第十七話 英雄の資格と宝の喪失
「ヘクトル、起きてるかー?」
朝日が窓から差し込み、その眩しさに目を細めながら上体を起こす。
聞き慣れた声に視線を向けると、ノックもせずにドアを開いている男がいた。
「ノックをしろと何度も言ってるだろ」
毎朝そう伝えているにも関わらず、この男は全く直そうとしていない。嫌がらせのつもりなのだろうか。
カイトは「ごめんごめん」と思ってもなさそうな声で返事をすると、近くにおいてあったイスをベッドに向けるように移動させ、腰を落とした。
「……あのさ」
少しの沈黙の後、カイトが口を開く。
どうせまたバカみたいなことでも言うのだろうと思っていたが、神妙な面持ちでこちらを見つめていることに気付き、黙って話を聞くことにした。
「昨日、俺が死んだって言った時何だけど……。なんであんな顔したんだよ」
小さな部屋に、重苦しい空気が溢れている。
カイトの質問を聞き、ヘクトルは口を開かずにただ目を見開いていた。
——そうか、あの時の俺はいつもと違う表情をしていたのか。
「あ、聞かないほうがいいならやっぱ無かったことに」
「……俺は、お前が嫌いだ」
ヘクトルは下を向き、小さな声で応えた。
少し、手が震えている。
本人に伝えるつもりなんて無かった言葉が、口から零れ落ちた。
これを伝えてしまったら、もう仲間として行動を共にすることは出来なくなるかもしれない。だが、この問いに対して答えるには、伝えて置かなければいけない事だった。
カイトは少し驚いた表情をしたが、何も言わず、ヘクトルの次の言葉を待っている。
「お前は突然現れた。俺は、この国で十年以上戦ってきた。騎士団に入る前からずっと、国のためだけに戦ってきたんだ。そのせいで、失う物も少なくなかった。家族、仲間、腕、目……」
左手で毛布を強く握り、声には憎しみが乗る。
薬指の宝石が、キラリと小さく輝いた。
「それなのに、今は皆お前を英雄と呼ぶ。街の連中は新たな英雄の話題で持ちきりだ。」
カイトはただ静かに、ヘクトルの言葉を聞いてた。
「俺は必死に、命をかけて戦った。この国にもたらした利益は壮大な物だ。それなのに、昨日今日現れたお前という存在が、この国の新しい希望なんだと」
自嘲するように笑い、言葉を紡ぐ。
「馬鹿らしいだろ?笑えよ」
ヘクトルにとって、一番大事な物はこの国グランヴェル帝国だけだった。転生し、新たに生を与えられたこの国。自分の才能を活かしてこの国のために働いてきた。
ヘクトルはただ、“英雄”と呼ばれるだけで良かった。その為になら、命だって捨てれた。
「お前を見ると、腹が立つ。今すぐにでも消えてしまえばいいのにと、考えてしまう」
だが——
「……今の俺には、カイトが英雄と呼ばれる理由がわかる。昨日、やっと理解したんだ」
「……へ?」
カイトは目を瞬きながら、情けない声を出した。
「俺がカイトの立場なら、逃げていた。圧倒的に格上の相手で、絶対に勝てないと分かっていたから」
毛布に向けていた顔を上げ、カイトの目を見る。いつも頼りない顔をしていると思っていたが、驚いた表情だと尚そう思わせてきた。
「それでも、カイトは逃げなかった。見ず知らずの誰かを傷つけない為に、何度も死ぬと分かっていても立ち向かった。
ただ、羨ましかったんだよ。自分にはできない行動を、誰にも見られていなくともやってのけたお前が。悔しくて仕方なかった」
左手を差し出し、言葉を続ける。
「……認める。お前が英雄だと」
だが、この手は仲直りの握手をするために差し出した訳ではない。
「だからこそ、カイトが帰りたがっているのなら手を貸してやりたいと思った。元々、邪魔だから帰そうと思ってたんだが、考えを改めることにした。今は本気で、お前の気持ちを尊重して言う」
静かにこちらを向いている目が、キラキラと光った。
「俺が必ず、カイトを故郷へと返してやる」
数秒の沈黙の後、力強く手を握り返された。
冷たいものが手に落ちる。
「何泣いてんだよ」
カイトの目からは大粒の涙がいくつも零れ落ちていた。
「ごめん、俺、英雄をちゃんと出来てるか不安だった。家に帰りたいってことも、ずっと言っちゃ駄目だと思って誰にも言えてなかった。でも、あの日ヘクトルが帰ってもいいって言ってくれたとき、救われた気持ちになったんだよ。俺も、何かを望んでもいいんだって安心したんだ」
握られる手の力が、どんどんと強くなっていく。
「俺、最後まで英雄を貫く。今できることを自分なりに頑張る」
「あぁ」
「……だから!!これからも、英雄カイトをよろしくな!」
涙でグズグズになった右目を閉じ、ウインクをしているカイト。
「認めたとは言ったが、俺はまた英雄になるつもりでいる。英雄と名乗れる今を謳歌しとけ」
「えぇ!!?」
「必ずお前を超えてやるからな」
固い握手を交わした。
今日から俺達は英雄とその仲間ではなく、英雄の座を奪い合うライバルになったんだ。
◇◇◇
ヘクトルの身支度をカイトが手伝い、出かける準備が整う。
服を着ているときにも思っていたが、左手に何か違和感があった。だが、その違和感の正体がわからずにいる。
「そういえば、お嫁さんの話聞かせてくれる気になった?」
「……お嫁さん?」
「そう、昨日言ってただろ! もう忘れたのかよ」
カイトはやれやれ、と首を左右に振っているが、そんな会話をした記憶なんてない。
それに——
「俺に嫁なんていない。家族は養子で引き取ってくれた義理の両親だけだ」
「は? いや、薬指の指輪! 結婚してるのかって聞いたら、そうとも言えるって——」
なんの話をしてるんだ?嫁どころか、恋人だってできたことがないのに。
薬指に目を向け、左手に感じていた違和感に気付いた。
「なんだ、この指輪」
見知らぬ指輪が薬指に収まっている。
昨日まで、こんなもの付けていただろうか?いや、記憶にない。
寝ている間に誰かに付けられたのか。だが、カイトは昨日から付けていたと言っている。
一体、どういうことだ。
「はあ? 俺が気付いたのは昨日だけど、多分結構前からつけてたぞソレ。しかも、気が向いたらお嫁さんについて話してくれるって言ってたくせに! 忘れたふりして話すの渋ってんのか!?」
カイトが嘘をついている様子は無い。なら、間違っているのは俺の方?
