第二十三話 恋煩い
昼時を迎え、街全体に香ばしい匂いが漂っていた。
二人は店の扉を開き、案内されるまま席へと腰を下ろす。
「ルシアン、俺の隣に座らなくてもいい」
さも当然かのように右側に座るルシアンに対し、ヘクトルは言葉を発した。
一人で食事をすることができるようになったんだ、迷惑をかけるわけにはいかない。
「いえ、手伝いが必要なくとも、僕は貴方の隣に座りたいんです」
それとも、顔が見えるほうが嬉しいですか?とルシアンが続けると、ヘクトルは顔を反らしながら
「わかった。そのままでいい」
と伝える。
メニューを広げ、何を頼もうかと吟味していると、見覚えのあることに気付いた。
過去に、来たことがある。
騎士になる前、彼と共に訪れ、ここで食事をした。
彼は麻婆豆腐が酷く気に入った様子で、また二人で来ようと約束をしたんだ。
——こめかみに激痛が走る。
なんの記憶だ? 彼とは、一体誰のことを?
「ヘクトル様?」
頭を抑えるヘクトルを見、心配そうに声をかけてくる。
「……悪い、考え事をしてた。ルシアンは決まったか?」
何事も無かったかのようにメニュー表へと視線を戻した。
「えぇ、僕はこのユーリンチーってやつにします」
以前もここに来たような気がするが、その時の記憶は曖昧なもので、始めて来たに等しい。
改めて見ると、並んでいる単語には見覚えのあるものばかりだ。
麻婆豆腐、油淋鶏、餃子……。
店内の装飾を見渡すと、すぐに理解できた。
中華料理店か。
オルフェリア王国は様々な文化が集まっており、他国の料理店も多く並んでいる。
「そうか、俺は麻婆豆腐にする」
運ばれてきた料理の芳醇な香りに空腹を刺激され、すぐにでも食べ始めようと手を前に出した。
「いただきます」
そう声に出した時、目の前の席に一人の男が腰掛けた。
この世界の人間は、無断で席に座る奴が多すぎる。
「ここの麻婆豆腐、私もとても気に入っているんだよ。好みが合うようだね」
——心臓が痛い。
いつも感じるような腕の痛みとはまた違う、心臓が締め付けられるような痛み。
呼吸が荒くなり、汗が額から溢れ出る。
「ヘクトル様、大丈夫ですか!?」
震える左手を口元へ当て、はぁ、はぁ、と短い呼吸を繰り返す。
ルシアンはその様子を見るなり、ヘクトルの背中をさすりながら声をかけた。
赤い髪を1つに纏め、エメラルドグリーンの瞳を揺らしながら真っ直ぐとこちらを見つめてくる男。
「どうしたんだい? 体調が優れないようだね」
心配だと言うように言葉を紡ぐ男だが、その顔には笑みが浮かんでいる。
まるで、ヘクトルの症状を喜んでいるかのように。
「貴方、何者ですか?」
ルシアンは背中をさすりながら、赤髪の男を睨む。
「……私の名前はヴェール。聞いたことはあるかな?」
「名前が聞きたいんじゃないんですよ」
ヘクトルに向けられていた視線がルシアンへと移り、ヴェールの笑みは消え去っていた。
「私に肩書は無いんだ。ただの旅人だと思ってくれればいい」
それより、と言葉を続け、視線がまたヘクトルに戻る。
「今の君の感情……。私を見て、どんな気持ちなのか聞かせてほしい」
今の感情?
