第47話:歪んだシスターフッド(後編)
給湯室の蛍光灯が、白い光を落としている。
私と白峰さんの間に、途方もない重さの沈黙が横たわっていた。
「……全部、あなただったの」
私の声が、震えていた。怒りではない。理解しようとしている声だった。
「Excelの文字化けも。データの改竄も。高橋さんが倒れたのも」
「はい」
白峰さんは――フィオレンティーナは、一切の飾りを捨てた声で答えた。
「全部、私です。先輩を追い詰めるために仕組みました。先輩がボロボロになって、もう一人では立てなくなって、私に『助けて』って言ってくれるように」
私のマグカップが、かたんと音を立てた。テーブルの端に置いた手が、まだ震えている。
「でも先輩は引っかからなかった。Excelのバグは一秒で直して、データのズレはバックアップから復元して、通訳がいなくなったら自分で三カ国語喋って。全部。全部、自分でやってしまった」
白峰さんの声に、涙が混じり始めていた。
「あの頃と同じ。宮廷でもそうだった。私がどんなに工作しても、お姉様は涼しい顔で全部解決して、一度も私に頼ってくれなかった」
§ § §
私は、マグカップを手放した。
両手が自由になった手を、ゆっくりと握りしめる。
記憶が蘇ってくる。断片的に。
宮廷の回廊。ステンドグラスの光。自分より年下の、孤児出身の聖女。
あの子は、いつも一人だった。「聖女様」と崇められ、枢機卿の傀儡として利用され、誰一人として対等に接してくれなかった。
カレンシュだけが違った。
「聖女様」ではなく「フィオ」と呼び、宮廷の庭で一緒にお茶を飲み、政治の話ではなく季節の花の話をした。
妹のように思っていた。あの子の笑顔が見たくて、忙しい政務の合間を縫って会いに行っていた。
――なのに、その「妹」が自分を処刑台に送った。
でも今、白峰の言葉を聞いて、私はようやくそのパズルの最後のピースを見つけた。
「……あなたの目的は、最初から『救うこと』だったの?」
白峰さんの目が見開かれた。
「全部奪って、ボロボロにして、何もかも失った私に手を差し伸べて。『私がいないと生きていけない』状態にする。それが、あなたの言う『救済』だったの?」
「――ッ」
白峰さんの唇が、わなわなと震えた。
「違う……違わない……わからない……」
声が壊れていく。完璧なゆるふわ後輩の殻が、音を立てて剥がれ落ちていく。
「私は、ただ……お姉様に必要とされたかった。お姉様は何でもできて、何でも一人で解決して、私のことなんか要らなかった。あの宮廷で、唯一私を見てくれたのはお姉様だけだったのに、お姉様には私なんか必要なかった」
涙が頬を伝った。
「だから……だから全部壊せば、お姉様は私だけに縋ってくれると思った。今度こそ私が全てを奪って、どん底のお姉様を優しく救ってあげるはずだったのに」
白峰さんが、崩れるように膝をついた。
給湯室の冷たいリノリウムの上で、前世の聖女が泣いていた。
§ § §
私は、しばらく何も言えなかった。
怒りはある。高橋さんを巻き込んだこと。データを改竄したこと。WAGEプロジェクトを危険に晒したこと。許せることでは、断じてない。
でも。
あの宮廷で、たった一人の「妹」だと思っていた少女が、実は自分に対してこれほどの劣等感を抱えていたことを――カレンシュは、気づいていなかったのだ。
完璧な令嬢は、妹の心の傷に気づけなかった。それどころか、「何でも一人でできる」ことで、妹の存在価値を否定し続けていた。
無自覚に。善意で。
(……私のせい、でもあるんだ)
私は、膝をついて白峰の前にしゃがんだ。
「白峰さん。顔を上げて」
「……」
「フィオ」
前世の愛称を呼んだ瞬間、白峰の身体がびくりと震えた。
涙でぐしゃぐしゃの顔が、上がった。
「あなたがしたことは、絶対に許せない。でも」
私は、白峰の目を見つめた。
「私も気づけなかった。あなたがあの宮廷で、どれだけ孤独だったか。私が全部一人で頑張ることで、あなたの居場所を奪っていたことに」
白峰の瞳が、揺れた。
「でもね、白峰さん。《《誰かを壊してから救うのは、救済じゃない》》。それは支配だよ」
静かに、でもはっきりと。
前世の令嬢の声ではなく、現代の限界OLの声で、そう言い切った。
「私は、あなたに『助けて』とは言わない。それは嘘になるから。でも、あなたがここから先の道で迷ったら、一緒に考えることはできる。それは壊さなくても、できることだよ」
§ § §
白峰さんは、何も答えなかった。
涙だけが、リノリウムの上にぽたぽたと落ちていた。
やがて、給湯室のドアの向こうで、昼休み終了のチャイムが鳴った。
白峰さんが、ゆっくりと立ち上がった。涙を拭い、髪を直し、スカートの皺を伸ばした。
その顔に、いつものゆるふわの笑顔が戻った。
だが、その笑顔の下にあるものが何なのか――私には、もうわかっていた。
「先輩。……午後の会議、始まりますよぅ」
語尾伸ばしが、戻っている。でも、さっきまでとは微かに違う。
白峰さんがドアを開けて出ていった。
私は、冷めたコーヒーを見下ろした。
全ての点と点が繋がった。
着任初日の悪寒。完璧すぎる笑顔。エリオットの千里眼が「無害」と判定した理由。
あの子は、「魔法」ではなく「神の力」を使っている。だからエリオットの探知に引っかからない。
そして、その力は前世から続く「呪縛」として、エリオットの認知すら欺いている。
(エリオットに伝えなきゃ。でも……まだ全貌が見えない。白峰さんがどこまでのことを企んでいるのか)
私は立ち上がった。
冷めたコーヒーを流しに捨て、マグカップを洗い、給湯室を出た。
ここからが本当の戦いだ。
§ § §
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
白峰さんの本音が、ついに明かされました。「救済という名の支配」。全てを奪い、ボロボロにして、自分だけに縋らせる。それが前世の聖女の「愛」の形でした。
そしてこの告白は宣戦布告でもある。白峰さんはまだ止まらない。私はまだ全貌を掴めていない。
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