だが、いくら記憶の中を探しても、この指輪に関する物は一切見当たらない。
「……カイトと旅に出る前、俺は一人で暮らしてたよな?」
記憶を辿っていると、違和感のある部分を見つけた。
俺は一人暮らしをしていた。養子として引き取ってくれた両親と幸せに暮らしていたが、俺の英雄としての活躍が心配だと言われ、喧嘩をした。そのまま家を出て一人暮らしを始めた。
カイトと出会ったのは、久しぶりに外出をしたときに噂と同じ見た目の人間がいたから声を掛けたからだ。そして、故郷へと帰す提案をした。
——どうもおかしい。
今もこうして身支度の手伝いをしてもらっているのに、どうやって一人で暮らしていたんだ?
定期的にルシアンが家に来ていたのは覚えている。だが、毎日来ていたわけじゃない。
「は? お前、さっきからおかしいぞ。ヘクトルはヴェルナスと暮らしてただろ」
——ヴェルナス
「……誰だ、ソイツ」
記憶にない人間の名前。
俺がそいつと暮らしていた?そんな名前を聞いたこともないのに?
「おい、本当に覚えてないのか? 頭でも打ったんじゃね?」
昨日の戦闘で頭を打った記憶もない、が。
その記憶も抜け落ちてしまっただけかもしれない。
「とりあえず、他の奴らにもヴェルナスについて聞いてみようぜ。なにか思い出すかもだし」
カイトの提案に相槌をうち、他の仲間たちと合流をすることにした。
◇◇◇
「ヴェルナス?」
今行動を共にしている仲間の中で、ヴェルナスと実際にあったことがあるだろうとカイトが連れてきたのはエルミナだった。
部屋からエルミナの元へ向かう途中、カイトがヴェルナスについて知っている情報をぺらぺらと話していた。
その男は、騎士団に所属している実力者だと言う。俺が居ない今の騎士団の中では、剣技が最も優れている人間なのだと。
とある任務に出向いた際に命を救ってもらったのがきっかけで知り合ったらしい。
「そう、ヴェルナスについて知ってること全部教えてほしいんだよ。朝起きたらヘクトルの記憶からヴェルナスの情報だけ抜け落ちててさあ」
カイトからの情報を聞いても、やはり思い出せなかった。
俺の居ない今の騎士団で一番の実力者といえば、あのおっさんのはず。
「ごめんなさい。アタシの記憶にもそんな人存在しないわ。カイトくんの勘違いじゃない?」
「……なんだ、やっぱりカイトがふざけてただけか。そもそも、俺は恋愛感情で人を好きになったことがない」
よくよく考えれば、一人暮らしもなんとかやれていた気がする。今こうして生きているのだから、過去の自分は相当頑張ったんだろう。
「はあ……?」
カイトは理解が追いつかない、という表情をしているが、きっとこれも演技だ。
今はお遊びに付き合ってる暇なんかない。
「いや、スマン。もうその話は気にしないでいい。それより、街はどうなってる?」
口を開くことを辞めたカイトを無視し、エルミナに状況を確認する。
「——って感じね。後は国の支援を待つくらいしかやることが無いわ。もし次の目的地が決まってるんだったら、カイトくんとアリステラちゃんを連れて出発しても大丈夫よ」
エルミナが長い説明をしている間に、カイトはいつも通りの様子に戻っていた。
はい!と真っ直ぐに手を挙げ、エルミナに質問をする。
「セレナとエルミナの二人は一緒に行かねえの?」
「えぇ。アタシの探し人だったセレナは見つかったし、彼女もキミ達に着いていく気はないそうだから」
良い戦力が手に入ったと思っていたのだが、本人達の意思なら仕方ない。
「そうか。今回の件は本当に助かった。また機会があれば、よろしくな」
握手を交わそうと手を差し伸べたが、それよりも前にエルミナの姿が消えていた。
別れの挨拶もないのか。そういえば、出会いの時も突然だったような記憶がある。
空気を掴む左手を眺めていると、視界の端から手が現れ、自分の手と重なる。
「代わりに俺が握手してやるよ!」
「さっきもしただろうが」
カイトの手を振りほどき、アリステラと合流をするため踵を返す。
——ヴェルナス、か。
初めて聞いたはずのその名前が、何故か胸を締め付ける。
もし、カイトの言っていることが本当なら……
「何ボーッとしてんだよ、ヘクトル!」
振りほどいたはずの手を掴まれ、前へと引っ張られた。
「……スマン。アリステラの所に行くか」
今はそんなことを考えている場合じゃない。
先程までの思考に蓋をして、ヘクトルは進むために前へと歩き始めた。




