第51話:最後の罠(後編)
水曜日の午前十時。
私は普段通り仕事をしていた。
物流セクションの最新データを整理し、来週の国際会議に向けた資料を作成する。いつもの日常。いつもの業務。
エレベーターの音が聞こえた。
それ自体は珍しくない。合同庁舎のエレベーターは、開庁時間中はひっきりなしに動いている。
だが、今回は違った。
エレベーターのドアが開き、黒いスーツの男たちが降りてきた。四人。全員が同じ色のネクタイをしている。表情はない。
廊下を歩く足音が、規則正しく響いた。
その足音が、会議室の前を通過し――プロジェクトルームのドアの前で止まった。
ドアが、ノックもなく開いた。
「失礼します。公安警察です」
§ § §
プロジェクトルームが凍りついた。
全員が手を止め、入ってきた四人の男を見つめた。先頭の男が、身分証を朝倉座長に提示した。
「内閣官房情報セキュリティセンターから連絡を受けました。本プロジェクトにおいて、重要機密データの不正な外部送信が検知されています」
朝倉座長の顔から血の気が引いた。
「不正送信……?」
「はい。三日前の午後三時十七分、プロジェクトの中枢サーバーから海外のIPアドレスに対して、物流セクションの機密データが送信されています。送信元のアカウントは――」
男の視線が、まっすぐに私を射抜いた。
「小松奈々さん。あなたのアカウントです」
§ § §
心臓が、止まった。ような気がした。
「……は?」
声が出なかった。いや、出たのかもしれない。でも聞こえなかった。
「小松さん。三日前の午後三時から四時の間、あなたはどこにいましたか」
「三時……? 三時は……」
思い出そうとした。三日前の月曜日。午後三時。
席を外していた。会議の準備で、下の階の印刷室に行っていた。三十分ほど。
「席を外していました。印刷室に」
「その間、あなたのPCにログインした人物に心当たりは?」
「ありません。私のパスワードを知っている人は……」
知っている人は、いないはずだった。
でも――
一瞬だけ、白峰さんの方を見た。
白峰さんは、心配そうな顔で私を見つめていた。大きな瞳がうるみ、唇がわずかに震えている。完璧な「驚いている善良な後輩」の表情。
「小松さん。恐縮ですが、重要参考人としてお話を伺わせてください。こちらにお越しいただけますか」
公安の男が、ドアを指し示した。
立ち上がろうとした。足に力が入らない。膝が笑っている。
前世の処刑場に連行された時も、こんな感覚だった。周囲の音が遠くなり、視界が狭まり、足元だけが近くに見えて。
「ちょ……ちょっと待ってください。私はそんなことしていません」
「事情聴取の場で、詳しくお聞きします」
私は立ち上がった。
目の前が、ぐらりと揺れた。
会議室の全員が、私を見ている。
山本さんが口を開きかけて、閉じた。佐々木さんが、何か言おうとして隣の人に止められた。朝倉座長は、厳しい顔で黙っている。
私が公安の男に促されてドアに向かった。
§ § §
その背中を、白峰の瞳が追っていた。
「……先輩」
涙声で、白峰が呟いた。
(お姉様。見て。あなたは今、ボロボロになりかけている。もうすぐ全てを失う。その時、私が手を差し伸べてあげる。今度こそ)
白峰の膝の上で、両手がきつく握りしめられていた。
プロジェクトルームのドアが閉まった。
奈々の姿が消えた。
そして同じ瞬間――池袋のマンションで、蒼い目の男が動いた。
§ § §
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公安が動きました。国家機密の流出。犯人は「小松奈々」のアカウント。完璧に偽装された罠。
前世と同じ光景が繰り返されようとしている。冤罪で連行される令嬢。でも今回は、永き時を生き延びた大魔法使いが見ている。
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