第十八話 偽りの騎士
馬の蹄が石畳を叩く音が夜道に響いていた。
ローデルの街まであと少し。本来ならば、日が落ちる前には到着している予定だったのだが——
「隊長、大丈夫ですか?」
後方から聞こえる声の方へと振り返れば、騎士団の制服に身を包んだ若い騎士が不安そうな顔でこちらを見つめていた。
「すまない。心配をかけてしまったね、問題ないよ」
そう答えながらも、ヴェルナスは小さくため息を吐く。
——問題だらけだ。
騎士団は慢性的な人手不足。
ヘクトルの介護のためと、今まではある程度の仕事量で済ませてもらっていた。だが、彼が旅に出てからは本来なら複数人で分担するような仕事もほとんど自分一人に回ってきている。
魔物討伐、新人兵の教育、書類仕事。
そして、今回のローデルへの派遣。
最後に休みを貰ったのはヘクトルが出ていった日の前日、一週間以上前だ。
家に帰っても癒しが無く、まともな食事をした記憶も無い。
「隊長、今度こそ道は合ってますよね……?」
「……そうだといいが」
確信の持てない返事を聞き、新人兵たちが騒ぎ始める。
ヴェルナスは額を抑え、頭に地図を思い浮かべた。
正直なところ、あまり自信はない。疲労のせいか一度道を間違えてしまい、そこから全て狂ってしまったのだ。
そのせいで到着予定時刻から大幅に遅れ、自分を慕ってくれている部下達に不安な思いをさせてしまっている。
「すまない。君達を不安にさせてしまった。隊長失格だな」
「いえいえ、隊長は謝らないでください!俺たちも地図を確認していれば、こんなことにはならなかったんです。頼ってばかりですみません」
こちらのミスだというのに気遣ってくれる彼らは、最近騎士団に入ってきた新人達。
今回の任務では第六信徒が現れたと聞いたが、連れていける騎士が新人の彼らしか居なかった。
まだまだ未熟な点が目立つが、今の騎士団を支えてくれているのはこういった若者達だ。
ふと、夜空を見上げる。
ヘクトルと共に暮らしていた日々では、満月の日は必ず二人で月を見ると約束をしていた。
夜空の高みには、まるでこの世界を見守るように満月が輝いている。
「……急ごう」
手綱を握り直したその時だった。
背筋を冷たいものが撫でる。騎士として培ってきた直感が、警鐘を鳴らした。
——いる。
月明かりの下、白いローブに包まれた女が静かに立っていた。
ヴェルナスは馬から飛び降り、剣を構える。新人騎士達もそれに続くように馬から降り、剣を抜いた。
「……随分遅かったわね。待ちくたびれたわ」
欠伸をしながらゆっくりとこちらに向かって歩いてくるその女は、とても歪なオーラを纏っていた。
第六信徒が現れたと聞いていたが、まさかこの女が……。
いや、違うな。
「少し道に迷ってしまってね。待たせてしまったのなら、申し訳ない」
警戒を怠らず、思ってもいない言葉を口に出す。
この女から放たれる異様なオーラは、第六信徒なんてレベルではない。きっと、第三信徒以上だろう。
「あら、良いのよ。少し休憩する時間が欲しかったから、むしろ丁度良かったわ」
視界が揺れ、足元がふらつく。
こんなことになるのなら、少しでも仮眠を取っておくんだったな。
第六信徒相手ならば少しの不調でも余裕で勝てただろう。だが、この女に対してはそうもいかない。
「アタシは第三信徒エレーナ。ヴェルナスくん、キミを始末しに来たの」
やはりそうか。それなら、今のローデルには第三信徒と第六信徒の二人が占拠している可能性が高い。
このまま到着していたとしても、全滅だったのだろう。
この女だけなら互角……いや、万全な状態ならまだしも、今の自分には倒すことはできない。
「……そうか。私の名前はヴェルナス・エルカディオン。今の騎士団を背負う者だ」
視線を後ろに向けると、新人騎士の剣を持つ手が震えているのがわかった。
勝ち目なんてない。一人で逃げるならいくらでも手段はある。
——それでも、私は最期まで彼らに尊敬される存在で居続けなければ。
「とても礼儀正しいのね。流石騎士様だわ」
エレーナは掌をゆっくりとこちらに向けてきた。
ヴェルナスは地面を蹴り砕く勢いで踏み込み、一息で間合いをつめる。
獲物を仕留める為だけに研ぎ澄まされた刃が、女の首元へと一直線に伸びた。
「ッ……」
肉体を切り裂くはずが、左手に感じた感触はとても軽い。
エレーナが居たはずの場所には何も無く、ただ風が流れていた。
「危なかったわね。死んでしまうかと思ったわ」
少し離れた場所から聞こえた声の方へと振り向くと、エレーナが首を抑えながら立っていた。
転移魔法で逃れたのだろう。なら、この女は闇魔法の使い手か。
普段のヴェルナスであれば、もっと素早く刃を振ることができていた。もし万全な状態なら、既に勝敗は決まっていただろう。
エレーナは人差し指を顎に当て、何かを考えるように首を傾げる。
少しの沈黙の後、何かを思いついたように手を叩き、気味の悪い笑みを浮かべた。
「そうね、キミを殺そうと思っていたのだけれど、もっと面白いことを思いついたわ」
魔力が目の前に集まってくるのが分かった。
——転移してくる。
迷うことなく剣を振り下ろし、突如現れた女の体を二手に別れさせた。
だが、右肩に何かが触れた感触と共に、大事な物を吸い取られてしまったかのような喪失感が襲ってくる。
「残念ね。アタシはその程度では死なない。万全の状態のキミなら勝ち目はなかったけれど、弱っていてくれて助かったわ」
キレイに切り離されたはずの身体が、肉を繋ぎ、骨を組み、元の形へと戻っていく。
——これは加護の力ではない。ただ純粋に、光魔法の制度が高いのか。
「……お、おまえは誰だ!?」
後ろで立っていた新人騎士の一人が声を荒らげる。それに続くように、他の騎士も次々と声を出していく。
先程エレーナは自己紹介をしていたはずだが、何故急にそんなことを
「こんなところで何をしているんだ! 我々騎士団の制服を、何処で手に入れた!」
……どういうことだ?
