EP 4
血を吐く兎と、狂った算盤
土と汗、そして酷く鉄錆びた血の匂いが、秋の冷たい風に混じっていた。
「っ……はぁ、はぁ……次、次は……どこですか……」
キャルルの視界は、すでに真っ赤に明滅していた。
膝が震え、呼吸をするたびに肺がヤスリで削られるような激痛が走る。
それでも、彼女は血に汚れた手を伸ばし続けた。
(私がやらなきゃ。村長として、強い力を持つ者として……!)
極限状態を知るが故の、強迫観念にも似た自己犠牲。
彼女は自分の命をすり減らし、他者のメーターを無理やり満タンにしていく。
それが、彼女にできる唯一の『無償の愛』だった。
呻き声を上げる次の難民に手をかざそうとした、その時。
『ガシッ!』
強靭な力で、手首を掴まれた。
「……そこまでだ、ウサギ」
見上げると、力武義正が立っていた。
普段の飄々とした笑みは完全に消え失せている。
その瞳の奥には、氷のように冷たく、そして業火のように熱い『怒り』が渦巻いていた。
「放して……っ! まだ、苦しんでる人が……!」
「自分の血で他人の渇きを癒やすな。そんな三流の取引、俺が許さねぇ」
義正はキャルルの細い腕を強引に引き寄せた。
彼にとって、この世のすべては等価交換だ。
だが、目の前の少女は、自分への見返りを一切求めず、ただ命を削って他者を救っている。
損得勘定の化身である義正にとって、その行為はあまりにも尊く、あまりにも痛々しく、そして――ひどく彼の『算盤』を狂わせるのだ。
無償の愛を向けられると、そいつのために算盤を弾き狂いたくなる。
それが、力武義正という男の業だった。
義正は、空いた手でポケットから飴玉を取り出し、口に放り込んだ。
『ガリィィィッ!!!!』
飴玉を噛み砕く、残酷なまでの破砕音。
それが、商社のトップエースが『損得』を完全に投げ捨てた合図だった。
「蘭。今あるポイント、全部吐き出せ」
義正の低い声が、戦場のような難民キャンプに響き渡る。
「えっ? 全部って、今15万ポイントくらいあるよ? これ、国との取引に使う大事な……」
「うるせぇ。全部だと言ったんだ。地球の『最新型総合医療プラント』と『全自動医療ドローン群』を今すぐここに落とせ!」
その命令に、蘭も信長も、輝夜でさえも息を呑んだ。
ポイントの枯渇は、要塞の維持に関わる致命的なリスクだ。
だが、義正の目を見た蘭は、小さく笑ってタブレットを叩いた。
「……了解。義正がここまでキレるの、初めて見たかも。ポイント、全開放するよ!」
『ピロロロロロロロロロンッ!!!!』
システムが悲鳴を上げ、ポイント残高が一瞬にしてゼロへと暴落する。
その代償として、上空に巨大な光のリングが出現した。
ズズズズズズズズッ!!!!
地鳴りと共に、圧倒的な質量の『白亜の巨大施設』がポポロ村の敷地に降臨した。
無菌室、最新のオペ室、そして何万という特効薬を自動生成・投与する医療ドローンたちが、蜂の群れのように飛び立っていく。
「さあ行け! 難民の端から端まで、一滴残らず治療して回れ!!」
義正の怒号と共に、医療ドローンたちが難民たちに特効薬のミストを散布し始める。
魔法すら凌駕する、現代医療の飽和攻撃。
キャルルが血を吐いて救おうとした命が、次々と、安全に、そして圧倒的な速度で救われていく。
「あ……あぁ……」
その光景を見た瞬間、キャルルを支えていた緊張の糸がプツリと切れた。
限界を超えていた彼女の体が、糸を切られた操り人形のように崩れ落ちる。
だが、冷たい泥に叩きつけられる前に。
義正の腕が、その小さな体をしっかりと抱き留めていた。
「……バカウサギ。お前はもう、誰かのために血を流さなくていい」
耳元で聞こえたその声は、ひどく不器用で、ひどく優しかった。
タバコと、甘い飴玉の匂い。
キャルルの瞳から大粒の涙が溢れ出し、彼女は義正のスーツの胸ぐらをぎゅっと掴みながら、安心したように深い眠りへと落ちていった。
無償の愛の連鎖。
冷徹な商社マンの算盤は、一人のポンコツ村長のために、美しく完全にへし折られたのである。




