第二十一話 善意
屋敷の中は静かだった。
カリスタは多量の書類を捌きつつ、ふと窓の外を見つめる。
カイト達が出ていってから、いつも通りの日常に戻っただけだ。それなのに、あの騒がしさが懐かしく、恋しくも感じる。
「カリスタ様!」
勢い良く扉が開き、金髪の青年が息を切らしながら現れた。
「どうしたのですか、ルシアン」
深呼吸を繰り返し、息を整えながらルシアンは口を開く。
「お願いが、あるのです。一生に一度のお願いです」
ルシアンを拾ってから早くも三年の月日が経っている。欲を出さず、三年間ただ黙々と業務をこなしていただけだった彼。
「……聞きましょう」
椅子へと座るよう促し、作業の手を止めた。
「このような状況でお願いするのは心苦しいのですが……ヘクトル様を、追いかけたいんです」
ルシアンは椅子に腰掛け、真剣な表情で言葉を発した。
彼が自我を出すときは、毎回ヘクトルに関するときだけ。
何故急に、と聞こうと思ったが、なとなく理由はわかっていた。
——数日前から感じている、喪失感。
「……良いでしょう。他にも使用人は居ますし、ワタクシの事は気にしないでいいですから。後悔のないようにしなさい」
「ありがとうございます!」
ルシアンは目を輝かせ、立ち上がった。
子どものような喜び方をする姿を見て、カリスタの頬が緩む。
それと同時に、こんなにも純粋に人を愛せるルシアンを羨ましいとも思った。
「一つ、聞きたいことがあります。ルシアンは、“何かを失った感覚”がありますか?」
やはり聞かないわけにもいかず、口が勝手に動いてしまった。
「失った感覚というよりも、蟠りが無くなったように心がスッキリとしています」
笑顔でそういうルシアンは、嘘をついている様子はなかった。
「……そう」
やはりこれは、ただの勘違いなのだろうか。
◇◇◇
荷物をまとめ、颯爽と屋敷を出ていくルシアンを見送り、カリスタは自室へと戻った。
「この喪失感は、何なんでしょうね」
数日前から脳の一部がモヤに覆われてしまったかのように、何かを忘れてしまったような気がする。
記憶を辿ると、所々に違和感が残っていた。
ヘクトルとバディを解消した後、誰と組んでいたのかを思い出すことができない。
あの事件の時側にいたのが誰だったのか、そんなことを簡単に忘れるはずがないのに。
そして、今の騎士団の現状。
数日前から少しずつ体制が崩れ始めているのを感じる。
ヘクトルが居なくなってからどう保っていたのか、それを誰も覚えていないのだ。
一体、この国に何が起きているのか。
——グレイシア家の長女として、騎士団を守らなくては。
「カリスタ様。お客様がお見えです」
ノック音と共に使用人の声が聞こえた。
来客の予定はないが、一体誰が来たのか。
「今行きます」
カリスタは応接間へと向かい、ドアノブに手をかけた。
「カリスタ!」
目に飛び込んできたのは、元気よく声をかけてくる黒髪黒目の男。
——ここに居るはずの無い人間。
「……カイト?」
◇◇◇
書庫で調べ始めて三日。
あれからこれといった情報は特に見つからなかった。
「一度、休憩しない?」
カイトはエドワーズに捕まり、アリステラとヘクトルは二人で書庫に籠もって作業している。
「そうだな。気分転換に街でも行くか」
王宮の出入りは自由にしていいと言われていた。
カイトだけ置いていくのは少し可哀想だが、「たまには秘密のお買い物も良いでしょ?」とアリステラに言われ、ヘクトルは二人だけで行くことにした。
「流石、オルフェリア王国だな」
街に出ると、色んな種族の生き物が歩いている。
人間、獣人、エルフ。きっと、見た目では分からないだけで、視界から得られる情報以上に人外が沢山存在しているのだろう。
「見て見てヘクトル! あの食べ物、すごく美味しそう!」
アリステラの指先を辿ると、洋菓子店があった。
ショーケースにはいちごのショートケーキ、チョコレートケーキ等がキレイに並んでいる。
ケーキはグランヴェル帝国にもあるはずだが、アリステラの反応を見るに初めて見るようだった。
「ケーキ、食べたことないのか?」
ヘクトルがそう聞くと、アリステラは笑いながら答える。
「ケーキは大好きよ。でも、私が言ってるのはそっちじゃないの」
改めて洋菓子店に視線を向けると、大きく看板に描かれているものがあった。
「オレンジピール……」
ヘクトルは眉をひそめ、その名を口にする。
チョコレートのかかったオレンジピールが人気らしく、食べ歩き用としてよく売れているのだろう。
「美味しそうじゃない? ヘクトル、一緒に食べましょ?」
上目遣いでそう言ってくるアリステラに対し、少し不快感を覚えながらも仕方なく頷いた。
「はいよ、二人分」
洋菓子店の店主から差し出されたのは二人分のオレンジピール。
「えっと、私たちは一つしか頼んでないです……」
アリステラが申し訳無さそうに言う。
「これはおじさんのおっせかいだよ。デート、楽しんでな」
笑顔で差し出され、二人はそれを受け取る他なかった。
