第74話:断頭台の真実(中編)
時計が午前一時を指している。
お茶はとっくに冷めていた。でも、淹れ直す気にはなれなかった。立ち上がったら、この空気が壊れてしまう気がした。
「一つ、聞いていい?」
「何でも聞いてくれ」
「処刑の場で、あんたは私に何も言わなかった。一言も。目も合わせなかった。……少なくとも、私にはそう見えた」
エリオットが、静かに頷いた。
「ああ。何も言わなかった」
「なんで?」
「言えば、聖女に気づかれる」
その言葉の重さに、息が止まった。
「聖女フィオは、あの処刑の場に立ち会っていた。最前列で。私の一挙一動を監視していた」
「……」
「フィオは、私がカレンシュの味方であることに最初から気づいていた。だからこそ、処刑の直前に神の呪縛を下した。だが、呪縛だけでは不安だったのだろう。処刑の場で、私が何か『余計なこと』をしないか、ずっと見張っていた」
エリオットの目が、暗く沈んだ。
「もし私が君に一言でも——『大丈夫だ』とでも囁けば、フィオはそれを《《裏切りの証拠》》として国王に突きつけただろう。そうなれば、処刑は中止され、君は拷問官の手に渡される。そして私は反逆者として拘束され、君を逃がす術式を発動する機会は永遠に失われる」
「だから……黙ってた」
「ああ。黙って、冷たい顔をして、何の感情もないフリをして——あの術式を、完璧に成功させなければならなかった」
§ § §
「でもね」
私は、膝の上で拳を握った。
「私は……あの瞬間、あんたを恨んだ」
エリオットが、微かに目を伏せた。
「処刑台の上で。鎖で繋がれて。目の前にあんたが立ってて。私……心のどこかで期待してた。この人なら助けてくれるって。何か言ってくれるって。『全部嘘だ、君は無実だ』って——」
声が震えた。
「でも、何も言ってくれなかった。あの冷たい顔で、無言で魔法を撃った。だから私は——死ぬ瞬間に、あんたを恨んだ。信じてたのに、って。この男も結局、王の犬だったんだ、って」
「……知っている」
「え?」
「君の目を見れば、わかった。光に包まれる直前の、君の目。あの目は——私を憎んでいた」
エリオットの声が、掠れた。
「それが、四百年間……私の中で一番重い記憶だ。君を救えたことは、後悔していない。だが、君が私を憎みながら消えていったこと——それだけが、四百年間、一秒も忘れられなかった」
涙がこぼれた。止められなかった。
「ごめん」
私が言った。
「え?」
「ごめん。恨んで、ごめん。あんたは……私を助けてくれてたのに。全部犠牲にして、私を逃がしてくれてたのに。私は——あんたを信じられなかった」
「それは——」
「ごめん。ごめんね」
「やめてくれ」
エリオットの声が、切迫した。
「君が謝ることは何もない。あの状況で、君が私を信じられなかったのは当然だ。何も説明せず、冷たい顔で魔法を撃った私が悪い。全ては、私の——」
「あんたも悪くないでしょ!」
気づいたら叫んでいた。
「説明できなかったのは呪縛のせいでしょ! 笑えなかったのは術式が崩壊するからでしょ! あんたに選択肢なんかなかったじゃん!」
「だが——」
「だがじゃない!」
テーブルを叩いた。冷めたお茶がこぼれた。
「あんたは悪くない。私も悪くない。悪いのは国王と枢機卿と聖女でしょ!? 二人とも被害者じゃん!」
§ § §
六畳一間に、私の叫び声が反響して消えた。
エリオットが、固まっていた。
蒼い目が、大きく見開かれている。あの万能の大魔法使いが、限界OLの怒鳴り声に、完全にフリーズしていた。
「……」
「……」
沈黙。
テーブルの上で、こぼれたお茶がゆっくり広がっている。
「……こぼれた」
「うん」
「拭く」
「いい。私が拭く」
二人同時に手を伸ばして、同じタオルを掴んだ。
指が触れた。
エリオットの指は、冷たかった。いつも通り。魔力が足りないから。命を削っているから。
でも、その冷たい指が——私の指に、そっと触れたまま止まった。
「……カレンシュ」
「加齢臭って呼ぶな。今いい場面なのに台無しになるから」
「すまない」
小さな笑いが漏れた。
泣きながら笑った。また、この男の前で、ぐしゃぐしゃの顔を晒している。
「ねえ」
「何だ」
「続き、聞かせて。まだ全部じゃないんでしょ」
「……ああ。まだ、半分だ」
「じゃあ聞く。お茶淹れ直すから、待ってて」
指を離して立ち上がった。台所でお茶を淹れる。手が震えて、茶葉をこぼした。
——この男は、全部一人で背負ってたんだ。
四百年間。
誰にも言えず。誰にも理解されず。「カレンシュを殺した男」として。
お茶を持って戻ると、エリオットは同じ場所に座っていた。正座のまま。膝の上の拳が、少しだけ緩んでいた。
「はい。お茶」
「ありがとう」
温かい湯気が、二人の間で揺れた。
「続けて」
「ああ」
エリオットが、お茶を一口飲んだ。
「次に語るのは——私が君を送り出した後、何をしたかだ」
§ § §
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
「世界で一番冷たい顔」の理由。聖女の監視。そして、四百年間エリオットの中で一番重かった記憶——憎しみの目で消えていったカレンシュの最後の視線。
「あんたは悪くない。私も悪くない。悪いのは国王と枢機卿と聖女でしょ!?」
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