが——」
「だがじゃない」
私は、テーブルの上に手を伸ばした。エリオットの手を取った。傷だらけの、冷たい手を。
「私はもう、あんたを恨まない。あんたも、自分を責めるのやめて。それが——私の答え」
エリオットの手が、震えた。
「……それで、いいのか?」
「いいの」
「私はまだ、償いが——」
「償いなら、もうしてる。毎朝のフレンチトースト。毎晩の夕食。魔法のお風呂。るんすけの世話。六畳一間の掃除。私の生活を、毎日毎日守ってくれてる。それが全部、あんたの償いでしょ」
エリオットの目から、涙がこぼれた。
声もなく。ポーカーフェイスのまま。昨日と同じ、この男の泣き方。
「……ありがとう」
かすれた声だった。数百年分の重さが、たった五文字に凝縮されていた。
「どういたしまして。……馬鹿」
手を握ったまま、二人で黙った。
るんすけが充電ドックから出てきて、テーブルの周りを一周した。いつもの巡回。でも今日は、二人の足元でぴたりと止まって、小さく電子音を鳴らした。
——ぴこ。
まるで、「よくがんばったね」と言うように。
§ § §
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
「臆病だったから、会いに行けなかった」——四百年の自己審判を経て、エリオットが語った本当の理由。
そして奈々の答えは、赦しでも断罪でもなく——「もう、終わりにしよう」。
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