人からの善意と言うのは、ときに迷惑でもある。改めて、ヘクトルそう実感した。
近くのベンチに腰掛け、二人はカップに入ったオレンジピールを眺めていた。
「ヘクトル、カップ持ちながらだと食べれないわよね?」
「え? いや、俺は……」
口を開いた瞬間、柑橘の匂いが口に広がる。
「どう? 美味しい?」
アリステラの手にはオレンジピールがつままれており、その先はヘクトルの口へと運ばれていた。
口に広がる柑橘の匂い。そして、溢れ出る苦み。
チョコレートの甘さで緩和されるかと思いきや、それ以上の苦みに全て意識が持っていかれる。
口に含んでいるものを噛み切り咀嚼し、飲み込んだ。
「……あぁ、美味いな。アリステラも食べてみろよ」
カップをベンチに置き、アリステラの手に残るオレンジピールを受け取ろうとした。
「無理しないで」
アリステラは手を離そうとせず、食べかけをそのまま口へと放り込んだ。
「なっ……!」
ゆっくりと咀嚼し、ごくんと音を鳴らしながら飲み込む。
「苦手ならそう言って? 人それぞれ好き嫌いはあるんだから、無理して食べる必要なんてないの」
頬を膨らませながら、アリステラは指を指してくる。
怒っているのだろうが、小動物が威嚇しているように可愛らしさしか感じない。
「残りは全部私が食べるわ。これ、すごく好きな味がするの」
今までヘクトルは、好き嫌いが許される立場では無かった。苦手な物が出ても、残すなんて許されない。
いつも無理をして全て完食していた。
“彼”がいるときは、バレないように代わりに食べてくれていたのだが……。
「誰だ?」
「え?」
こんな記憶、俺のものではない。“彼”なんて、そんなもの存在していないはずなのに。
——これは、一体誰の記憶なんだ。
◇◇◇
アリステラは二人分を完食し、満足気にヘクトルの隣を歩いていた。
「ヘクトルは、他にも苦手なものはあるの?」
「パスタとか、トマトが苦手だな」
ヘクトルは少し思考したあと、二つ答える。
実際、もっと苦手な物はあるのだが、子供っぽいと思われるのを防ぐためにこの二つだけを答えることにした。
「パスタ苦手なの、少し意外だわ」
「そうか? 味がしないから苦手なんだよ」
何故パスタが苦手か、詳しくアリステラに説明していると、子供の声が聞こえてきた。
「いたぁーーい!!!」
声の方へと視線を向けると、子供が膝を擦りむいて泣き喚いている。
「へぇー? 分かるような分からないような……」
アリステラはその声を気にしていない様子で、横を通り過ぎようとしていた。
「そのくらい我慢しなさい。家に帰ったら薬草を塗ってあげるから」
母親らしき人間が子供を宥めているが、一向に静かにならないどころか、喚き声はどんどん大きくなっていく。
「次は何処へ行く? ……ヘクトル?」
子供に近付き、ヘクトルは膝を付いた。
擦りむいた膝に手をかざすと、傷がみるみる塞がっていく。
「いたく、ない……」
傷が治り、子供の顔に笑顔が戻るのを確認すると、ヘクトルは静かに立ち上がり、アリステラの下へ戻ろうとした。
「まって! なおしてくれて、ありがと」
「お礼が言えるのは良いことだ」
笑顔を向けてくる子供に、ヘクトルは手を振った。
「何か、お礼をさせてください」
母親らしき人間がそう言うが、この国の王に何でも願いを叶えてもらえる立場だ。礼なんてしてもらう必要はない。
「俺に礼をするより、その子になんかしてやってくれ」
気付けば周りには人が集まり、視線を集めてしまっていた。
グランヴェル帝国の人間だとバレないよう急いでアリステラに近寄り、その場を離れる。
「ねぇ、ヘクトルはなんであんなことしたの?」
ある程度離れた場所まで歩くと、アリステラから質問が飛んできた。
なんでしたのか。ヘクトルは少し考えてから答えた。
「……うるさかったからな」
その返事を聞くと、アリステラは納得したように頷いた。
「確かに、私も耳障りな声だなと思ってたの。ありがとう、ヘクトル。黙らせてくれて」
てっきり、心優しいアリステラなら、“うるさかったから”という理由に対して起こると思っていたのに。
返ってきた返答に対し、ヘクトルは何も言えずに口を閉じた。
◇◇◇
「あ! 二人共どこ行ってたんだよ!」
王宮へと戻ると、エドワーズから解放されたカイトが走って近付いて来た。
「ヘクトルと街に出かけてたの。二人でオレンジピールっていう食べ物を食べたわ」
「クソーー!! デートかよ!」
カイトは唇を噛み締め、いかにも悔しいという顔をしている。
「洋菓子店の店主さんも、デート? って言ってたわ。その、デートってどういう意味なの?」
「……あ」
気付かなかった。
アリステラが特に反応を示さなかったから特に違和感を感じていなかったが、
——この世界にデートという言葉は存在しない。
「……そういえばあの店主、黒髪黒目だった」
ヘクトルのその言葉に、カイトは目を輝かせる。
「情報収集のついでに、次は三人で出かけようぜ!」
「賛成!」
アリステラは嬉しそうに笑う。
「……仕方ないな」
ヘクトルは肩を竦め、小さく頷いた。




