EP 4
メキシカン・スタンドオフ
ポポロ村地下、戦略指令室。
ルナミスとアバロンの経済を完全に掌握し、次なる崩壊のプログラムを走らせようとしていた義正の指が、ふと止まった。
室内の空気が、急激に冷え込んだのだ。
重厚な防音扉が、音もなく開いていた。
そこに立っていたのは、赤いジャケットを羽織った龍魔呂。
その歩みからは、先ほどまで厨房に立っていた料理人の気配は完全に消え失せている。
足音一つ立てず、ただ漆黒の冷気を纏って、彼はモニターの前に立つ義正の背後へと歩み寄った。
「……何の用だ、大将。ここは関係者以外立ち入り禁止だぜ」
義正は振り返らず、赤マルの煙を吐き出しながら言った。
「……手を引け」
地を這うような、低く冷たい声。
義正がゆっくりと振り返り、龍魔呂を見据えた。
信長も、ソファに寝そべったまま視線だけを鋭く龍魔呂に向ける。蘭はチュッパチャプスを口に入れたまま、キーボードに置いた手を止めた。
「隣町の物価が、昨日の3倍に跳ね上がっている」
龍魔呂の濁りきった瞳が、義正を射抜く。
「親が店を畳み、路地裏でゴミを奪い合っている。お前たちのやっている事は、結果として『末端の子供たち』を飢えさせている。……これ以上は駄目だ。今すぐ操作をやめろ」
龍魔呂の言葉に、義正は表情をピクリとも変えなかった。
「甘い事抜かすな」
義正の口から出たのは、氷のような正論だった。
「俺たちは、民衆の血を吸って肥え太った悪徳貴族から財産を毟り取ってるだけだ。末端の混乱は、腐ったシステムが崩壊する過程の『一時的なノイズ』に過ぎねぇ」
「ノイズだと……?」
「そうだ。ここで俺たちが算盤を弾くのをやめれば、奴らは再び息を吹き返し、何十年にもわたってさらに多くの民衆を搾取し続ける。大を救うための、小の犠牲だ。……お前みたいな裏の人間なら、その程度の理屈、頭では分かってるはずだろ」
誰も、間違っていない。
義正は、最大の悪を潰すために全体を見ている。
だが龍魔呂は、目の前で泣いているたった一人の子供を見過ごすことができない。
重く、息の詰まるような『間(沈黙)』が、密室に降り降りた。
誰も口を開かない。
蘭は止めることができず、信長はただ無言で龍魔呂の筋肉の動きを注視している。
義正も、タバコを吹かしながら、龍魔呂の瞳を真っ直ぐに睨み返していた。
1秒。2秒。3秒。
言葉では、この資本の修羅を止めることはできない。
それを完全に理解した龍魔呂の瞳から、最後の人間性(迷い)が消え失せた。
――『龍魔呂は、引かない。』
その場にいた全員の生存本能が警鐘を鳴らした、その直後。
『ズガァァァァンッ!!!!』
地下室の鼓膜を破るような、凶悪な発砲音。
龍魔呂が懐から抜いた愛銃『Korth NXS / Ranger』が火を噴き、義正の真横にあった蘭のサブモニター(空売りプログラムの画面)を、木っ端微塵に粉砕した。
「ひゃっ!?」
蘭が悲鳴を上げて頭を抱える。
砕け散ったガラスと火花が宙を舞う。
だが、割れたガラスの破片が床に落ちるよりも速く。
龍魔呂は銃のシリンダーを回転させ、その冷たい銃口を、義正の眉間の中央へとピタリと押し当てていた。
「どんな悪人が相手だろうが……その煽りで、子供が飢えて泣く事は、俺が許さない」
絶対的な死の宣告。
銃口を押し当てられた義正の額から、一筋の冷や汗が流れる。
だが、資本の修羅は決して目を逸らさなかった。
「……プロを舐めるなよ、殺し屋」
義正は、銃口を突きつけられたまま、口元の赤マルを揺らして不敵に笑った。
「俺は、こんなチャカで脅されたくらいで、自分の弾いた算盤を曲げるような三流じゃねぇ」
ギリリ、と龍魔呂の指が引き金に力込める。
その瞬間。
『チャキッ』
龍魔呂の右のこめかみに、冷たい鋼の感触が押し当てられた。
信長のオートマチック・ハンドガンだ。
いつの間にかソファから消えていた練馬の狂犬が、龍魔呂の死角に立ち、その脳天に正確に狙いを定めていた。
「……手を引けよ、大将」
信長の声から、いつもの飄々とした空気が消え失せている。
親父譲りの凄みが、極限まで圧縮された広島弁となって低く響いた。
「おどれの言い分も、痛いほど分かるんじゃがな……。ウチの修羅(義正)の脳天に風穴開けられちゃあ、俺の用心棒としての仕事があがるんじゃ」
龍魔呂が義正を撃てば、信長が龍魔呂を撃つ。
極限のメキシカン・スタンドオフ(三つ巴の膠着状態)。
「……撃ちたければ、撃て」
龍魔呂は信長を一瞥もせず、義正から銃口を下ろさない。
「俺が死のうが……こいつの息の根だけは、確実に止める」
火花が散るような、男たちのプライドと信念の激突。
義正も、龍魔呂も、信長も、絶対に自分の『正義』を曲げない。曲げられない。
誰かが瞬きをした瞬間に、全員が死ぬ。
張り詰めた糸が今にも切れそうになった、その時だった。
「――はい、そこまで」
重い防音扉が開き。
張り詰めた火薬の匂いを中和するように、凛とした女性の声が、殺伐とした地下室に響き渡った。




