第46話:歪んだシスターフッド(前編)
翌週の火曜日。
あの会議の後、私の評価は急上昇していた。
「三カ国語を操る民間枠の女性」の噂は霞が関のフロアを駆け巡り、他の省庁からも「うちの会議にも出てくれないか」と声がかかるようになった。
名刺を資料の下に隠していた財務省のエリートが、今では向こうから挨拶してくる。
外務省の仏頂面さんに至っては、「小松さんの語学力、外務省でも通用しますよ」と真顔で言ってきた。それ、褒めてるの? スカウトしてるの?
白峰さんはいつも通り、にこにこしていた。
私の成功を一番喜んでいるように見えた。「さすが先輩!」「かっこよかったですぅ!」と弾む声で祝福し、チーム全体のムードメーカーとして完璧に機能している。
だが、私は気づいていなかった。
白峰さんの笑顔の精度が、日に日に上がっていることに。
完璧すぎる笑顔は、もはや笑っているのではなく、「笑っている」という記号を顔に貼り付けているだけだった。
§ § §
その日の午後。
私は給湯室でコーヒーを淹れていた。
午後の会議に備えて資料を再チェックする前に、カフェインを補給する。黒いコーヒーにミルクを少しだけ。前世はお茶派だったけど、現代人になってからはコーヒーの方が効く。
限界OLの六年間で、カフェインは命綱だった。
背後で、給湯室のドアが閉まった。
振り返ると、白峰さんが立っていた。
「……先輩」
声のトーンが違った。
いつもの甘い語尾伸ばしがない。「ですぅ」が消えている。
「白峰さん? どうしたの、コーヒー飲む?」
白峰さんは動かなかった。
給湯室の蛍光灯の下で、栗色の髪が揺れている。大きな瞳が、真っ直ぐに私を見ていた。
その瞳の奥に――何かが燃えていた。
「先輩」
白峰さんが一歩、前に出た。
「どうして。どうしていつも、お姉様はそうやって私の救済から逃げるの?」
§ § §
世界が、止まった。ような気がした。
コーヒーカップを持つ手が、固まっている。
「……え?」
「データも直した。通訳も要らないと切り捨てた。誰の助けもなく、全部自分でやってしまう。私が……私が手を差し伸べる隙を、一ミリも残してくれない」
白峰さんの声が震えていた。怒りなのか、悲しみなのか、判別がつかない。
いや、両方だった。
「白峰さん、何を言って……」
「私は、あなたを救いたかった」
白峰さんがもう一歩、前に出た。この子のゆるふわの空気が、完全に消えていた。
代わりにそこに立っていたのは、全てを知っている目をした、見知らぬ――いや、かつて、よく知っていた女性だった。
「あの会社で、黒田にいじめられて、毎晩泣きながら帰ってきて。私はずっと見ていた。ずっと待っていた。先輩がもう限界だって、もう無理だって言ってくれるのを。そしたら私が――」
白峰さんの声が、裏返った。
「私が全部引き受けて、ボロボロの先輩を優しく包んで、『もう大丈夫だよ』って言ってあげるはずだったのに」
私は、マグカップを握りしめていた。
指が白くなるほど。
今の言葉の中に、聞き覚えのある響きがあった。
前世の記憶の奥底で、何かが軋んだ。
「白峰さん……あなた、さっき何て言った?」
「《《お姉様》》」
白峰さんが、その言葉を、はっきりと発音した。命を削るような、切実な響き。
「あの頃と同じ。処刑台の上でも、あなたは笑っていた。一度も泣かなかった。一度も私に助けを求めなかった。《《私を必要としてくれなかった》》」
§ § §
コーヒーが揺れた。
カップの中の黒い液面が、私の手と一緒に震えている。
お姉様。処刑台。
白峰がそう呼ぶ理由を理解するのに、数秒が必要だった。
理解した瞬間、背筋に走ったのは、あの悪寒だった。
着任初日に感じた、背骨を一本ずつ数えるような冷たい指先の感覚。
あれは、前世の記憶が発した警報だったのだ。
「あなた……」
私の声が、掠れた。
「聖女……フィオレンティーナ……?」
白峰さんの顔が、歪んだ。
笑顔でも、怒りでもない。もっと複雑な、痛みに満ちた表情。
「覚えていてくれたんですね、お姉様」
その声は、もうゆるふわの後輩ではなかった。
宮廷の神殿で祈りを捧げていた、孤独な少女の声だった。
§ § §
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ついに仮面が剥がれました。
「ですぅ」が消え、「お姉様」が現れる。給湯室で対峙する二人の転生者。白峰さんの口から溢れたのは、前世からの拗れたシスターフッドの叫びでした。
次回、白峰の本当の目的と、聖女の真実が明かされます。
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