018◇地域◇髪の毛一筋の真実
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゛リィィ――ン ゛
透明な音色。
嫌になる程。厭わしい程。透明に響く音色。
遠くから響く、それは鈴の音だと思います。
覚えのある音色。厭な音色。細い響きは直ぐにも止みそうなのに、途切れる事なく長く執拗に響く鈴の音に、意味がないと知りつつも私は耳を塞ぎました。
布団を被り、両手で耳を塞いでも、その音は濁る事すらしません。褪せない音色。透明な音色。耳鳴りの様に、響き続ける不快な音色。
それは実際には耳に届く音では無いのでしょう。
もちろん、憶測でしかありません。けれど、耳に届く音ならば、もっと多くの人に聴こえても良い筈です。ですが、この音色を『聴く』人が、一体どれ程存在するのでしょうか?
夜の眠りを邪魔する音色。
この音が響き始めて、はや三夜を迎えました。
眠りは浅く、響く音色はより深く。誘いを含む音色だと、最初に『聴いた』瞬間に思いました。
私を『呼ぶ』音だと、私を呼んでいるのだと、何故か確信したのです。
そして何故か。
私はその『呼び声』に応じなければ為らないと、強い衝動に駆られました。現在も感じる衝動です。逆らい耳を塞ぎ、脳に直接響く鈴の音色を無視しようとして無視出来ず、薬の力を借りて一時の睡眠を得ても直ぐに目覚め、揺らぐ心と狂おしい衝動を無理矢理に抑え込むのです。
「行かないと……。」
薬の力を借りなければ眠れません。薬の所為で、目覚めても眠いばかりで意志が揺らぐ。
ハッと我にかえると、自室の扉に手を掛けんとする己に気付きゾッとしました。
「何なのっ…!」
私は私の意思を無視する『ナニモノ』かに悪態を吐きました。乙女にあるまじき汚い言葉を紡いだ自覚が有ります。
私は。
自らの意志を曲げようとする『ナニモノ』かに激しい怒りを覚えました。
そして。
理性を失う前に。
何も考えられないまま、従いたい衝動のままに誘いに乗るよりは………と。
自ら、そこに赴いたのです。
明るい最中でさえ、現在は通る気にもならず避けていた道筋を、私はゆっくりと歩みました。目指す先は明確でした。
鈴の音を響かせる場所。
いつも。
鈴が鳴る場所。
霊が集まる……そこ。
あくまでも、透明な音色。頭に響く透き通る音色。耳鳴りのように鳴り続ける、細く悲鳴の様に響く鈴の音色。
細い音。痛い音。事実は、鈴などでは無く、悲鳴か哭き声かも知れません。
三日間。
私を悩ませ苛んだ『音色』の源泉に。
私は不安を忘れきる事は出来ないまま、それでも怒りを糧に怯えを抑え込む事に成功して立ち向かったのです。
そこには。
紅の闇が坐しました。
恐慌をきたすとは、こう云う事を云うのでしょう。
耀き輝く紅の闇。ドロリと漂う、甘い毒。狂気を、はたまた狂喜を誘う『存在』。
私は理解しました。
判別する事が出来ました。
私は。
目の前に在る存在が、『神』だと何の疑いも無く納得したのです。
従いたい……と、強烈なまでの衝動に駆られたのは当然でした。従いたい……と、跪くのは当然でした。その『神』を目の前にして、私は私が狂わずに存在している現実を僥倖と感じました。
いえ。
この邂逅こそが僥倖と云うべきなのでしょう。
視界に映すだけで、その『美』を眸に映すだけで、眸は焼け熔けて気が狂う。そうなってもオカシクない……寧ろ、そうならない現実がオカシイ。
そんな風に思いました。
私の眸は視力を保ち、私は思考する力を残しています。ですが………普通を任じ、自らが狂気に陥ったのでは無いかと怯えていた………あの頃には戻れないのは確かでした。
思えば、何と可愛らしい悩みだったのでしょうか。
悩みと云うモノは、すべからくそう云うモノなのでしょうか。
真剣に、本気で、悩んで苦しんではいましたが、既に真の狂気を知った私は過去の己を嗤うしか有りません。
私は額ずいて礼拝しました。跪き、両手を前に揃え、頭を下げました。
叩頭する事の意味を知りました。
そこに怯えは有りましたが、その畏に打たれ、頭を上げる事など出来ません。地に付いた手のひらが漸う体を支えています。立つことなど更に出来る筈も無く、礼儀の意味合いも有りましょうが、額ずく仕草は叩頭の礼は、単なる自然な体勢でしか無いと知りました。
本当に畏敬すべき存在には、そのようになってしまうモノなのでした。
「私は………お待たせしてしまったのでしょうか?」
自ら言葉を発する、その無礼を知りつつ訊かずにおれませんでした。
三日間。
私は鈴の音色を聴きました。その呼び掛けを、三日間無視しようとしたのです。
まさかとは思いますが、この方をお待たせしてしまったのならば、それは万死に値する罪と云えたでしょう。
ですが。
当たり前ではありますが、そんな事は有りませんでした。
『まさか。』
一笑にふされました。当然でした。『神』が人間に『待たされる』などと、そんなことがあって良い訳が有りません。
それでも。
紅き闇の、この御方が、この界隈に浮遊する霊たちに私への呼び掛けを命じたのは確かなのです。私にとっての三日間。神にとって、それは瞬きの間なのでしょうか?はたまた私が此処に『来る』瞬間さえ、神の計算の範囲内なのでしょうか?そんな事を考えるのは、神を測るのと同じ事です。不遜とは思いますが、ついつい考えずにはいられませんでした。
『確かに……聖野の云う通り。面白い因子だな。』
聖野とは何でしょう……などとは訊きません。私はただただ震えていました。その声が、甘く熔ける業火の如く、私の身の内を焼きました。魂と呼ばれるモノが、焼かれているのだと思いました。
聖野。本当のところ、聞いた事が有りました。この方は……そんなモノたちとも付き合いが有るのでしょうか?確かに人間よりは近いのやも知れませんが、それでも神の口調は余りにも気安い様子でした。
そんな風に気安い立場で語られる、その一族に……私の中で妬心が沸き上がりました。驚くべき事でした。
私は、どうやらこの紅き闇に気に入られたくて堪らないようでした。
それでも、関わりたくない。気付かれたくない。『知る』前の自分に戻りたいと、心の底から願う思いもまた、嘘偽りない本音なのです。
紅き闇は誘惑の神。すべてを惹き付け、魅了して、焼き尽くす。そう云えば灼熱を思い出すものですが、ドロリとした官能の甘い毒は、凍える程の冷たい氷のようでもありました。
それは、人界に在るべきでは無い。
あり得べからざる存在。
それは勿論。真実の姿のほんの一欠片であろうとも、人間が触れたなら、狂気に誘われるのが当然の存在なのでした。
それは揶揄でしょうか?それとも何かの比喩なのでしょうか?
『私の血筋。』
紅き闇が、霊たちの鈴の音色で呼んだのは。
紅き闇の、血に連なる相手………でした。
これが、紅き闇との出会い。この邂逅を………私は暫くの間、現実に起きた事とは思えませんでした。
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