第二十四話 誓いの儀式
「……思い出したのかい?」
ゆっくりと口を開くヴェール。
いや、この返答をしたということはヴェルナスで間違いないのだろう。
ヘクトルは首を横に振る。
「いや、その指輪とカイトから聞いた話のおかげで分かっただけだ。思い出してはいない」
「そうか」
視線を落とし、少し寂しそうな表情を浮かべるヴェルナス。
少し申し訳なく思うが、思い出せないものは仕方ない。
ただ、胸の奥で感じる安心感だけは、きっと体が彼を覚えているという証拠なのだろう。
「一つ……いや、複数聞きたいことがある」
差し出された左手で光る指輪に触れた。
「ヴェルナス、お前は俺の嫁……恋人なのか?」
緑色で揺れる瞳を見つめ、問う。
隣に座っているルシアンは驚いたように口を開け、まるで石になってしまったかのように固まり、動かない。
「あぁ、そうだよ。それも、カイト様に聞いたのかい? それとも、この指輪でそう思ったのか」
ヴェルナスはヘクトルの中指で光る同じ見た目の指輪を見つめ、眉をひそめた。
「やはりそうか」
元々薬指にはめていたのは、この男との結婚指輪だったということ。だが、何故エドワーズが魔力石から位置情報を取得していたのかが分からない。
ヴェルナスの記憶が世界から消えてしまったせいで、辻褄を合わせるためにエドワーズから送られたということになったのか?
とにかく、今は目の前の男に聞きたいことが山ほどある。考えるのは後だ。
「……俺は、人を愛したことがない。これまでの俺の人生は、全て愛する国の為に捧げてきた」
ヴェルナスの手を離す。
「俺はお前のことを愛することができない」
「……」
黙ってヘクトルを見つめているヴェルナス。
何を言うでもなく、ただ静かに。
「自分が他人に対して愛情を持って接するなんて考えられないんだよ。友情は分かる、ルシアンやアリステラに対してはそのような感情があるからな。だが、愛情だけは分からないんだ」
「そうか……」
ヴェルナスは一度目を閉じ、小さく息を吐いた。
「ならば、もう一度君に愛を教えて見せるよ」
「……それより、貴方は信用に値する人間なんですか? 嘘をついている可能性だってあるでしょう? ヘクトル様と恋仲であったなんて、信じられないですよ」
微笑み、ヴェルナスはヘクトルへと手を伸ばす。だが、その手を叩き、ルシアンが言葉を発した。
「カイトが言っていた情報と一致している。アイツが嘘をつく必要なんてないだろ」
「っ……」
やっと話し始めたかと思えば、ヴェルナスを疑うようなことを言い始めるルシアン。
確かに彼はカイトの話を聞いていなかったから、疑うのも無理はないだろう。
庇うような発言をしたヘクトルを、ヴェルナスは満面の笑みで見つめている。
「まだまだ聞きたいことは山ほどあるんだが、とりあえずあと一つだけ」
一呼吸おき、ヘクトルは口を開く。
「何故、六信徒達と同じ気配……オーラを纏っているんだ?」
「私が信徒かもしれないと、まだ疑っているかな」
「いや、信徒だとは思えないからこそ理解ができないんだ」
カイトから聞いた話では、騎士団で二番目の実力者のはず。そんな男が信徒のはずかない。
だが、どう見ても六信徒……加護の持ち主独特の気配を感じる。
そういえば、最近他の誰かも似たような気配を纏って居たような……
「そう、私は信徒ではない。だが、一つの加護を所有している」
加護というものは、神から与えられる魔法とはまた別の力。与えられる加護によって能力が異なり、与えられる人間は皆六信徒になるとされている。与えられたからなるのか、なってから与えられるかは不明。
信徒では無いニンゲンが加護を扱うなど、普通ならありえない話だ。
「お前も例外、ということか」
「あぁ。空席である第二信徒の座は、元々私が務めるはずだったものだ」
ならば、加護は与えられてからその座に着くということか。
だが、そうか。コイツが第二信徒……。
——それなら、この身に宿る加護は一体?
自分が空席である第二信徒の素質を持った人間だと思っていたが、目の前の男がそうだという。ならば、何故この身に加護が授かっているのか。
「私に宿っているのは、剣神の加護。だが、ヘクトルには剣技で勝てたことがないのだけどね」
右手を胸に当て、ヴェルナスは困ったように笑った。
剣神の加護ということは、その名の通り剣技に優れているということだろう。先程見た一太刀で、既にその技量に関しては充分理解できた。
彼が敵であったなら、苦戦を強いられたのだろうな。
「……ヘクトルが苦しんでいるのは、私のせいなんだよ。回復魔法が効かないのは、加護を君に授けてしまったからなんだ」
「回復魔法が効かないのは、お前のせい……?」
この呪いは、ヴェルナスに植え付けられた物?
腕が治らないのも、右目が見えないのも、魔力回路が崩れて魔法の制度と威力が下がったのも、コイツのせい?
