第五章 神殺しの月
太陽の肉と、月の算盤
「みんなー! お待たせーっ!!」
ポポロ村の中央広場に、大地を揺らすような地響きと共に、巨大な影がドスンと降ってきた。
土煙の中から現れたのは、純白の兎耳をピンと立てたキャルルだ。
彼女の小さな肩には、村の家屋よりも巨大な『赤竜』の死骸が、軽々と担ぎ上げられていた。
「うおおおおッ!!」
「すげぇ! 伝説の赤竜を、またキャルル村長が一人で狩ってきたぞ!」
「聖女様! 万歳! キャルル様、万歳!!」
村人たちと孤児院の子供たちが、割れんばかりの歓声を上げる。
キャルルは返り血で少し汚れた顔を拭いもせず、太陽のように無邪気な満面の笑みを浮かべた。
「えへへ、お腹空いてる人は、私がぜーんぶ助けるからね! 待っててね、今すぐ美味しいお肉にするから! 龍魔呂さぁぁぁん!! これ、ステーキにしてぇぇっ!!」
広場の隅で煙草を吹かしていた龍魔呂が、無言で頷き、巨大な包丁を手に解体を始める。
キャルルは休む間もなく、赤竜との戦いで怪我をした村の自警団員たちのもとへ駆け寄り、その手をかざした。
「怪我してる人、いないかな~? 痛いの痛いの、飛んでいけーっ!」
彼女の手から放たれる温かな治癒の光が、村人たちの傷を瞬く間に塞いでいく。
圧倒的な武力、無尽蔵の治癒魔法、そして底抜けの善意。
ポポロ村の民衆にとって、彼女はまさに絶対的な『太陽』であり、この村を導く北極星だった。
だが。
その熱狂の渦から少し離れた日陰で、義正が忌々しそうに赤マルを吐き出した。
「……馬鹿ウサギめ。あれじゃあ、ただの『甘やかし』だ」
義正の氷のような声が、広場の空気に冷水を浴びせた。
「義正君? どうしたの、そんな怖い顔して」
隣で村の帳簿を確認していた輝夜が、不思議そうに首を傾げる。
「お前も分かってるだろ、輝夜。あいつのやってる事は、すべて『お前のワンマンパワー』で成立してるに過ぎねぇ」
義正は、キャルルに向かって容赦のない正論を放った。
「持続不可能な善意は、ただの自己満足だ。もし明日、お前が死んだらどうなる? もし明日、お前が竜を狩れなくなったら? 村の連中は、自分で飯を食う力も、怪我を治す知恵も持たねぇまま、お前に縋って全員まとめて飢え死にするぞ」
「え……?」
キャルルの笑顔が、ピタリと止まった。
「義正君の言う通りよ、キャルルちゃん」
輝夜もまた、静かに、しかし為政者としての厳しい瞳でキャルルを見つめた。
「貴方の優しさは、みんなを救っているわ。でも、本当の指導者なら……貴方や私たちが居なくなっても、ポポロ村が自分たちの足で歩いていける『システム』を作らないと。それは、本当の意味での『自立』にはならないのよ」
「……う、うぅ……」
キャルルの大きな瞳に、みるみるうちに涙が溜まっていく。
彼女はただ、目の前のお腹を空かせた人を助けたかっただけだ。
だが、霞が関で国家のシステムを作り上げてきた月(輝夜)と、資本の修羅(義正)から見れば、彼女のワンマンな善意は、長期的には村を滅ぼす「毒」でしかなかった。
「うわあああんっ! 龍魔呂さぁぁぁん……! 私、間違ってたかなぁ……!?」
キャルルが、ボロボロと涙をこぼしながら龍魔呂の背中にしがみつく。
赤竜の肉を切り分けていた龍魔呂は、包丁を止め、振り返ってキャルルの頭に無骨な大きな手をポンと置いた。
「……今は、これでいい」
「龍魔呂さん……?」
龍魔呂の濁った瞳が、義正と輝夜を静かに見据えた。
「持続性だの、システムだの……そんな先の事は、明日を生きられる奴だけが考えればいい。俺は、今のガキが飯を食えずに泣く事を許すシステムの方が『悪』だと思っている」
龍魔呂は、キャルルの頬の涙を親指で乱暴に拭った。
「お前が竜を狩ってきたから、今日、ガキどもが笑って肉を食える。俺は、それでいい」
その極端で、不器用で、暴力的なまでの『今』への肯定。
理屈を完全に超越した龍魔呂の言葉に、キャルルはパァッと顔を輝かせた。
義正は「……チッ、甘やかしやがって」と舌打ちをしながらも、それ以上は何も言わなかった。輝夜も、困ったように優しく微笑んで息を吐いた。
「……ハハッ、こりゃあ傑作じゃ」
その一部始終を、少し離れた岩の上に座って眺めていた信長が、腹を抱えて笑い出した。
目の前の地獄をワンマンパワーでぶっ壊す、無鉄砲な『太陽』。
その太陽を持続させるために、冷酷なまでに算盤を弾く『月(輝夜と義正)』。
そして、その二つの間で、理屈抜きに「今」を守る『修羅(龍魔呂)』。
(……太陽と月が合わされば、このクソみたいな世界から、ほんまに地獄が無くなるかもしれんのう)
信長は、愛用の特殊警棒を肩に担ぎ、獰猛な狂犬の笑みを浮かべた。
(男、坂上信長! おどれらの作るイカれた世界に、どこまでもついたったるわい!)
誰もが自分の正義を信じ、時にぶつかり合いながらも、絶妙なバランスで成り立っているポポロ村。
そこには、確かな平和と、眩しいほどの希望があった。
――だが。
その『眩しすぎる希望』こそが、この世界を管理する絶対的な存在にとって、最も許しがたい『罪』であったことに、この時の彼らはまだ気づいていなかった。
『ピシッ……』
上空の青空に、まるでガラスにヒビが入るような、不吉な亀裂の音が響いた。