震えた手で剣を握りながらこちらに向けている、かつて部下だった者達。
何度も稽古をつけ、共に食事を取り、命を預けてくれた彼ら。
「お前みたいな人間など、見たことがない!」
だが、誰一人として私を覚えていない。
「アタシは、キミから仮を返してもらっただけよ」
背後から声が聞こえる。
仮なんて作った覚えはない。そもそも、この女と出会ったのは初めてのはずだ。
「名を名乗れ! 何者だと聞いているんだ!」
疲労のせいで鈍った頭を、無理やり回転させる。
突然私の存在を忘れた彼ら、仮を返してもらったという発言、全身で感じる喪失感。
「キミはもう、誰の記憶にも残っていない。勿論、大事で大事で仕方ない彼の記憶からも、消え去った」
「——そうか」
薬指で輝く青い宝石に視線を落とす。
ヘクトル、君の中にはもう私の存在が無くなってしまったのか。
私の唯一の生き甲斐であり、たった一人の大切な人。
この国の事なんて、本当のことを言えばどうでも良かった。ただ、彼と共に過ごすためには金が必要で、仕方なく努めていただけだ。
騎士団の隊長として働く姿を彼は喜んで見てくれていたから、誰からも尊敬される完璧な騎士を演じていただけに過ぎない。
だがそれも、ヘクトルが覚えていないのであれば演じる必要も無い。
胸が苦しい。
今までの思い出も全て、彼にとっては無かったことになってしまったなんて。
「あら、思っていたよりも平気そうね?つまらないわ」
「……平気なわけが無いだろう。彼の中に私の存在が無いことになってしまったなんて、それはとても耐え難いことだ。吐きそうなほど苦しく、今にも胸が引き裂かれてしまいそうだよ」
だが——
「感謝する、エレーナ。信徒に対して感謝を述べたのは初めてだ」
「……あら」
心底つまらない。とでも言いたげな声色だったが、エレーナは何をするでもなく、ただこちらを向いていた。
「今更殺す気もないわ。彼と再会して、せいぜい苦しみなさい」
そう吐き捨てると、エレーナの姿が消えていた。
魔力感知で周辺を探すが、強い魔力の反応はない。
ヴェルナスは騎士団の証である黒いマントを脱ぎ捨て、警戒を続けている新人騎士へと体を向ける。
右手を心臓へと当て、頭を下げながら口を開いた。
「私は騎士ではなく、ただのヴェルナス・エルカディオン。何者にも束縛されず、自分の意志で行動をする男だ」
ヘクトルが覚えていなくとも、私は全てを覚えている。
初めて出会った日、共に鍛錬をした日々。
——満月を見ていた彼の横顔。
全て、忘れることなくこの頭で覚えている。
これからもこの記憶が消えることは決してない。
ヘクトルと再会したとき、彼はどんな表情を浮かべるだろうか。見知らぬ人間だと警戒するか、それとも私が初めて出会った時のように、彼に抱いた感情と同じものを感じてくれるのか。
不安な気持ちは勿論ある。拒絶されてしまえば私の心は砕かれ、立ち直ることができないだろう。
だが、不安定なヘクトルを支えてやれるのは私しか居ないのだ。
彼は一人では何もできない。私が支えてやらなければ、食事をすることだって、着替えることだって難しい。
腕の痛みのせいでろくに睡眠も取れていないかもしれない。
カイト様は英雄だ。誰もが認める立派な方で、きっと毎日ヘクトルのことを支えてくれているだろう。
だが、彼の隣に立つ資格があるのは私だけ。
彼には私が必要であり、私にも彼が必要だ。
ヘクトルが腕の痛みを感じていた時、私が手を握ると痛みが和らぐと笑顔を向けてくれた。
——私が、私だけが彼の手を握ってあげないと。
「ヘクトル、待っていてくれ」
背後では新人騎士達が何かを叫んでいた。
だが、それももう聞く必要はない。
彼らはヘクトルでは無いのだから。
今のヴェルナスにとっては騎士団も、この国も、部下達も、ヘクトル以外の存在は全てどうでも良かった。




