第75話:断頭台の真実(後編)
「【断罪の雷】を撃った直後のことだ」
エリオットが、二杯目のお茶を置いた。
「術式は成功した。君の魂は光に変換され、私が計算した次元座標に向けて射出された。民衆の目には、ハーゲン令嬢が完全に消滅したように見えた。国王も枢機卿も、疑わなかった」
「……よかった」
「ああ。ただし、一つだけ想定外があった」
「想定外?」
「送還先の座標を、完全には特定できなかった」
私は眉を寄せた。
「どういうこと?」
「禁術の再構成に使えた時間は二日。人間の魂を安全に転送するための次元座標の計算には、本来なら数十年の演算が必要だ。二日では、大まかな『方向』しか指定できなかった」
エリオットの目が暗くなった。
「つまり、君の魂は——広大な次元の海に向かって撃ち出された。安全な世界に着地するという保証はあったが、《《どの世界に》》着地するかは、わからなかった」
「……」
「永遠に辿り着けない可能性もあった。次元の狭間で漂い続ける可能性も。だが、それでも——」
「拷問されるよりはマシ、って?」
「ああ」
その一言に、全てが詰まっていた。
確実な地獄か、不確実な希望か。エリオットは後者を選んだ。
「結果として、君はこの世界——現代日本に着地した。奇跡的に、安全な世界に。だが、私がそれを知ったのは……ずっと後のことだ」
§ § §
「ここからが、本題だ」
エリオットの声が、一段と重くなった。
「君を送り出した直後、処刑場は騒然としていた。民衆は『消滅の魔法』に恐怖し、国王は満足げに頷いていた。全ては計画通り。誰も私を疑っていなかった——一人を除いて」
「聖女?」
「ああ。フィオだけが、何かを感じ取っていた。消滅ではなく送還だと証明する手段は彼女にはなかった。だが、直感で——あの女は、私が何かをしたことを悟った」
エリオットの拳が、また強く握られた。
「処刑の翌日。フィオが枢機卿に進言した。『エリオット・ヴァン・クリフォードは、カレンシュの魂を逃がした疑いがある。拘束して尋問すべきだ』と」
「それで、追われることに……」
「直接的には、そうだ。だが、私は逃げなかった」
「逃げなかった?」
「逃げる必要がなかったからだ」
エリオットが、初めてこの夜に——薄く、笑った。
ぞっとするような笑みだった。
「処刑の術式を撃った瞬間から、私の計画は次の段階に移行していた。君の魂の『着地点』を見つけ出し、追いかけること。そのためには、莫大な演算時間と、完全に外界から隔離された環境が必要だった」
「外界から隔離……」
「だから私は、自分自身を——この世界のどこにも存在しない場所に、閉じ込めた」
§ § §
「私が作り出した空間を、便宜上【亜空間】と呼ぶ」
エリオットの声が、講義をするように淡々としたものに変わった。感情を切り離さなければ、語れない話なのだろう。
「次元と次元の狭間。物質も時間も光も存在しない、完全な虚無。本来、生命が存在できる場所ではない。だが、私の魔力で結界を張り、最低限の生存環境を構築した」
「あんたが……自分で作ったの? そんな空間を?」
「ああ。聖女や国王の追手が絶対に辿り着けない場所。そして、何百年でも演算に集中できる場所。この二つの条件を満たすのは、既存の世界のどこにもなかった。だから、作った」
この男は、さらっととんでもないことを言う。
「亜空間に引きこもった私は、そこで——君の魂が着地した世界の座標を、探し始めた」
「探すって……どうやって」
「力任せに。一つずつ」
エリオットの目が、虚空を見つめた。
「次元の座標は無限に存在する。星の数よりも多い。その一つ一つを、私の量子演算脳で解析し、君の魔力の波長——あの極大の輝きと一致するものを探した」
「一つずつ……?」
「一つずつだ。他に方法はなかった。次元の海は果てがない。地図もなければ、羅針盤もない。ただ、君の輝きだけを頼りに、無限の闇の中を手探りで」
私の胸が、潰れそうになった。
「それを——どれくらい?」
エリオットが、長い沈黙の後に答えた。
「数百年」
§ § §
時計が午前二時を回っていた。
六畳一間の窓の外、池袋の夜景がぼんやりと光っている。
数百年。
この男は、数百年間、たった一人で——次元の狭間の虚無の中で——私の魂を探し続けた。
「今日は……ここまでにしよう」
エリオットが言った。
「これ以上は——明日、続きを」
「……うん」
立ち上がろうとして、膝が笑った。長時間正座していたせいだ。エリオットも同じだった。二人して、ソファに倒れ込んだ。
「あんた」
「何だ」
「馬鹿」
「……それは知っている」
「大馬鹿」
「……すまない」
「謝んな」
私は、ソファの上で膝を抱えた。
涙は、もう枯れていた。泣きすぎて、目が腫れている。明日仕事だ。この顔で出社したら、朝倉座長に心配される。
「数百年のこと……明日、聞かせて」
「ああ」
「その間、あんたがどんな顔して生きてたか。全部」
「……全部は、辛い話だ」
「全部聞く。約束したから」
エリオットが、微かに頷いた。
ソファの上で、二人の距離がゼロになっていた。肩と肩が触れている。どちらが寄りかかったわけでもなく、自然に。
エリオットの肩は骨ばっていて、硬くて、少しだけ冷たかった。
でも、安心した。
「おやすみ」
「おやすみ。カレンシュ」
「加齢臭って——もういい。今日は許す。今日だけ」
そのまま、二人ともソファの上で眠ってしまった。
テーブルの上には、冷めきったお茶が二つ。こぼれた跡を拭いたタオル。そして、るんすけが静かに充電ドックから出てきて、こぼれたお茶の跡を丁寧に拭き取っていた。
誰にも頼まれていないのに。
§ § §
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
【断罪の雷】の真実、そして数百年の孤独の始まり。
処刑魔法は送還の光。そして送り出した後、エリオットは自ら作り出した虚無の空間に引きこもり、無限の次元座標の中から、たった一つの輝きを探し続けた——数百年間。
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