第71話:赦しの連鎖(後編)
面会を終えて、ビルの外に出た。
三月の風が頬を撫でる。冷たいけど、どこか春の気配がある。
エリオットが、同じ場所に立っていた。微動だにせず。この男は本当に、言ったことを守る。「何があっても」と言った通り、何があっても、ここにいた。
「終わった」
「ああ」
「白峰さん、泣いてた。前世の記憶が全部蘇って、子供みたいに泣いてた」
エリオットは何も言わなかった。
「私、あの子に言ったの。『許せない。罪は償って。でも、あんたも苦しかったんだと思う』って」
「……そうか」
並んで歩き始めた。駅までの道。通行人たちが忙しそうにすれ違っていく。
「怒ってる?」
「何にだ」
「私が白峰さんに……あんな風に言ったこと」
エリオットが、少しだけ歩調を緩めた。
「怒ってはいない」
「嘘」
「……少し、だけ」
珍しく正直だった。
「あの女が君にしたことを思えば、もっと断罪してもよかった。泣き崩れるまで追い詰めて、二度と君に近づけないようにしても、誰も文句は言わない。私なら、そうする」
「あんたはね」
「だが」
エリオットが、立ち止まった。
「君がそうしなかったことが——正しいと、思う」
蒼い目が、私を見下ろしていた。夕陽が当たって、銀色に光っている。
「カレンシュの頃から、君はいつもそうだった。敵にすら手を差し伸べる。それが君の強さだと、私は知っている」
「強さっていうか……お人好しなだけだよ」
「お人好しは強さだ。少なくとも、私にはできない」
§ § §
帰宅して、夕食を食べて、風呂に入って。
いつもの夜。いつもの六畳一間。
ソファに座ってお茶を飲んでいると、ふいにエリオットが喉に手を当てた。
「エリオット? どうしたの?」
「……」
エリオットの顔色が変わっていた。驚愕、と言ってもいい表情。あのポーカーフェイスが、完全に崩れている。
「呪縛が……」
「え?」
「消えた」
私は、お茶を持ったまま固まった。
「消えたって……あの、神の呪縛が?」
「……昼間から少しずつ呪縛が薄れていたが、今、完全に消えた」
エリオットが、自分の喉を何度も確かめるように触っている。長い指が、信じられないものに触れるように。
「白峰が深い眠りにつき、あるいは完全に心を整理したのだろう。今、最後の軛が消え去った」
「嘘でしょ。だって、あの呪縛は神がかけたんでしょ? 聖女の信仰が揺らいだくらいで——」
「違う」
エリオットが、私を見た。蒼い目が震えている。
「呪縛の本質は、聖女の《《執着》》だ。カレンシュへの、歪んだ執着。『この者を私だけのものにする』という狂信的な独占欲が、神の力を借りて形になったものだった」
「じゃあ……」
「白峰が——聖女フィオが、本心から君への執着を《《手放した》》。君の言葉で、あの歪んだ愛の連鎖が断ち切られた」
エリオットの声が、震えていた。
「執着の消失に伴い、呪縛を維持する力の源泉が消えた。術者の意志が消えれば、神の力も存続できない。だから——」
「完全に、解けた?」
「ああ。完全に」
六畳一間が、沈黙に包まれた。
四百年以上。この男を縛り続けた、絶対的な呪縛。
真相を語ろうとするたびに喉が焼かれ、声帯が灼かれ、一言も伝えることができなかった鎖。
それが今、消えた。
「……ってことは」
「ああ」
エリオットの蒼い目が、真っ直ぐに私を捉えた。
その目に、覚悟の光が灯っていた。昨日よりも、一昨日よりも、ずっと強い光。
「今なら——全てを、語れる」
§ § §
私の心臓が、どくんと跳ねた。
全て。
あの日の処刑の、全ての真実。
断片ではなく。痛みに耐えながらではなく。呪縛に邪魔されることなく。
エリオットの口から、完全な真実が語られる。
「……今日?」
「君が聞いてくれるなら」
「聞く」
即答した。
「聞く。全部聞く。ずっと待ってた」
エリオットが、静かに頷いた。
その表情は、解放と緊張が同居していた。四百年間、語りたくても語れなかった言葉が、今やっと喉を通れるようになった。
でも、それは同時に——自分が犯した全ての罪と苦痛を、愛する人の前に晒すということでもある。
「一つだけ、先に言わせてくれ」
「何?」
「この後、私が語ることは——君にとって、残酷な真実だ。聞いた後、君が私を憎んでも、拒絶しても、私は受け入れる」
「馬鹿」
私は、エリオットの隣に座り直した。少しだけ、肩が触れる距離に。
「最後まで聞くって言ったでしょ。逃げないって。何回同じこと言わせるの」
エリオットの肩が、ほんの微かに——震えた。
そして、重い口を開いた。
「あの日の話をしよう。断頭台の上で——本当は、何が起きていたのかを」
六畳一間の夜が、静かに始まった。
§ § §
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
白峰の執着が消えた瞬間、四百年の呪縛が完全に消失。
エリオットが、ついに全てを語れるようになった。断頭台の上で、本当は何が起きていたのか。次回から、封じられていた真実が明かされます。
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