EP 10
もう、地獄にはいない
圧倒的な破壊の嵐が吹き荒れる中、彼女の歩みだけが、まるでそこだけ切り取られたように静かだった。
「……輝夜! 来るな、逃げろッ!!」
宙に吊るし上げられ、首の骨を軋ませながら信長が血を吐くように叫ぶ。
義正もシールドの出力を最大にして彼女をかばおうとするが、システムがエラー音を吐き出して火花を散らす。
だが、輝夜は立ち止まらなかった。
漆黒のアーマーから立ち上る致死量の『赤黒い闘気』。一般人であれば、近づくだけで精神を破壊され、呼吸すらできなくなるほどの巨大な殺意の渦。
輝夜の肌がヒリヒリと焼けつき、足がガクガクと震える。
それでも彼女は、一切の逃げ腰を見せることなく、DEATH4の真正面へと真っ直ぐに歩み寄った。
『ギ……、ギギ……』
漆黒のバイザーの奥で、感情を失った龍魔呂の瞳が輝夜を捉える。
無慈悲なシステムのように、彼の右腕が機械的に動き、愛銃『Korth』の冷たい銃口が、輝夜の眉間へとピタリと押し当てられた。
「……ころす」
引き金に指がかかる。
あと一ミリ指が動けば、彼女の頭は吹き飛ぶ。
だが、銃口を突きつけられた輝夜は、怯えるどころか、泣きそうなほど優しい微笑みを浮かべた。
「……うん。でもその前に、少しだけお休みしましょ」
輝夜は、自分に銃口を突きつける漆黒のアーマーに両手を回し、その冷たい鋼の胸を、力いっぱい抱きしめたのだ。
『――――ッ!?』
「痛かったわね。一人で、ずっと寂しかったわね」
輝夜の体温が、鋼鉄の装甲を越えて、内側で凍えている『無力な少年』へと届いていく。
「大丈夫。あなたはもう、あの暗くて冷たいゴミ捨て場にはいないわ。……一緒に帰ろう、龍魔呂さん」
その言葉は、呪いのように彼を縛り付けていた鎖を断ち切る、絶対的な赦しの光だった。
『ドクンッ……!』
龍魔呂の右手で凶悪な光を放っていた『鬼王の指輪』に、ピキリと亀裂が走る。
主の殺意が消失したことを悟ったかのように、赤黒い闘気がふっと霧散した。
同時に、漆黒のアーマーが『プシュゥゥゥッ』と排気音を鳴らして強制パージされ、パーツが次々と剥がれ落ちていく。
「がはッ、ゲホッ、ゴホッ……!」
拘束を解かれた信長が地面に落下し、激しくむせ返りながら空気を吸い込む。
パージされたアーマーの中心。
そこには、力なく立ち尽くす龍魔呂の姿があった。
虚ろだった彼の瞳に、ゆっくりと理性の光が戻ってくる。そして、彼自身も気づかないうちに、その頬を大粒の涙が伝い落ちていた。
「……輝夜」
彼が、震える声でその名を呼んだ瞬間。
ゼロ距離で致死量の闘気を浴び続けていた輝夜の体から、ふっと力が抜け、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。
「っ……!」
龍魔呂が咄嗟に手を伸ばし、その細い体を抱きとめる。
かすかに触れる、温かい呼吸。
気絶した彼女の顔には、彼を救い出せたことへの、安堵にも似た静かな表情が浮かんでいた。
銃声も、爆音も消え去った。
夜の荒野に、深い静寂が訪れる。
空を覆っていた分厚い雲が晴れ、美しい満月が静かに姿を現した。
青白い月明かりが、まるで彼女だけを選ぶように、スポットライトのように優しく照らし出している。
龍魔呂は、腕の中で眠る輝夜を見つめたまま、血の滲む手でポケットからマルボロの赤を取り出した。
カチリ、とライターの火をつけ、深く紫煙を吸い込む。
「……面倒な女だ」
それは、彼が生まれて初めて口にした、自分自身の感情を誤魔化すための、極上の照れ隠しだった。
『カチッ』
隣で、別のジッポライターが鳴る。
ボロボロになったスーツ姿の義正が、自分の赤マルに火をつけながら歩み寄ってきた。
彼は無言でもう一本のタバコを取り出すと、首をさすりながら立ち上がった信長へと放り投げる。
「ああ……俺達の算盤を狂わせた、月だからな」
義正が、呆れたように、しかし最高に愛おしいものを語るような声で笑う。
受け取ったタバコを咥え、義正の火を借りた信長が、深く煙を吐き出して肩をすくめた。
「おどれ……逃げ場が無くなったのう」
狂犬の牙を隠し、信長が龍魔呂へと歓迎の言葉を投げる。
最強の武人と、最強の資本家。そして、最強の処刑人。
同じ地獄を知る男たちが、たった一人の「月」の引力に捕らわれ、完全に一つのチームとなった瞬間だった。
龍魔呂は、何も言わなかった。
ただ、三筋の紫煙が月夜に昇っていく中、自分の腕の中で静かに眠る輝夜の顔を、いつまでも大切そうに見下ろしていた。




