第二十二話 知らないはずの男
「よし、行こう!」
窓から差し込む日差しが眩しく、目を細めた。
カイトの煩く元気な声も聞こえ、ヘクトルは眉をもひそめる。
昨日出会った黒目黒髪の男に会いに行こうと、三人で無駄に長い廊下を歩いていた。
「昨日はオレンジピールしか買わなかったけど、ケーキも美味しそうだったの! ヘクトルは、何ケーキが好き?」
「俺は、いちごのショートケーキが好きだな」
「意外と可愛いの好きなんだ?」
ニヤニヤしながらヘクトルに顔を向けるカイト。
草魔法で木の繊維を生成し、水魔法で繊維を均一に結合させ、即席の紙を作り上げる。
「……ン゙ー!ン゙ン゙!」
カイトの口に生成した紙を貼り付け、ヘクトルは満足そうな表情を浮かべた。
「あら、カイト。似合ってるわよ」
満面の笑みでそう声をかけるアリステラ。
カイトは全身で謝罪をしていたが、その笑顔を見て合わせていた手を下ろした。
アリステラが笑顔ならこのままでもいいか、とカイトの声で脳内に響く。
「貴様ら」
背後から女性の声が聞こえ、ヘクトルは咄嗟に振り返った。
「妾に挨拶もせず、ここで世話になっているそうじゃな。そこの……エドワーズのお気に入りは礼儀がなっておったが」
扇を口元に当て、睨みつけるように二人を眺めている。
カイトは口が塞がれ何も言葉を発せず、アリステラは体を強張らせ、頬には汗が伝っていた。
「……まだ何も話そうとしないんじゃな。片目ロン毛。こ奴らを借りていくぞ」
「は?」
令嬢の足元から影が伸び、カイトの影と重なる。
ドボン、と音を立てながら、カイトの体は影へと飲み込まれた。
それに続くように、隣りに立っていたアリステラも影へと落ちていく。
「お前、何をする気だ?」
ヘクトルは氷で剣を生成し、左手で強く握る。
令嬢の首元へと刀身を伸ばし、殺意の籠もった瞳で睨みつけた。
「なんじゃ? 妾に歯向かうのか。……まあ良い。今回は不問にしてやろう」
「早く答えたほうがいいぞ? 俺の気は長くない」
フフッ、と笑い声が聞こえたと思えば、首元の剣を扇で払われる。
すぐさま草魔法で木玉を生成し、風魔法で勢いをつけて令嬢の腹部をめがけ投げ付けた。
「レノール様」
令嬢に当たる直前、木玉が灰に変わった。
「本気で妾のことを殺そうとはしなかったんじゃな、偉いぞ。こ奴らの安全は妾が保証する。なにか危害を加えようとはしとらんからな」
声の方へと視線を向けると、影からカイトが顔を覗かせていた。
カイトの声ではなかった。きっと、使用人も中に入っているのだろう。
影の中に入っても無事であることはよく分かった。
「礼儀がなっておらんからな。少し躾けてやるだけじゃ」
「……なるほどな。それならこちらとしてもありがたい限りだ」
カイトの態度に対しては、ヘクトルとしても思うところが無かったわけじゃない。ノックはしないし、初対面の時もタメ口だった。
これから色んな大国を旅をしていく上で、礼儀がなっていないのは論外。今ここでそれが直せるの出れば、願ったり叶ったりということだ。
「俺は一人で昨日の男に会いに行く。お前ら、頑張れよ」
顔を覗かせているカイトに手を振り、背を向けた。
何か声が聞こえるが、反応をするのも面倒だと、ヘクトルは気にも止めず王宮を後にした。
「紙、外してやるの忘れてたな」
◇◇◇
——何かが、迫ってきている。
街に出て少し歩いていると、背後から多大な魔力量の人間が近付いて来ているのがわかった。
一直線に、ただ真っ直ぐとこちらに向かってきている。
これほどの魔力量の人間であれば、魔力感知などせずとも魔力量多い人間の居場所は簡単に探すことができる。
強者を探している狂人か、信徒か。
闇魔法を使えば簡単に隠れることができるが、せっかく一人なんだ。少しくらい遊んだとしても、咎める人間はいない。
風魔法を体に纏い、靴底からは氷の刃が伸びる。
「やはり、便利だな」
少し地面を蹴るだけで、鳥よりも、馬よりも速度が出る。
自らが新幹線になったような気分だ。
これならすぐに追いつかれることはないだろう。
ヘクトルは地面を蹴り、人気の無い場所へと向かった。
記憶を頼りに向かった先には、ボロボロと壁が剥がれ落ち、なんとか形を保っている巨大な闘技場が聳え立っていた。
ここでなら戦闘になったとしても、周りに迷惑がかかることはない。
ヘクトルは足を踏み入れ、広い闘技場の真ん中へと立った。
「……来る」
引き剥がしたと思っていたが、これでも着いてこれるのか。
相当の実力者だろう。リハビリには丁度いい。
