EP 2
青龍、降臨(パノプティコンの監視)
キャルルによる「地獄と天国のヒール」という名の嵐が過ぎ去った翌朝。
ポポロ村の広場には、帝国兵たちが献上した大量の物資が積み上げられていた。村人たちは万歳三唱し、キャルルを「真の聖女様」と崇めている。
だが、広場の隅に立つ二人の男には、その光景が薄ら寒いものにしか見えなかった。
「……ケッ。あのウサギ、とんでもねぇ毒を撒き散らしやがったな」
義正が苛立ったように、セブンスターを口に咥えた。
懐から取り出したのは、銀座のクラブのロゴが入った使い古しのブックマッチだ。一本引き抜き、シュッと擦る。だが、昨晩の湿気を含んでいるのか、先端がボロボロと崩れるだけで火は灯らない。
「チッ……シケてやがる」
その時。
『カチッ』
重厚で、冷ややかな金属音が響いた。
横に立つ龍魔呂が、真鍮製のオイルライターの蓋を開けたのだ。
使い込まれた表面が鈍く光り、指の動き一つで揺るぎないオレンジ色の炎が立ち上がる。
「……おい。寄れ」
龍魔呂が、自分のライターを義正の顔の前に差し出した。
義正は一瞬だけ驚いたように眉を上げたが、すぐにニヤリと笑い、龍魔呂の手元に顔を寄せてセブンスターに火を移した。
「……悪ぃな、処刑人。お前の『処刑の合図』を、タバコの火種にしちまって」
「気にすんな。……どうせすぐに、本物の合図を鳴らすことになる」
龍魔呂がマルボロの赤を深く吸い込み、紫煙を吐き出す。
二人が見上げた空には、白虎の時とは違う、幾何学的で規則正しい『青い亀裂』が走り始めていた。
『――汝ら、恩寵という名の汚濁に溺れる者たちよ』
空間が割れ、そこから現れたのは、磨き上げられたサファイアのような装甲を持つ巨大な龍体――聖獣『青龍』だった。
白虎が武力による断罪者であったなら、この青龍は冷徹な「管理者」の気配を纏っている。
『白虎が断じたのは、汝らの怠惰。我が断ずるのは、汝らの「規律なき自由」なり』
青龍の瞳から、無数のレーザーが放たれた。だが、それは村を焼くためのものではなかった。
レーザーは空中で屈折し、村の至る所に浮遊する「目」――不可視の監視端末となって定着していく。
『マックス・ウェーバーは記した。合理的な規律こそが、禁欲的な職業倫理こそが、繁栄を維持する唯一の正解であると。……然るに、今のポポロ村はどうか』
青龍の冷たい声が、駐屯地で平伏する帝国兵たちを指し示す。
『昨晩、特異点・キャルルが示したのは、ただの「非合理的な暴力」と「気まぐれな施し」だ。法も理屈も介さぬ恩寵は、民を腐敗させ、規律を破壊し、ただの隷従を招く。……汝らの自由は、もはや管理されるべき害悪である』
「……管理だと? 抜かしやがる」
義正が飴玉(コーヒー味)を奥歯でガリッと噛み砕いた。
「自由市場を否定するお役所仕事の神様が、どの面下げて規律を語ってやがる。……おい蘭! あの空に浮いてる『目玉』、叩き落とせるか!」
『無理ッス、義正さん! あの監視網、村全体の空間座標と同期してる……! 壊した瞬間に、そのエリアの「事象」が神のシステムから削除される仕掛けになってるよ!』
蘭の絶叫が通信から響く。
青龍が展開したのは、ただの監視カメラではない。
「見られている」という意識を植え付け、少しでも規律(神の法)から外れた行動を取った者を、その瞬間にシステム的に消去する、完璧な精神的牢獄。
『汝らに、真の規律を授けよう。一挙手一投足、一語一句、すべては我の監視下に置かれる。……逃げ場はない。死すらも、許可なくしては許されぬ』
青龍の黄金の瞳が、龍魔呂を、そして震えるキャルルを捉える。
村人たちの歓喜の声が、一瞬にして凍りついた。
見上げれば、青い空の至る所に、自分たちを見つめる無数の『神の目』が瞬いている。
「……地獄だな」
龍魔呂が、オイルライターの蓋を『カチッ』と閉じ、Korthのグリップを握りしめた。
自由を謳歌していたポポロ村が、神の目による巨大な檻へと変貌した瞬間だった。




