第十五話 誰かのために
「……誰だ」
剣に手をかけ、相手を睨みつけた。出来るだけ低い声を出し、威嚇するように問いかける。
先程の戦闘のせいで、未だに腕が痺れているのを感じた。今の力では眼の前の敵には全く歯が立たないだろう。
強い風が吹いた。白いローブが揺れ、その影を石畳の上に踊らせている。
女は何も答えない。ただ、そこに立っているだけだった。
喉が妙に渇く。
今まで、何度も死んできた。魔物や信徒、色んな奴らに殺される度に恐怖を感じていた。
——だが、これは違う。
目の前の存在に対して抱いている感情は恐怖ですらなく、もっと原始的なものだ。心臓が嫌な音を立てている。
本能が拒絶しているのを感じた。
奴には近づくな、と。
「逃げて」
「は?」
思わず声が出た。こんな状況で女の子を一人置いて逃げるなんて、できるわけが無い。
「アンタだけなら逃げれる。さっきエルミナがいたところに向かって」
セレナの視線は真っ直ぐに白いローブを見つめている。
「お前はどうするんだよ!」
彼女が強いことは先程充分に理解することができた。だが、それでも自分一人だけ逃げるだなんてできる訳がない。
「ワタシは、死なない」
ただの強がりなのか、それとも自分と同じような死んでも生き返る能力があるのか。いや、今までに同じような力を持つ人間とは出会ったことがない。異世界転移者だけに与えられし力のはずだ。それなら、やはり置いていくことなんて——
「あら」
白いローブの女が笑う。
「優しいのね」
視界が白で覆われた。
何が起きたのか、いつ動いたのか。
理解ができないまま、女の指先が胸に触れた感触がした。
服の埃を払うように、軽く。
「——え」
胸が熱い。
違和感を感じ、視線を落とす。
そこには、見覚えのない大きな穴。
内蔵が見える。
人間の体の中はこうなっていたのか。なんて、感心している暇なんて無い。
「ゴポッ……」
口から血塊がこぼれる。地面には全部自分の体内から出たものだとは信じられないほどの大量の血が溢れている。
いや、信じたくないというほうが正しいか。
理解しようにも、思考が追いつかない。痛みすら遅れてやってくる。
膝が崩れ、石畳へと体が崩れ落ちた。
耳鳴りがする。
視界が暗い。
寒い。
苦しい。
あぁ……
——死ぬ。
「キミ、死んでも生き返るのよね?」
意識が遠のく。セレナは今どうなってる。生き返ったらすぐ、加勢しなくては。
「何故コイツを狙う?」
意識が途切れ、世界が暗闇に覆われた。
「——神子様に命令されたからよ」
「ウソをつかないで」
胸に大きく空いた穴を肉が、骨が覆い隠していく。
ドクン、と心音が頭に響き、勢い良く肺に空気が流れ込む。
「はっ!?」
息を吹き返し、慌てて起き上がる。両手を胸に押し当て、傷が治っていることに安堵する。
「あら、意外と復帰が早いのね」
もう一度、こちらに触れようとローブから手が伸びる。
その掌を見た瞬間、胸を貫かれた感覚が蘇ってきた。痛み、苦しみ、恐怖。
——だが、伸びてきたはずの腕が地面に転がっていた。
セレナの方に視線を移すと、右腕に握る氷の剣が赤く染まっている。
「何がしたいのか、教えて」
「何がしたいと思う?」
深く被ったフードの隙間から、気味悪く口角が上がるのが分かった。
信徒は切り落とされた左腕を拾い、傷口へと押し当てる。少しの光を放ったと思えば、肉や骨、血管がみるみる繋がっていく。
瞬きをした。少し、ほんの一瞬目を離しただけ。
目を開くと、そこには無傷の人間が立っていた。
「なんだよ、それ」
気味が悪い、なんて言葉では言い表せないほどの不気味な光景に、吐き気がする。
ヘクトルでさえ、切り落とされた自分の右腕を治すことができていないのに。
何故この女は腕を治せる?そこまでの回復魔法の使い手が、こんなところで何をしている。
「お前は、一体何者だ?」
ゆっくりとこちらに体を向けてくるその女。少しの沈黙の後、口を開く。
「そうね。アタシの名前はエレーナ。第三信徒と呼ばれているわ。加護は……ヒミツよ」
エレーナは人差し指を立て、右手を口元に当てた。口角がニヤリと上がっており、身体からは歪なオーラが溢れている。
流石第三信徒様とでも言うべきだろうか。他の信徒達とは比べ物にならないレベルの気持ち悪さだ。思わず顔が引きつり、今すぐにここから逃げ出してしまいたいという思いで脳が支配されてしまう。
「……エレーナ。何故ワタシ達に危害を加えるの」
セレナの掌がエレーナに向けられ、氷の粒達が次々と集まってくる。下手なことを言えば、今すぐにでもこの塊が顔をめがけて飛んでいくのだろう。
なんとなく、セレナの顔に視線を向けてみた。眉をひそめ、怒りのような、哀しみのような。言い表せるには自分の語彙力はあまりに足りなさすぎることに気付き、無駄な考えを辞めることにした。
「“時間までの暇つぶし”ってとこね」
暇つぶしだと?そんなことの為に、殺されたのか。あんなに苦しくて、あんなに痛くて、あんなに熱くて。コイツは一度だって死んだこともないくせに、人の命で遊んでいる。
