EP 10
世界のバグ、次なるフェーズへ
ルナミス帝国の首都。
かつて絢爛豪華を誇った王宮の宝物庫で、財務大臣が力なく膝から崩れ落ちた。
山のように積まれた帝国紙幣と金塊。
だが、その紙幣は今や紙屑以下の価値しかなく、帝国の刻印が打たれた金塊すら、商人は『PGに鋳造し直さなければ受け取らない』と突き返してきた。
「終わりだ……。我が国は、一滴の血も流さずに、あの辺境の村に『買収』されたのだ……」
街角では、スラムの民だけでなく、中流階級の市民までもがPGを神の護符のように握りしめている。
彼らの顔には飢えの恐怖はない。だが、その目には一種の狂信的な『依存』が宿っていた。
『ポポロ村の輝夜様バンザイ!』
『あの方たちに逆らえば、明日には街中のパンが消える。我々は一生、あの方たちに尽くすのだ!』
笑顔で歌うように語られるその言葉は、もはや絶対的な支配者に対する奴隷の賛歌だった。
優しさと救済でコーティングされた、逃げ場のない真綿の首輪。
ポポロ村は、暴力ではなく『圧倒的な善意』によって、何万人もの人間の自由を完全に奪い去ったのである。
◆ ◆ ◆
「……大陸全体の流動資産の98%が、俺たちのシステム(PG)に統合された」
ポポロ村地下指令室。
義正が、最終データを睨みながら赤マルを灰皿に押し付けた。
「実質上、俺たちはこの世界の経済の『神』になったってわけだ。もし明日、輝夜が『機嫌が悪い』と言ってPGの供給を止めれば、帝国は三日で餓死者で溢れ返る」
「ハッ、完全に俺たちが悪の魔王じゃのう」
信長がソファで寝転がりながら、天井を見上げて笑う。
「悪党を潰してガキを救った結果が、大陸全土の完全支配とはな。……正義も悪も、行き着く先は同じ『暴力』ってことじゃ」
龍魔呂は壁に背を預け、何も言わなかった。
だが、彼の視線は静かに輝夜へと向けられている。
彼女の細い肩には今、数万人の命の重さと、彼らの人生を縛り付けたという『業』が重くのしかかっているはずだった。
「……怖気付いたか、輝夜」
義正が問う。
「いいえ」
輝夜は、はっきりと首を横に振った。
「彼らが自分の足で歩ける日が来るまで、私がこの手綱を握り続けるわ。優しさだけでは世界は救えない。冷酷なシステムだけでも人は死ぬ。だから私は、泥を被ってでもその真ん中を歩く」
その強い瞳には、一ミクロンの揺らぎもなかった。
義正、信長、龍魔呂。三人の修羅たちが、誇らしげに口元を歪めた、その時だった。
『――ッ!?』
パキッ、と。
蘭の口から、チュッパチャプスが床に転がり落ちた。
「……蘭ちゃん?」
輝夜が振り返る。
蘭の目の前にあるメインモニターが、突如としてすべてのデータをシャットダウンし、画面全体が『血のような赤一色』に染まっていた。
そして、無数の文字列が、見たこともない古代文字と機械語のハイブリッドで滝のように流れ落ちていく。
「……ウソ、でしょ」
常にゲーム感覚で余裕を崩さなかった蘭の顔から、完全に血の気が引いていた。
彼女の細い指が、震えながらキーボードの上を走るが、システムは一切の操作を受け付けない。
「どうした、蘭! またハッキングか!?」
義正が怒鳴る。
「違う……っ! ハッキングなんて次元じゃない! この世界の『空間そのもの』が、私たちのシステムを書き換えようとしてる!」
ビーーーーーッ!!!
地下司令室全体に、けたたましい非常警報が鳴り響く。
赤いモニターの中央に、一つの巨大なメッセージが浮かび上がった。
『警告。特異点オブジェクト【POPOLO】の経済的影響力が、世界律の許容値を超過。
これより当該座標を、致命的バグ(カテゴリー・オメガ)と認定する。
管理者【聖獣機神ガオガオン】による、直接フォーマット(存在抹消)プロセスに移行』
「致命的、バグ……」
輝夜が息を呑む。
「……やっちまったね、私たち」
蘭が、引きつった笑いを浮かべながら振り返った。
「私たちが通貨戦争で大陸の経済を完全に書き換えちゃったせいで、世界の理が、私たちをただの環境汚染じゃなく『世界そのものを破壊するウイルス』だと再認識したんだ」
蘭の言葉に、信長がゆっくりと立ち上がり、龍魔呂がKorthのグリップに手をかけた。
「次は、孤児院を襲ったような無人ドローンなんかじゃない。……この世界の『神様』本人が、私たちを物理的に消去しに来るよ」
究極の不穏。
彼らが救済の名の下に世界の首根っこを掴んだ瞬間、世界そのものが彼らを排除するために動き出したのだ。
「……上等じゃあねぇか」
義正が新しい赤マルに火をつけ、ジッポライターをカチンと鳴らした。
「ここまで来て、はいそうですかと算盤を手放す馬鹿は居ねぇよ。相手が神様だろうが、俺たちの市場を荒らすなら容赦なく破産させてやる」
「神殺しか。親父が聞いたら泣いて喜ぶ地獄の始まりじゃのう!」
信長が、狂犬の牙を剥き出しにして笑う。
「……お前たちの前には、誰も行かせない」
龍魔呂の瞳に、赤黒い闘気が静かに、だがかつてないほど熱く燃え上がった。
三人の男たちが、それぞれの『暴力(武器)』を構え、輝夜の前に立つ。
輝夜は、赤い警報の光が明滅する地下室の中で、静かに目を閉じた。
恐れはない。
彼らがいる。この狂っていて、底抜けに優しくて、不器用な修羅たちが、自分の『月(理想)』を信じてくれている。
「……神様が作った冷たいシステムで、子供たちが泣くのなら」
輝夜が目を開く。
その瞳は、暗闇の中で最も気高く輝く、絶対的な月の光を宿していた。
「私たちが、その天を撃ち落として、新しい夜明けを作るだけよ」