「見つけた」
息を切らし、壁に手をついている男。
「ルシアン……」
そのの顔を見た瞬間、胸を締め付けていた痛みが僅かに和らいだ。
すぐにルシアンへと駆け寄り、光魔法で疲労感を削ぎ落とす。
次第に呼吸が整っていき、ルシアンは真っ直ぐ背筋を伸ばしたあと、右手を心臓に当て、深々とお辞儀をした。
「お久しぶりです、ヘクトル様。僕は、貴方を支えるためにここまでやってきました」
柔らかい笑顔をヘクトルへ向けながら、ルシアンは顔を上げた。
「……へっ!?」
ヘクトルはルシアンの体に腕を回し、顔を埋めた。
不安だった。
自分の一部が無くなってしまったような、大事な物が消え去ったような喪失感が心を覆い、ここ数日間はまともに休めていなかった。
「ルシアンは、俺の嫁なのか?」
何を聞いているのか、自分でもよくわかっていない。
だが、カイトが言っていた嫁の存在。もしこれがルシアンであるならば、少しは納得がいく。
もしかしたら、ヴェルナスという男は存在しておらず、ルシアンとの思い出が消えてしまっただけなのでは……。
「残念ながら、僕はヘクトル様のお嫁さんではありません。何故そのようなことをお聞きになったのかは分かりませんが……ヘクトル様の旦那さんになりたいと、そう思っていますよ」
頭に温かい感触。
いつの間に、こんなに成長してたんだろうか。
久しぶりに見たときも思ったが、子どもは成長が速すぎる。
「ありがとう。でも、そうか。ルシアンじゃないのか」
頭を撫でていた手が止まり、ヘクトルの両肩を掴む。
ルシアンの体から引き剥がされ、真っ直ぐとヘクトルを見つめる瞳に目を合わせた。
「お嫁さんが、居るんですか?」
せっかく、行動に移そうと思ったのに。とぶつぶつ言っている声が聞こえるが、ヘクトルは首を左右に振る。
「居ないはず……なんだが、カイトが言ってたんだ。俺には嫁がいると」
「覚えていない、ということですか?」
ヘクトルはゆっくりと頷く。
「何かを忘れているような感覚はあるんだ。それで、もしかしたらルシアンが俺の嫁かもしれない……と思ったから」
淡々と説明していたが、よくよく考えると恥ずかしいことを口走っていることに気付き、ヘクトルの耳が赤く染まる。
「何故僕かもしれないと思ってくれたのか、聞いてもいいですか?」
目を逸らしながら、か細い声を出す。
「ルシアンなら、納得がいくと思ったんだよ。なんでかは分からないが……」
ルシアンの顔を横目で見ると、ニヤニヤと笑っているのがわかった。
こんな顔をしているところなんて、今まで見たことがない。
「今だけでも、その勘違いを続けてはいただけませんか?」
今度は真剣な顔で、真面目なトーンで言葉をかけてくる。
このままではダメだ。
ルシアンのペースに持っていかれると、どうなるか分からない。
「それよりも、俺は聞きたいことがあるんだよ」
話題を変えようと、ヘクトルは口を開く。
その行動に対し、ルシアンは少し不満げな表情を浮かべた。
「ルシアン、ヴェルナスって男を知ってるか?」
——空気が、変わった。
ルシアンの体内の魔力が溢れ出し、辺りの空気が淀み始めた。
人気の無い場所とはいえ、この魔力量が放出されているとなれば、街の人間でも気付いてしまう。
なにかあったと思われては面倒だ。
「落ち着け」
ルシアンの心臓に手を当て、魔力を吸い上げる。
「……ぁ、すみません、違うんです。わざとではなくて」
「分かったから。それより、聞き覚えがあるということか?」
慌てふためくルシアンを見て、悪気がないのはよく理解できた。
そんなことよりも、反応を示したことに対して興味がある。
「……いえ、知らない、知らないはずなんですが、何故かその名前を聞いた瞬間、殺意が湧いてきたんです」
自分でも理解ができていない、そう説明するルシアン。
ここまで殺意を持つことは中々めずらしい。
「そのヴェルナスという男は、騎士団に所属しているらしい。だが、カイトとアリステラ以外は覚えてないと言うんだ」
カイトとアリステラは騎士団の実力者と言い、ルシアンは知らないものの、殺意を抑えられなくなる。
知れば知るほど、ヴェルナスという男についてわからなくなってきた。
「……まあ、良い。一旦飯でも食いに行かないか?」
とにかく、今は眼の前にいるルシアンについて考えるべきだ。
一度話し合うため、二人で食事をすることにした。
◇◇◇
多量の魔力放出があった場所まで急ぐと、そこには見知った男が二人。
「……ヘクトル。もう、大丈夫だからね」




