第52話:大魔法使いの限界(前編)
池袋のマンション。
エリオットは瞑想していた。
目を閉じ、座り込み、微かに残った魔力を細く長く循環させる。今日も私は出勤し、自分は部屋で「ぽつりと待つ」日常。足元でるんすけが静かに掃除をしている。
千里眼は常に稼働している。奈々の姿を映し続けている。彼女が安全であることを確認するだけの、ただそれだけの魔法。
しかし――千里眼がノイズを拾った。
普段は透明に映るプロジェクトルームの映像に、黒いスーツの男たちが映り込んだ。四人。揃った動き。表情のない顔。
嫌な予感がした。いや、予感ではない。経験だ。
永き時を生きてきた魔術師の直感が、あの光景を知っている。
宮廷衛兵。逮捕に来る者たちの動き方だ。
千里眼の解像度を上げた。
男の口が動く。「小松奈々さん。あなたのアカウントです」。
エリオットの蒼い目が見開かれた。
§ § §
立ち上がった。反射的に。
「もう充分だ」
声が出ていた。自分に言い聞かせるように。
「君は充分に戦った。ここから先は私が――」
空間転移の術式を展開した。
池袋のマンションから霞が関の合同庁舎まで、直線距離で約七キロ。通常なら一瞬で跳べる。
魔法陣が足元に広がり、蒼い光が部屋を照らした。るんすけが驚いたように後退する。
跳躍した。
空間が歪み、次元の隙間に身体が滑り込む――
その瞬間。
衝突した。
見えない壁に。
「――ッ!!」
全身を圧搾されるような衝撃。空間転移の途中で、何かに弾き返された。壁ではない。もっと巨大な、もっと根源的な力。
マンションの床に叩きつけられた。
背中から着地した衝撃で肺の空気が全て吐き出される。
「がッ……はっ……」
起き上がろうとして、身体が動かない。
両手でリビングの床を押し、なんとか上体を起こした。
何が起きた。
千里眼で霞が関を見る。建物の周囲に、ぼんやりとした「膜」が張られていた。
透明で、目には見えない。千里眼の超高解像度でようやく輪郭が捉えられる程度の、極めて微細な結界。
だが、その結界の「素材」を認識した瞬間、エリオットの顔から血の気が引いた。
これは、魔法ではない。
魔素を使っていない。
この力は――
「対空間転移……神の呪詛空間」
声が震えていた。
この術式を構築できる存在は、ただ一つ。
千里眼の焦点を切り替えた。プロジェクトルームの中を見る。席に座ったまま、心配そうな顔をしている栗色の髪の白峰。
あの女。奈々から正体を聞いた時は、まだ半信半疑だった。認知阻害の呪縛のせいで、千里眼で覗いても白峰の姿は「一般女性」としか映らなかったからだ。
だが今、呪詛空間に物理的に激突したことで、認知阻害のフィルターに一瞬だけ亀裂が入った。
白峰の輪郭が揺らぎ、その奥に「別の何か」が重なった。
白い法衣。祈りの手。聖女の面影。
――間違いない。あれは、フィオレンティーナだ。
エリオットの歯が、軋んだ。
§ § §
同時に、エリオットは理解した。
なぜ千里眼で、この巨大な結界の構築を事前に検知できなかったのか。
「認知阻害の呪い」。
前世で聖女が彼に科した呪縛。神の力による強制的な認知書き換え。白峰の正体だけではない。白峰が行使する「力」そのもの――結界の準備も、呪詛の発動も、全てが千里眼の映像から自動的に消去されていた。
エリオットの千里眼は正常に動いていた。霞が関のビルも、白峰の姿も、正確に映っていた。
だが、呪いがフィルターとなり、白峰の「行動」だけを「ただの残業風景」に書き換えていたのだ。
奈々から正体を聞かされてなお、自分の目で確認できなかった理由が、ようやく腑に落ちた。
「……見事な罠だ」
エリオットは、吐き捨てるように呟いた。
あの聖女は、私が約束を破って転移してくることすら、最初から盤面に組み込んでいた。
前世でカレンシュを処刑台に送り、エリオットの口と目を封じ、全てを奪った聖女。
そして今また、同じ手口で――いや、前世以上の精度で、全てを仕組んでいる。
立ち上がった。
空間転移は通じない。なら、力ずくで突破する。
残りの魔力を全て集中させた。
もう残っていない。キスで蓄えたなけなしの魔力は、日常の認識阻害と千里眼の維持でほぼ使い果たしている。
なら――足りない分は、いつもと同じだ。
「魂」を削る。
§ § §
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エリオットが動きました。しかし白峰さんが張った「対空間転移・神の呪詛空間」に激突し、初めて聖女の正体を認識する。
千里眼が狂っていたのではない。エリオットの「認知」が呪われていた。前世から途方もない時間、ずっと。
そして大魔法使いが選んだ最後の手段は――自らの魂を削ること。
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