第七章 地獄の門と真紅の機神
金のブラシとポンコツ女神
「……ここは何処だ? 道に迷ったか」
ポポロ村の郊外、鬱蒼と生い茂る深い森の中。
力武義正は、ため息をつきながらセブンスターに火をつけた。
今日はキャルルに頼まれて、村の温泉の源泉地帯を掃除するために『デッキブラシ』を担いで森に入ったのだが、どうやら完全に方角を見失ってしまったらしい。
「まさか、二回目の異世界転生じゃねぇだろうな……ん?」
義正が眉をひそめた時、森の奥から水音が聞こえてきた。
音のする方へ草をかき分けて進むと、そこには透き通った美しい池があった。
そして、その池の中心で。
「アバババッ! アババババッ! 助けてぇぇぇッ!!」
桃色の芋ジャージを着て、胸に『若葉マーク』をつけた謎の少女が、派手な水しぶきを上げながら溺れていた。
「……何やってんだ、あいつ」
義正は呆れながらも、手鼻を鳴らして池の淵に近づいた。
「まずは水の確保が先だが……おい、これに捕まれ!」
義正は担いでいた木製のデッキブラシを池に突き出し、少女に向かって伸ばした。
少女は「あうっ!」とそれにしがみついたが、あまりの勢いに義正の手からブラシが滑り抜け——デッキブラシは、少女もろとも池の底へとブクブクと沈んでしまった。
「あーあ。やっちまった」
義正が頭を掻いていると、数秒後。
『ザバーーーンッ!』
神々しい光と共に、水しぶきを上げて少女が池から飛び出してきた。
「えへへ……ぶぅえっくしょん!」
盛大にくしゃみをした少女——天界の新人(見習い)女神・リリスは、ずぶ濡れのジャージのポケットから、分厚いバインダー型の『女神のお仕事マニュアル(カンペ)』を取り出した。
「えっと、えっと……ゴホン!」
リリスは咳払いをして、神々しい(つもりの)威厳ある声を作った。
「そこの人間よ! 貴方の落としたブラシは、金のブラシですか? それとも、銀のブラシですか?」
「いや、お前のせいで落としたんだ……いや、池の中に入ったんだが」
義正が冷静にツッコミを入れる。
「ふぇっ!? えっと、えっと……」
イレギュラーな回答にパニックになったリリスは、慌ててカンペをペラペラと捲り始めた。
「あわわ……マニュアルに載ってないですぅ……。と、とにかく~! 選んで下さい!」
義正は、そのポンコツすぎる対応を見て、口角をニヤリと吊り上げた。
老舗5大商社でトップ営業マンだった彼の『悪魔の算盤』が、この瞬間、カチャリと弾かれた。
「じゃあ、金で。……俺のブラシを沈めた『賠償金』だ」
「ふぇ!? ばいしょうきん……? えっと、えっと」
再びカンペを見るリリス。「ええい、これで良いのよね! はい、金のブラシをあげる!」
リリスは『エンジェルすまーとふぉん』を取り出し、ポチポチと適当に画面をタップした。
直後、まばゆい光と共に、義正の足元に『純度100%の純金でできたデッキブラシ』がドサリと現れた。
「……おう」
義正は、ずっしりと重い黄金のブラシを拾い上げ、満足げに笑った。
***
数時間後。天界。
「あんだとォォォォッ!?」
コタツの中で芋ジャージ姿でビールを飲んでいた創造神ルチアナが、スマホの画面を見て絶叫した。
「純金のブラシを渡した!? あんたバッッッッカじゃないの!? 決済用の私のクレジットカード、限度額ブチ抜いて止まったんだけど!!」
「ひぃぃぃっ! ご、ごめんなさいルチアナ様ぁぁっ!」
正座させられたリリスが、ポロポロと大粒の涙を流す。
「今月の月人君のライブグッズ代とガチャ代がぁぁぁっ! 私、破産しちゃうわ!! いいから今すぐ下界に行って、あの純金ブラシを返してもらいなさい!! それまで天界は出禁よ!!」
「うわあああああんっ!!」
***
そして、現在。
ポポロ村の広場のベンチで、義正は悠々とセブンスターを吹かしていた。
彼の横には、眩い光を放つ純金のデッキブラシが立てかけられている。
「あのう……あのう……」
義正の足元で、リリスが土下座スレスレの姿勢で泣きついていた。
「お願いですぅ……そのブラシ、返して貰えないでしょうかぁ……?」
「やだね」
義正は、タバコの煙をふぅと吐き出し、冷酷な商社マンの顔でリリスを見下ろした。
「これは既に『賠償』として正当な取引で俺の財産になっている。……お前、純金のデッキブラシが日本円換算で幾らになるか分かるか? ザッと見積もって、約10億円だ」
「じゅ、じゅうおくえん……!?」
リリスが白目を剥きそうになる。
「うわあああん! ルチアナ様に殺されますぅぅ……どうしよう、どうしよう……ッ!」
泣き喚くポンコツ女神を見て、義正は懐からコーヒーキャンディを取り出し、奥歯でガリッと噛み砕いた。
「……そうだな。この純金ブラシの値段分を、お前の『労力』で払って貰おうか」
「ふぇ?」
リリスが、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げる。
「つまり、35年ローンだ。俺の下で35年働くなら、このブラシは返してやる。神様の寿命から考えれば、タダ働きみたいなもんだろ? 言っとくが破格だぞ」
義正は、いつの間にか作成していた『労働契約書(奴隷契約)』をリリスの目の前にスッと差し出した。
「そ、そんなぁ……。うう、分かりました! 雇用契約を結びますぅ……!」
「よろしい。商談成立だ」
何も分かっていない見習い女神が、涙声で契約書にサインをする。
ルチアナにクレジットカードを使われただけでなく、大切な部下まで合法的に「借金のカタ」としてルナミス帝国の元商社マンに買収された瞬間であった。
泣きながら金のブラシを抱えて天界へと走っていくリリスの背中を見送りながら。
義正は、最高に悪い顔でニヤリと笑った。
「さぁて。地獄の扉を開ける便利な鍵が手に入ったぜ、大将」
背後の建物の影で、腕を組んで黙って成り行きを見ていた龍魔呂が、真鍮のオイルライターの蓋を『カチッ』と開けた。
因果を書き換えるための、前代未聞の「地獄へのカチコミ」の準備が、ついに整った。




