EP 8
雷神の月兎、解き放たれる
世界から、一切の「音」が消え去った。
いや、違う。キャルルの両足から放たれる莫大な紫電のエネルギーが、周囲の空気をプラズマ化し、音の伝達すらも歪めていたのだ。
鼻腔を突く、強烈なオゾンの匂い。
満月の光を吸い上げた彼女の兎耳が、天を衝くように伸び切り、特注の強化靴に仕込まれた『雷竜石』が臨界点を超えて脈打つ。
「いっくよーっ!!」
キャルルが、屋根を蹴った。
直後。
彼女が立っていた高強度プレハブの屋根が、爆発したようにひしゃげ、凄まじい衝撃波が円状に広がる。
遅れて轟く、空気が引き裂かれるような破裂音。
音速の壁を突破した証である『マッハコーン(ベイパーコーン)』の白いリングを纏い、純白の少女は夜空を翔ける一条の紫色の流星と化した。
「な、なんだあの速さはァッ!?」
傭兵隊長ガドーの動体視力では、すでにキャルルの姿を捉えることすら不可能だった。
ただ、空から『死という名の質量』が、一直線に自分たちへ向かって降ってくることだけが本能で理解できた。
「防げ! 魔導装甲車を盾にしろ! 結界を全開に――」
ガドーの絶叫を置き去りにして、空中のキャルルは体を丸め、恐るべき速度で『空中一回転』のモーションに入った。
遠心力、重力、そして雷竜石の生み出す一億ボルトの雷光。
そのすべてが、彼女の右足の一点に収束していく。
1,000メガジュールの運動エネルギー。
質量換算、277トンの超破壊力。
「超電光流星脚(スーパー・ライトニング・メテオ・ストライク)ッッ!!!!」
紫電を纏った飛び蹴りが、傭兵部隊の前面に展開された分厚い鋼鉄の魔導装甲車に、真正面から突き刺さった。
『――――――――ッ!!!!』
激突の瞬間。
閃光が夜の荒野を真昼のように照らし出し、次いで、大地の骨組みがへし折れるような轟音が、数秒遅れてすべてを飲み込んだ。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!!
「ぎぃやあああああああああっ!?」
何十トンもの重量を誇る魔導装甲車が、まるで空き缶のようにクシャクシャに圧縮され、そのまま後方の森へと吹き飛ばされていく。
装甲車という物理的な盾ごと、背後にいた数十人の傭兵たちが暴風の木の葉のように宙を舞った。
「ば、ばかな……俺たちの装甲が、一撃で……あがッ!?」
ガドーは吹き飛ばされながら、自分の信じていた常識が完全に崩壊するのを味わっていた。
闘気でも魔法でもない。
ただの「物理的な蹴り」が、一国の軍隊に匹敵する装甲を一瞬でチリに変えたのだ。
衝撃波は凄まじかったが、キャルルの神懸かった制御により、その威力のベクトルは完全に傭兵たちの方角へと限定されていた。
背後にいた難民たちには、強風が吹き付けただけで、誰一人として傷を負っていない。
『ドサッ、ズザザザザッ……』
土煙が晴れた後。
大きく抉れ、ガラス化して熱を帯びたクレーターの中心に、キャルルがふわりと降り立った。
周囲には、全身の骨を折られ、白目を剥いて痙攣するアバロンの強硬派部隊が、ボロ雑巾のように散乱している。
「……ウソじゃろ」
暗闇に潜んでいた信長は、持っていたハンドガンを思わず下ろした。
対戦車兵器でも、ここまでの惨状にはならない。
現代戦術の極致を知る彼だからこそ、この「理不尽なまでの物理法則の破壊」に、冷や汗が止まらなかった。
「……ウサギの皮を被った、戦略兵器じゃねぇか」
信長が呆然と呟く中。
「むぅー……」
クレーターの中心で、キャルルは頬をぷくっと膨らませていた。
紫電のオーラは未だ健在であり、彼女の瞳孔は満月の魔力で縦に細く開ききっている。
「私の村のひとたちをいじめる悪い子には……もっともっと、反省してもらわないとダメだよねぇ?」
キャルルは鼻歌を歌うような足取りで、ピクピクと痙攣するガドーの元へ歩み寄った。
地獄の蹂虤から一転、この世の常識を覆す『理不尽な無限ヤキ入れ(ヒーリング・ビートダウン)』の時間が、幕を開けようとしていた。




