第54話:「バカじゃないの!?」(前編)
公安の事情聴取は、三時間に及んだ。
小さな会議室。テーブルの向かいに座った二人の男。質問は淡々としていたが、内容は鋭かった。
アクセスログ。IPアドレス。送信されたデータの内容。全てが私のアカウントを指している。
「小松さん。改めてお聞きします。あなたは機密データを外部に送信しましたか」
「していません」
「ログにはあなたのアカウントが記録されています」
「私のパスワードを入手した誰かが、私のアカウントを不正使用したとしか考えられません」
「心当たりは」
白峰さんの顔が浮かんだ。
だが、証拠がない。給湯室での会話は二人きりだった。白峰さんが前世の聖女であることを公安に言ったところで、信じてもらえるわけがない。
「……現時点では、確証はありません」
結局、その日は「重要参考人」として帰宅を許された。
公安から「国外渡航禁止」と「今後の捜査への全面協力」を命じられた。
§ § §
夜九時。
池袋のマンションのドアを開けた。
「ただいm――」
リビングの床に、赤い染みが広がっていた。
血だ。
「エリオット!?」
駆け込んだ。
ソファの横に、エリオットが倒れていた。白いシャツが赤黒く染まり、顔は蝋のように白い。蒼い目は薄く開いているが、焦点が合っていない。
「エリオット! ちょっと、何があったの!?」
膝をついて、彼の頭を持ち上げた。冷たい。体温が異常に低い。
「……カレンシュ」
掠れた声。ほとんど聞こえない。
「しゃべらなくていい。救急車……いや、この人を病院に連れて行っても意味ない。魔法使いを治せる医者なんかいない」
パニックになりかけている自分を、必死に押さえつけた。
考えろ。前世の私なら冷静に対処できたはず。
エリオットの胸にそっと手を当てた。微かな魔力の流れを感じる。まだ生きている。心臓は動いている。
だが、その魔力の量が異常に少ない。いつも感じていた圧倒的な魔力の気配が、ほとんど消えかけている。
「あんた……何をしたの」
エリオットの唇が動いた。
「空間転移で……君を助けに行こうとした……が、聖女の呪詛空間に阻まれた……突破しようとして……」
「突破しようとして、自分の魂を削ったの?」
エリオットの目が、わずかに揺れた。図星。
「……この現代で、魔素がない環境で、あんたがあんだけの大魔法を使い続けてこれた理由。キスで得た魔力だけじゃ全然足りなかった。足りない分は自分の魂――命を削って補填してたんでしょう」
沈黙。
それが、答えだった。
私の目から、涙が溢れた。
「バカじゃないの!?」
叫んでいた。
「なんでそんなことまでして……!! あの豪華なディナーも、空間拡張も、全部あんたの命を削って作ってたの!? あたしのくだらない愚痴を聞きながら、裏ではずっと死にかけてたの!?」
エリオットが、何かを言おうとした。だが声が出ない。
その代わりに、血まみれの手が持ち上がり、私の頬に触れた。
「……君が、笑ってくれるのが」
「やめて」
「嬉しかったんだ」
§ § §
私は泣いた。
声を上げて、子供みたいに泣いた。
エリオットの冷たい手を両手で握りしめて、肩を震わせて泣いた。
霞が関での屈辱も、公安の事情聴取も、白峰さんの裏切りも、全部吹き飛んだ。
目の前で、この男が死にかけている。
自分を守るために。自分を笑わせるために。命を削って。
(バカヤロー)
涙で何も見えない。
(……やり直せるなら、あんたがこんなに傷つく前に、私が全部ぶっ壊してやるのに……!)
その激しい後悔が、胸の奥で燃えた。
それは前世のカレンシュではない。現代の限界OL、小松奈々としての、剥き出しの感情だった。
§ § §
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
血まみれで倒れたエリオットと、泣き叫ぶ私。
大魔法使いがずっと隠してきた真実——それは、私の笑顔のために、自分の命を燃やし続けていたということ。
「やり直せるなら」。私が極限の悲しみの中で発したその言葉。これがいずれ、大きな意味を持つことになります。
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