第六章 青き雷鳴と因果の弾丸
満月の狂騒曲(恐怖の聖女)
白虎撃退から数日。
ポポロ村の空を覆っていた不穏な空気は一旦鳴りを潜め、見上げる夜空には、煌々と輝く巨大な『満月』が浮かんでいた。
月兎族にとって、満月とは魔力と体力が限界突破する絶対的なフィーバータイムである。
普段は優しく穏やかなキャルルだが、この夜ばかりは彼女のDNAに刻まれた野生の血が、制御不能のハイテンションを引き起こすのだ。
「うおおおおッ! 血が、血が騒ぐよぉぉぉッ!! みんな、お見舞いの時間だぁぁぁッ!!」
深夜。
純白の兎耳をピンと立て、両手にダブルトンファーを構えたキャルルが、マッハの速度でポポロ村を飛び出していった。
目指すは、村から数キロ離れたルナミス帝国の国境駐屯地である。
「……あーあ。行っちまったよ、馬鹿ウサギ」
義正が、官舎のベランダから赤いマルボロの煙を吐き出しながら、夜闇に消える土煙を見送った。
「止めなくてよかったの、義正君?」
隣で備前焼のぐい呑みを傾けていた輝夜が、苦笑しながら月を見上げる。
「止められるかよ、満月のウサギなんて。まぁ、あの駐屯地の連中も最近ポポロ村の周りを嗅ぎ回ってて鬱陶しかったからな。丁度いい『お灸』だろ」
義正の言う通り、駐屯地の帝国兵たちは、謎の光(白虎の炎)に包まれて生き延びたポポロ村を不気味に思い、過剰な警戒態勢を敷いていた。
「止まれ! 何者だッ!?」
駐屯地のゲートで見張りをしていた歩哨が、月明かりの下、猛スピードで突っ込んでくる小さな影に銃口を向ける。
だが、遅い。
「こんばんはーっ!! お注射(物理)の時間でーすッ!!」
『ドッゴォォォォォォンッ!!!』
キャルルの特注靴が唸りを上げ、分厚い鉄のゲートを紙屑のように蹴り破った。
「な、なんだ貴様ぁぁッ!?」
「敵襲! 敵襲ゥゥッ!!」
サイレンが鳴り響き、武装した帝国兵たちがわらわらと広場に飛び出してくる。
だが、月光を背に浴びたキャルルの瞳は、危険なほどギラギラと輝いていた。
「みんな、最近疲れてるでしょ!? 肩こり? 腰痛!? 私がぜーんぶ、ほぐしてあげる!! 月影流・乱れ鐘打ちィィィッ!!」
『ダダダダダダダダッ!!!』
凄まじい連撃。
闘気を纏ったトンファーが兵士たちの装甲を叩き割り、特注靴による回し蹴りが次々と屈強な男たちの顎を砕いて宙に舞い上げる。
「ぐべぇッ!?」
「あばばばばッ!!」
「腕が! 俺の腕がァァァッ!!」
阿鼻叫喚の地獄絵図。
わずか三分。百人近くいた駐屯部隊は、満月のウサギによる理不尽極まりない暴力の嵐によって、文字通り「全滅」した。
全員が骨を折られ、内臓を打撲し、血の海の中でピクピクと痙攣している。
「ふぅ……! いい汗かいたっ!」
キャルルが満足げにトンファーを収める。
だが、地獄はここからだった。
「はい! それじゃあ、治療するね! 痛いの痛いの、飛んでけーっ!!」
キャルルが両手をかざすと、彼女の体から無尽蔵の月の魔力が放たれた。
温かな光が、広場に倒れ伏す兵士たちを包み込む。
「……え?」
気を失いかけていた部隊長が、信じられないものを見たという顔で目を見開いた。
バキバキに砕かれていた足の骨が、一瞬で元通りに繋がった。
破裂しかけていた内臓が癒え、全身の痛みが嘘のように消え去っていく。いや、それどころか、昨日まで悩まされていた持病の腰痛や、かすみ目まで完全に治癒しているではないか。
「な、なんだこれは……」
「痛くない……俺、治ってる……?」
兵士たちが、次々と起き上がる。
そこに、キャルルが満面の笑みで歩み寄り、部隊長の肩をポンッと叩いた。
「どう? スッキリした? みんな、これからもお仕事頑張ってね!」
えへへ、と無邪気に笑い、キャルルは再びマッハの速度でポポロ村へと帰っていった。
残されたのは、五体満足で立ち尽くす帝国兵たち。
一見すれば、ただの理不尽なギャグのような嵐。
しかし、兵士たちの心に刻み込まれた感情は「助かった」という安堵などでは決してなかった。
(……逆らえば、殺される)
部隊長の顔が、恐怖で土気色に染まっていた。
圧倒的、かつ抗いようのない暴力。
そして、死の淵まで追いやった直後に、神のような力で一瞬にして生へと引き戻す『生殺与奪の完全な掌握』。
死ぬことすら許されない。逆らえば、永遠にあの「地獄の苦痛と天国の治癒」をループさせられるのだ。
「……あ、姉御……」
部隊長が、ガチガチと歯を鳴らしながら、キャルルが消えた方向へ向かって震える声で呟いた。
「俺たちは……逆らっちゃいけねぇんだ……絶対にな……」
その場にいた百人の兵士全員が、恐怖に支配され、絶望の涙を流しながら深く頷いた。
翌朝。
ポポロ村の広場に、信じられない光景が広がっていた。
「姉御ォォォォッ!! 昨晩は、ご熱い指導、誠にありがとうございましたァァァッ!!」
ルナミス帝国の駐屯部隊全員が、広場にズラリと整列し、額を地面に擦り付けて美しい土下座を決めていたのだ。
彼らの背後には、駐屯地の備蓄物資(食料や医薬品)が、山のような「貢物」として積まれている。
「えへへー、みんな元気になったみたいで良かった!」
キャルルが、純白の兎耳を揺らしながら無邪気に笑う。
「おっ、肉もいっぱいあるじゃねぇか。気が利く連中だ」
信長が貢物の箱を開けて豪快に笑い、龍魔呂も「……悪くねぇ」と角砂糖をかじっていた。
だが。
その光景を離れた場所から見ていた輝夜と義正の表情は、どこまでも険しかった。
「……キャルルちゃんは、自分が何をしたか分かっていないわね」
輝夜が、痛ましそうに目を伏せる。
「あぁ。ありゃあ、感謝なんかじゃねぇ。ただの『恐怖による服従』だ。圧倒的な暴力で屈服させ、その後に飴を与えて依存させる。……独裁国家の洗脳と全く同じ手法だぜ」
義正が、忌々しそうに赤マルを噛み潰した。
「あいつは『みんなを助けた』つもりでも、帝国兵からすれば『永遠に逆らえない鎖』を首に巻かれたのと同じだ。……これじゃあ、白虎の言っていた『自由の簒奪』と何一つ変わらねぇ」
無自覚な支配。
自立を促そうと誓ったはずのキャルルが、自らの規格外の力によって、再び他者から「自由」を奪ってしまったのだ。
「……来るわよ、義正君」
輝夜が、冷たい汗を流しながら上空を睨みつけた。
キャルルの無自覚な『罪』を、神のシステムが見逃すはずがない。
ポポロ村の上空に、白虎の時とは違う、さらに重く、冷徹な『青の亀裂』が走ろうとしていた。