何が嫁だよ。何が恋人だよ。何が結婚なんだよ。
こんな、自分が苦しんでいる理由の全てを兼ね備えた人間の、どこを愛していたと言うんだ?
「知らなかったんだ。私の身に授かった時は、何も代償はなく扱えていたんだ。だから、君に傷ついて欲しくなくて……」
何故か左手側濡れた。
雨でも降ったのだろうか?
いや、ここは室内だ。そんなことがあるはずが無い。
それならば、何故今手が……?
「ヘクトル様 」
暖かい手が左手を覆い、水分を拭き取られる。
ルシアンの柔らかく、心地よい声が耳を通り抜け、やっと雫の正体に気付いた。
泣いているんだ。
これまで苦しんで来た全ての元凶が、今目の前に存在している。それに対して怒りの感情よりも先に、何故か涙が溢れ出て来た。
勿論、怒りを全く感じていないわけではない。今すぐにでもぶん殴ってやりたいと思う。
だが、そんなことをしたって何も意味がない。
ヴェルナスに悪意があったわけでは無いことも、瞳を見ればすぐにわかった。
だからこそ、この気持ちをどうすれば良いか分からない。
込み上げてくる感情が全て、涙となって体から溢れ出ていく。
「大丈夫ですよ、ヘクトル様。僕が着いてますから」
ゆっくりと背中をさすり、ヴェルナスを睨みつけるルシアン。
「ありがとう、情けないところを見せてゴメンな」
「いいえ、僕はヘクトル様の全てが知りたいんです。弱さをもっと見せてください、どんな貴方でも愛していますから」
ドン、と大きい音が響いた。
食器が跳ね、水面が揺れる。
「……私が君を泣かせてしまった。心にも、体にも、一生消えない傷を残してしまった……。だからもう、君は何も背負わなくていい。これからは私が全ての敵を倒そう」
ヴェルナスはお冷の入ったコップを机に叩きつけ、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
だが、すぐに柔らかな笑みへと変わる。
「それは無理だな。これから戦う相手には第一信徒も含まれている。俺でも勝てなかった相手を、お前は倒せる自信があるのか?」
「君のためなら倒してみせるよ」
本気の目をしている。
ヴェルナスは本当に、一人で奴らを倒そうとしているのだろう。今の自分では勝てないと弱気になっているのに対して、コイツは本気で倒そうとしている。
俺なんかよりもよっぽど英雄に向いているんじゃないか?
「いや、ダメだ。俺が倒さないと意味が無い」
「……そうか。確かにそうだね。ならば、第一信徒と戦うまでは全て私が君の右腕となる、というのはどうだろうか」
無しだ。
英雄として返り咲くためには、実績が必要となる。第一信徒を倒せたとしても、それ以外を全てヴェルナスが倒したとなれば英雄の座を奪われる可能性が高い。
英雄に向いているとは思ったが、その座を譲る気は毛頭ないのだ。
「私は、万全の状態で戦えなかったことを後悔している。第三信徒と対峙をした際、私の体には疲労が溜まっていた。いつも通りの動きができず、私の存在を全て奪われてしまったんだ。だから、君にはそのような失敗をして欲しくない。常に万全の状態で、第一信徒が現れるのを待っていて欲しい。全て君が倒したことにしてくれれば、実績の心配もしなくていいだろう?」
「ならば、僕が代わりに戦います。貴方は必要ないので帰ってもいいですよ」
「君はカリスタの使用人だろう? 今は私とヘクトルが会話をしているんだ。割って入るべきではないと分からないのかい?」
「今、ヘクトル様を支えているのは僕ですよ? 貴方は僕達にとっては見ず知らずの人間だということをお忘れなく」
今にも殴り合いが始まりそうな雰囲気を他所に、先程の提案を振り返る。
確かに、常に万全の状態であることは大切だとは思うが、嘘の実績を積み重ねていくのはプライドが許さない。
「その提案には乗れないな。そんなことをして英雄になったとしても、そんなものはニセモノの英雄と同じだ」
カイトが現れてから、ずっと呼ばれ続けているニセモノの英雄という称号。
先程の提案に乗ってしまえば、本当にニセモノになってしまう。
「俺は、ホンモノの英雄になりたいんだよ。ヴェルナス、お前は分かってくれないのか?」
自らの手で全てを成し遂げ、また英雄と返り咲く。
今一番望んでいるのはものと言えば、ただそれだけだ。
「……そうだね、君はそういうことを言う人間だった。分かったよ。ただ、無理だけはしないと誓って欲しい」
握りこぶしに小指だけを立たせ、ヘクトルに差し出された。
「分かった。誓う」
小指を絡ませ、親指の腹を合わせる。
「無理をしない」
「無理をさせはしない」
お互いに誓い、手を離し、また掌を合わせた。
力強く握り、誓いの儀式を終える。
「懐かしいね。よくやっていた」
「そう……かもな」
こちらを見つめるエメラルドの瞳は、自分ではない何かを見つめているようだった。