そんなこと、許されるはずがない。
「時間つぶしに人を殺すなんて、趣味が悪い。嫌われるよ」
巨大な氷塊がエレーナの顔面を目掛けて放たれる。ふと、故郷でやっていたスポーツ中継を思い出す。あまり興味はなかったが、見るものもないので仕方なく眺めていた。一人の男に振り抜かれた右腕の先から、稲妻のような白球が解き放たれる。あんなものに当たってしまえば、人間なんて余裕で逝ってしまうだろう。そんなことを考えながら、ダラダラと画面を眺めていた。
今まさに、あの時の白球。いや、それ以上の速度の氷塊を見て背筋が凍る。
「そうねぇ、でもいいのよ。一番大事な人には好かれているから」
声が聞こえてきたのは、エレーナが立っていた場所ではなく、セレナの方向から。正確には、セレナの少し後ろからだ。
「それは、酷い勘違いをしてる」
彼女達の方に視線を向きかえたが、既に遅かった。視線の先に見えたのは白いローブだけ。セレナの姿は、既にそこには無かった。
「転移魔法……?」
この世界の魔法使いは、基本的には一つの種類しか扱えないはず。複数の魔法を扱えるのはヘクトルだけだと聞いたのだ、間違いない。
なら何故、この女は光の回復魔法と闇の転移魔法が使える?眼の前の女には、何が起きているんだ。
「わからないって顔ね。一生分からなくていいわよ? どうせ、キミに対処なんて出来ないんだから」
首に誰かの手が触れた。誰か、と言っても、今この場に居るのは自分と彼女のみ。自分の両腕は剣を握るのに使っているし、首にまで触れるには腕が足りていない。ならば、この手の持ち主は一人しかいない。
「頭使うのは好きなんだよ。少しくらいヒント教えてくれても良いんじゃねえか?」
腕を切り落としてやるつもりで剣を振る。
勢いをつけすぎたせいで、転けてしまった。視界が傾き、受け身を取るために体を動かす。
だが、一向に地面が近づいてこない。視界は傾いているのに、体は地面にしっかりと足をつけている。
何が起きたのか、それを理解するよりも先に意識が落ちた。
「クソ……っ!」
今、死んだ。
心臓がどくどくと激しく鼓動している。
両手で首の形を確認し、真っ直ぐ頭を支えていることに胸をなでおろす。
「本当におもしろいわね。良い暇つぶしだわ」
「人の死で遊ぶんじゃねえよ」
地面に落ちてしまった剣を拾おうと、手を伸ばした。
「顔色が悪いわ。もう一回死んだら治るんじゃない?」
何かが裂けるような音が体に響く。
世界が、割れた。いや、割れたのは世界の方ではなく、自分の方だ。
体が縦に裂け、右側がゆっくりとズレ落ちてくる。芸術家に見せれば、アシンメトリーで素晴らしいとでも言われていたかもしれない。
痛みで叫び声が溢れそうになったが、喉もキレイに真っ二つなせいでごぽごぽと血液が流れ出るだけ。か細い声すらも出すことができなかった。
体が熱くて仕方ない。体が二つに分かれてもなお、ここまで思考する余裕があるのか。人間の生命力というものに関心していると、やっと意識が途絶えてくれた。
「……ゴホッ、ガハッ」
内臓が仕事を再開したのを感じ、両手を見つめる。大丈夫だ、左右対称的な腕の位置に戻っている。
「今のは凄かったわ。死ぬまでが意外と長いのね」
女の手には、地面に落ちていたはずの剣が握られていた。なるほど、それで真っ二つにしてくれたって訳か。
剣先はこちらに向けられている。まさか、また斬り殺すつもりなのか?
怖い、痛い、苦しい、嫌だ。
また同じ痛みを味わうのか?死ぬまでが長く、苦しみが永遠とも感じれる程続く感覚。
体の震えが止まらない。抵抗の手段がなく、ただ一方的に殺され続けるだけ。
剣を奪い返そうとしても殺され、逃げようとしても殺されるだろう。今の自分にできることは、何もない。
セレナが戻ってくるまで死に続けるか?いや、彼女をまたどこかへ飛ばされれば繰り返すだけだ。
「——時間つぶしって言ってたか?」
「えぇ、次の予定まで暇だったのよ」
終わりはある。
次の予定まで死の苦しみを耐え続ければ、解放される?
「次の予定って、なんだ?」
「一人、厄介な相手を始末しに行くの」
すんなりと答えてくれたことに驚きつつ、返ってきた言葉を反芻した。
厄介な相手を始末する。今ここでコイツを仕留めなければ、誰かが被害を受けてしまうということか。
「教えてくれてありがとう。これで、お前を倒さなきゃいけない理由ができた」
今の自分にできることは何もない。でも、目の前の女を絶対に仕留めなければいけない。
拳を握り、力を込める。格闘技なんて習ったことはないが、見様見真似で構えを真似てみる。
出来る出来ないではない、やらなくちゃいけないことなんだ。
「へぇ?キミはアタシを楽しませる天才なのかもしれないわ」
怖くて足が震えてしまいそうになるのを、必死に抑える。
「俺の名前はキリュウ・カイト。この国、グランヴェル帝国の“英雄”だ」
地面を蹴る。死んでも構わない。ただ、奴を仕留めることだけを考えろ。とにかく、やるんだ。
——誰かが傷付いてしまわぬように。