分からない。この気持ちが一体なんなのか……殺意や嫌悪感とはまた違う。だが、心臓が異様に痛く、苦しい。
顔が熱い。上手く呼吸が出来ない。
「貴方、今のヘクトル様の状況が分かっていないんですか? 体調が優れない様子なので、用があるならまた今度にしてください」
この男の気配、何かに似ている。
——知っている。
「……お前、信徒だろ」
ヘクトルの言葉に、男は目を見開いた。
何故このような症状が出たのか、それはきっとこの男が信徒だからだ。
六信徒達と同じ気配を感じる。
魔力量は多くないようだが、異様なオーラを纏っている。
「そうか、そう思ってしまったのか」
何かを考えるように目を細める男。
すると、外から騒がしい音が聞こえてきた。
近くの窓から覗いてみると、白いローブを纏った人間が五人ほどで街を襲っている。
「……お前の仕業か?」
男がニヤリと笑うのを確認したヘクトルは、ルシアンと共に外へと飛び出した。
「ルシアン、俺が四人仕留める。一人は頼んでいいか」
「何言ってるんですか? 貴方は今体調が優れないんでしょう? 僕が四人やります。ヘクトル様は一人倒してくれたらいいですから」
魔力を練りながら言い合っていると、一人の信徒がこちらに気付いた様子で近付いてきた。
ヘクトルはそれを確認すると、他の四人の元へと急ごうとする。
「私は、君達に危害を加えるつもりはないんだ。勿論、信徒でもない」
突如肩を掴まれ、ヘクトルは動きを静止された。
「二人はここで待っていてくれ。私が全て仕留めてこよう」
先程の赤髪の男が、前へ出る。
燃えるような赤が日光に照らされ、輝いているように見えた。
「そんなの、信用できるはずがないでしょう?」
ヘクトルは左手をルシアンの前に出し、言葉を制した。
とにかく、黙って見ていろと。口には出さなかったが、ルシアンにもそれは伝わったようだった。
信用ができない、それは勿論そう思っている。だが、何故か彼が戦う姿を見てみたいと思った。
「……ふ、ありがとう。ヘクトル」
名前を呼ばれ、胸の奥が締め付けられる。
やはり、信用しない方が良かっただろうか。
柔らかい笑みを浮かべ、信徒の方へと振り向く。
痺れを切らした信徒が地面を蹴り、煌めく赤髪へと迫った。
ヴェールは腰に備えた剣を手にし、光り輝く刀身が露わになる。
——たった一振りだった。
目にも止まらぬ速さで振られた剣は、気付いた時には鞘へと身を隠していた。
「……何が起こったんですか?」
ヴェールのすぐ目の前にまで迫っていた信徒は勿論、少し離れた場所にいたはずの信徒さえも体が二つに分かれ、その場に倒れていた。
こんな剣士、今までに見たことがない。
これほどの実力のある人間ならば、名を知らないはずがない。
だが二人取り逃したようで、一人はすぐさまヘクトルが氷魔法で仕留めたが、あと一人には逃げられてしまった。
「すまない、取り逃してしまった。ヘクトルが居なければ、四人も仕留められなかったよ」
いつの間にかヘクトルに近付いてきていたヴェールが、白い手袋を身につけた左手を差し出していた。
この一回の行動だけで人間を信用するなんて、流石に絆されやすいにも程がある。
それでも何故か、彼の手を取りたいと、心の底から思ってしまった。
差し出された手を握ろうと、左手を前に出す。
「ヘクトル様、まだ信用するには早いでしょう。落ち着いたのなら、食事の続きをしましょう?」
「……あぁ、そうだな。食べるか」
いつのまにか国の警備隊の者たちが到着しており、後処理は任せることになったとルシアンが説明してくれた。
先程の店に戻ろうと振り返るとき、視界の端でヴェールの薬指に青く光る物が見えた。
◇◇◇
「なんでまだ着いてくるんですか?」
当然のように目の前の席に座る男に対して、ルシアンは睨みつけていた。
「まだ私の話が終わっていないからね。先程は邪魔が入ってしまった。今から本題を話させてもらう」
ヘクトルは麻婆豆腐を頬張りながら、話を聞いている。
「君達の旅に、同行させては貰えないだろうか」
やはりそうか。
勝手に席に座ってくる奴らは、皆同じことを言ってくる。
「貴方が何者かもはっきりと分かっていない以上、僕達にとっては有害になり得る存在。簡単に同行させる訳にはいきません」
やっぱり、この麻婆豆腐は前にも食べたことがある。
とても好みの味だ。
「言ったはずだが? 私はただの旅人。それ以上でも以下でもない」
「そんなはずがないでしょう? 先程の太刀筋。ただものとは言わせませんよ」
この店、毎日でも来たいくらいだな。
「ヘクトルは、どう思う? 私が居たら不満かな」
唐突に話を振られ、もぐもぐと口に含んだ麻婆豆腐を咀嚼し、ごくんと飲み込んでから口を開く。
「あれだけの剣の腕を持っている人間を、俺が知らないはずがないんだよ」
持っていたスプーンを置き、ヴェールの左手に指を指した。
「左手、見せてくれないか」
その言葉を聞き、ヴェールは目をパチパチと何度も瞬きを繰り返している。
ルシアンは何のことか理解が追いつかない様子で、ただ黙って見ていた。
「そんなに察しの悪い人間だと思われてたなら心外だな。俺の事は、良く知ってるんだろ」
「……ヘクトル」
ゆっくりと差し出された手を取り、薬指に視線を落とす。
良かった。
ヘクトルは安心したように微笑む。
冷たい金属、光を反射し煌めく宝石。
胸の痛みが消えると同時に、込み上げてくる安心感。
——そこには、青く輝く指輪がはめられていた。
「お前の名前は」
視線を指輪からエメラルドグリーンの瞳に移す。
「……ヴェルナス、だろ」




